![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47069857/rectangle_large_type_2_35fc44209d86fdfe1bdc861eac2e51ff.jpg?width=1200)
ヴィルジニー・デパントの衝撃【映画】「ベーゼ・モア」【書評】「バカなやつらは皆殺し」
ヴィルジニー・デパントの映画「ベーゼ・モア」を観たのは単にその時スカパーでやっていたからだったが、映画が終わった後、もう観る前の「騙されていた自分」には戻れなくなっていた。
「ベーゼ・モア」は監督も務めたヴィルジニ―・デパントの小説『バカな奴らは皆殺し』が原作で、「テルマ&ルイーズ」をものすごく過激にしたようなフランス映画だ。
映画を見た後にすぐ原作も読み、それからずっとヴィルジニー・デパントの次の作品を待っていたのだが、20年近く経って突然にフェミニズムの文脈でこの名前に再会できた。(フランス本国ではフェミニズムを語るうえでは欠かせない存在になっていたのに、日本には全く入ってきていなかったらしく、とても残念。)
デパントの名前とともに、この作品が「本番行為のあるポルノ」と罵られ上映禁止になる騒動がありながらも紛れもなくフェミニズム作品であったこと、そしてその時まで騙されていた私の目を開かせてくれたことを思いだしたのだった。
ストーリーは、底辺で暮らし、痛めつけられ、疎外されているマニュとナディーヌという二人の少女がお互いに出会ったことで、殺し、強盗、セックスをしながら逃避行をするというもの。マニュはポルノスターに憧れるだらしない女の子、ナディーヌは男に騙される愚かな女の子で、セリフもいちいちぶっとんでいて面白い。
物語のメインである逃避行のきっかけのひとつとしてマニュが見知らぬ男たちにレイプされる場面がある。「本番行為」があるのもこの場面で、このレイプシーンで本当に挿入が行われているので物議になった。
マニュとその友人のカルラは道を歩いていたところで、三人組の男に暴力を振るわれながら輪姦される。まだ物語の行方を知らずに映画を見ていた私は、その場面に違和感を覚えた。男に乱暴されているマニュは殺されるという最悪の事態を避けるために黙って痛めつけられることを選び、泣いたり、わめいたり、叫んだりしない。だから当然、映画のこのシーンは本当に淡々とした、静かなものだった。
映画を観終わってから監督のインタビューを読むと、撮影中に「このレイプシーンはおかしい」とある男性に反対されたと語っていた。「女が全然感じてない。レイプされると最初は抵抗しても結局は気持ちよくなるはずだ」と言われたことを鼻で笑っていた。(今はこのインタビュー記事が見つからないので大体そんな感じ)
そこで本当にショックを受けた。私があのシーンに違和感を持ったということは、女性が性的暴行を受けるシーンは「いやらしいもの」だと認識していたということだ。結局は気持ちよくなるなんて戯言は「何言ってんだ?」と否定できても、レイプシーンはいやらしく、煽情的なものだという思い込みを持っていたのだ。一体なにを考えていたんだろう。でも、なぜそう思い込んでしまったかはわかる。今までに触れたフィクションに騙されていたからだ。
フィクションで描かれているレイプシーンは煽情的だ。AVでもどうかと思うが、普通の、一般作品ですらそうだ。一度そう思うと、他の作品でこういった場面に遭遇するたびに疑問に思う。なぜ困っている女性のイラストは眉が下がってはいるものの、目は笑顔の時と同じなんだろう? 「ドラえもん」でお風呂を覗かれたしずかちゃんの顔をよく見てほしい。怒っている顔ではないはずだ。男性向けの漫画やイラストになるとそれはもっと顕著で、困っているけど少し喜んでいるように見えてしまう表情が多い。
ドラマや映画もそうだ。動画サイトには、人気女優のレイプシーンだけをつなげた動画さえある。その結果、「いや」や「やめて」では「嫌がっていること」を伝えられなくなっている。それどころか、海外ではAVの影響で日本女性が「ヤメテ」という言葉で性的にからかわれる事態にまでなっている。
監督が語っている通り、この映画では誰かを興奮させるため、性欲を掻き立てるために「本番行為」が入っているわけではない。性的暴行に関するファンタジーを取り払うために、マニュの痛みや屈辱や怒りを伝えるために取り入れられている。
それなのに、この映画の評判を調べていると「レイプシーンが本物なんですか?」とAV代わりに使おうという魂胆の見えるコメントや、過激でバカで可愛い女の子たち、なにも考えていないセックス好きの女の逃亡劇と評したコメントが多く、声の届かなさに絶望を感じてしまった。
でも、20年ほど経った今ではまた違うのかもしれない。
そう感じられたのは、イギリスのドラマ「このサイテーな世界の終わり」を観た時だった。
ドラマ内で過去に性的暴行事件があったのだが、それが直接的な描写ではなく、くぐもった声や断片的な絵だけで示されているのだ。登場人物にそういった危険が迫った時も、最低限の描写にとどめていたように思えた。
フェミニストはエロ表現を禁止しようとしている、という捉え方をしている人がたまにいるが、それはまったくの間違いだ。描写に配慮を、そして間違ったことには作品内でちゃんと断罪を示すべきだと言っているだけだ。レイプシーンがあっても、マニュがセックス大好きなキャラクターでも「ベーゼ・モア」というタイトルであってもこの映画は間違いなくフェミニズム作品だし、曇っていた私の目を開かせてくれる力のある映画だった。
原作も、口語調といわれるデパントの特徴をとってもうまく訳していておススメです。
「こんな風に、知らない女にのこのこついて来ちゃダメなんだよ」