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01-02シーズン コパ・デル・レイ決勝 レアル・マドリードvsデポルティボ・ラ・コルーニャ ~ジダネスとパボネスと第三勢力~

0.スターティングメンバーと試合の背景

 2000年夏にレアル・マドリーの会長に就任したフロレンティーノ・ペレスが、クラブの方向性について端的に示した言葉が「ジダネスとパボネス」。ジダンのようなスーパースター、というか世界最高峰の選手を軸に据えながら、パボンのような下部組織出身の(=若い、安い、クラブに忠誠心があり扱いやすい?)選手をミックスしたチームというもの。前者はジダンの他、フィーゴ、ラウール(厳密にはラウールは下部組織の出身だが)、後に加わるロナウド、ベッカム。後者はいつの間にか現れ、消えていったポルティージョ、ミニャンブレス、ラウール・ブラボetc。
 メディアは「ギャラクティコス」と煽っていたが、今のレアル・マドリーやバルセロナの方が余程ギャラクティコスだ。当時、世界一のフットボールブランドはマンチェスター・ユナイテッドで、レアルもバルサも負債まみれの状況にあり、スカッドの一定割合を”パボネス”が占めないと、ジダンもフィーゴも獲得できない財政状況だった。今日のレアル・マドリーの、グローバル市場におけるブランド資産のうち、多くはジダネスがもたらしていると思うと、ビジネスとしてはフロレンティーノの戦略は際立っていた。

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 試合の話に繋げると、この当時のレアル・マドリーは”建設途上のギャラクティコス”とも言うべく状況で、前線はジダン、フィーゴ、ラウール、モリエンテス。ベンチにソラーリ、グティ、マクマナマン、ムニティス。しかし最終ラインはロベルト・カルロスはともかく、34歳のイエロに相方はパボン。要するに、ここにお金をかけるだけの余裕は当時はなかった。カシージャスはまだ信頼を得ておらず、ベテランのセサルとの併用で、この少し後のチャンピオンズリーグ決勝がキャリアの転機となった。中盤は前のシーズンにフィーゴと入れ替わりで、レドンド、セードルフ、カランブーが退団。ジダネスでもパボネスでもないマケレレとエルゲラが組んでいたが、エルゲラはこのシーズンからセンターバックでも起用されており、層の薄さは明白だった。

 イルレタ監督が率いた時期を「スーペル・デポル」とするなら、01-02シーズンはその真っ只中になる。マカーイは健在だったが、FWの椅子は一つで、当時スペインで最高のFWと評されていたディエゴ・トリスタンの(豪華な)バックアッパーだった。何故かマカーイの行くところには強力なFWが常におり、オランダ代表でも、同世代に異様にメンバーが揃っていた(けど、ワールドカップ予選は敗退)。なおこの試合のメンバーで、後に両チームとも1人ずつワールドカップで優勝するメンバーがいる。

1.基本構造

1.1 ジダンのピボーテ化
  筆者がこの当時の出来事として明確に覚えているのは、レアル・マドリーの01-02シーズンの多くは「ジダンをどこに当てはめるか」に多くの時間を費やしていた。デル・ボスケ監督が行った試行錯誤として、2トップ+トップ下(ジダン)のダイヤモンドシステムにしたり、ラウールを左サイドに置いたり、選手の組み合わせもいくつか試していたが、最終的にはジダンをスタートは左に置きつつも、実際はフリーマンとして自由を与えることで落ち着いた。どっかのインタビューで見たが、デル・ボスケは「最初は左に張ってほしい。その後は好きにしていい」としていたらしい。勿論「左に張ってほしい」は、ビルドアップの際に横幅を作って後方の選手を助けるためになる。
 スタートは左にいたジダンが中に入り、大外をロベルト・カルロスが駆け上がる。右は基本的に、フィーゴは常にサイドからスタート(但し、フィーゴも自由に動き、流れの中で左にいることも少なくない)。この非対称性が生み出す捕まえづらさが、ハマった時のレアル・マドリーの強みだ。

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 ただ、この試合は一つ問題があった。レアル・マドリーのマケレレにボールが渡ると、デポルは1列目のバレロンとディエゴ・トリスタンがプレスバック。中盤センターの2人とサンドして狙い撃ちする。マケレレはその貢献度や、ジダンをはじめとする仲間から受けるリスペクトに見合わない(とされた)低い給料に不満を募らせ、この1年後にチェルシーへと移籍することとなるが、確かにこれを見ていると、ボールを保持するチームで、それこそブスケツのようなアンカーとしては難しそうだし、このチームで誰を狙うかと言えばマケレレになる。だからこそ、外→外でボールを前進させるためにジダンは最初に張ることが重要だとも言える。

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 が、実際はジダンは(少なくともこの試合は)張らずに、むしろ中央で本来セントラルMFが担うタスクを担おうとしていた。平たく言えば、事実上のボランチ化。
 この00年当時~ライカールトのバルサが[1-4-3-3]で覇権を握るまでは、中盤センターに2枚を置く[1-4-2-3-1]システムの全盛とも言える時期だったが、バレンシアのバラハ&アルベルダにせよ、デポルのコンビにせよ、マケレレ&エルゲラにせよ、現代のアンカーと求められていた資質は異なる。悪く言えば、今のアンカーが1人でやっている仕事を2人で分担しているような印象のユニットもちらほら見られたが、ジダンがボランチ化しないと回らないのは、今のアンカーの感覚でいうとかなり物足りなく感じる。

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 どこのチームでもそうだが、前線の選手が落ちてくると、当然、前線は枚数不足になる。この試合だと、ラウールも序盤はよく下がってくる。前線でモリエンテスは孤立するし、得意のハイクロスは全く供給されない。
 一番人を割きたいところに人を割けなくなるが、普通のチームとの相違点は、フィーゴやジダンの理不尽な個人能力がある。明らかにサイドで孤立していても(もしくは、サルガドしかいなくても)フィーゴなら勝手にそのうち1回か2回はビッグチャンスを作ってしまう。

1.2 怪しいキャストを狙い撃ち
 今のチーム以上に分業的というか、キャスティング主義のレアル・マドリーに対し、デポルの狙いどころは明白。まず最終ラインでは明らかにスピード不足のイエロをロックオン。ディエゴ・トリスタンはあらゆるボールを、イエロのサイドで競るようにしていた。個人的には全盛期のイエロを知らないのだが、映像を見ていると確かにこれは翌年粛清されても致し方なしに見えるパフォーマンスで、モンスター・ディエゴ・トリスタン(ジエゴ・コスタみたいだ)に対し、地上戦でも空中戦でも後手に回り、ファウルで止めざるを得なかった。
 この時、フランは引き気味のポジショニングでサルガドを誘導。このポジショニングが効いてくる。なおフランはイエロと1歳しか違わないが、時折見せる縦突破のスピードは目を見張るものがある。

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1.3 バイタルエリアの番人を始末しよう
 そしてイエロとの勝負以前の仕込みとして重要だったのが、レアル・マドリーの中盤の番人であるマケレレを中央から排除することだったと思う。

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 レアル・マドリーは基本的に6枚ブロックで守る。当時はこの対応がまだスタンダードというか許されていた時代だったし、最終ラインから前線までアップダウンできるサイドハーフは、トップレベルでは殆どいなかったと思う。そんな中で、マケレレは中央~右サイドにかけてのほぼ全域をカバーしており、サルガドとフランのサイドで手薄になると、頻繁にハーフスペースやフィーゴの背後に出ていって人を捕まえる。クロス対応の際は最終ラインに加わるなど、”動き”がかなり活発だった。
 デポルはレアルの右、デポルの左サイドから攻撃することで、マケレレをまず動かす。そうすることで、中央をエルゲラ1枚にし、セカンドボール争奪戦で優位に立つなどのアドバンテージを得る。それ以上に感じたのが、

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 上記の図に書いたが、レアル・マドリーの最終ラインで、対面のディエゴ・トリスタンを止められなさそうなイエロが孤立しやすくなる状況を作るのが狙いだったと思う。1.2で書いたように、このマッチアップは非常に危険。マケレレが動けば、イエロの前方は剥き出しになりデポルは簡単にイエロと勝負できる。フランのサイドから前進していたのはこれを狙っていたと考えられる。

2.前半の展開

 いきなり5分にデポルが先制。リスタートから、中央から前線に飛び出したセルヒオがイエロと1on1で勝負。イエロは切り返し1発であっさりとかわされ、セルヒオがセサルの股間を抜くシュート。以後、セルヒオは殆ど攻撃参加していないが、イエロを狙ったという点ではゲームを通じて再現性のある展開だった。

 そこからはレアル・マドリーが6割近くボールを保持する展開になる。
 レアル・マドリーはデポルとは対照的に、キャストの最適配置ははかれて入るもののオフェンス、崩しのデザインはあまり感じられない。その中で確認できた試みは、①ピボーテ化したジダンの中央からのスルーパス、②右のフィーゴの単独突破、③ロベルト・カルロスのオーバーラップからのサイド突破、の3つ。

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 ジダンが中央でセルヒオやマウロ・シウバを剥がせれば、空間ができるが、まだセサルとナイベトが残っており、ピボーテからのスルーパス1発ではなかなかゴール前には運べない。
 フィーゴの突破は、より可能性を感じるもので、やはりロメロがどれだけタイトに付いても、フィーゴは1人では止められない。フランもたびたび加勢する。フランの守備貢献は、ジダンやフィーゴのそれとは明らかに別で、右のビクトルのも含め、デポルは少なくとも今風の8枚ブロックで対応していた。
 ジダンが空けたスペースにはロベルト・カルロス。ロべカルは殆どの選択が縦(左足)なので、対面のスカローニは、縦にえぐられるのは仕方ないとして、最後のクロスをカットする戦略だったように見える。ロべカルは陣地回復・コーナー獲得という”戦略目標”は何度か達成していたが、クロスはモリエンテスには渡らなかった。ロべカルだけの責任ではないが、モリエンテスは前半のボールタッチが3回くらいだったのではないか。
 サルガドとフィーゴの関係について。フィーゴは縦にも中にも行けるし、1人で2人を相手できるということもあって、サルガドはあまりフィーゴには寄らないようにしていた。サルガドの役割は、後方のより内側のレーンに入ってのインテリオール化。今でいう「偽SB」とほとんど変わらない。このスペースを占有しながら、フィーゴが空けたスペースを見て時折オーバーラップ、インナーラップを使い分ける。後述するが、後半の展開を見ると、デル・ボスケは意図してこれを仕込んでいたと思う。

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 基本的にレアル・マドリーは撤退守備ができない。キャスティング的に考えるとそうだろうな、って感じだが、だからこそ基本的には即時奪回の意識が強めなのだと思う。マケレレ、エルゲラ、サルガド、ロべカルはネガトラでは慎重かつ、ボールへのアタックが速い。そして、モリエンテスに簡単に放り込まなかったのも、このあたりのバランスや、ボール喪失状況のコントロールを考えてだと思う。
 即時奪回のレアル・マドリーvs、前線で体を張るバレロンとディエゴ・トリスタンという構図。バレロンは「スペインのジダン」とか言われていたが、足はそんなに速そうには見えないが、身体を張れるし戦える。これが非常に重要で、この2トップがサボらないデポルはシメオネのアトレティコをちょっと彷彿とさせた。

 が、追加点はデポル。37分に右サイド、ビクトルの縦パスからバレロンがオフサイドラインぎりぎりで右サイドを抜ける。中央のディエゴ・トリスタンにグラウンダーのクロス、トリスタンが冷静に流しこんで0-2

3.後半の展開

 まずメンバーチェンジ。後半頭からパボン→ソラーリ。このシーズンのレアル・マドリーはだいたい、選手交代も固定化しており、ソラーリ、グティの2人が多く、次いでマクマナマン、たまにムニティス、フラビオ・コンセイソンが登場する。ソラーリを左に入れるのは定番で、マケレレを中央で1人、エルゲラを最終ラインというのもよく見たオプション。

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 もう一つ仕込みがあった。
 サルガドだけでなく、後半はロべカルも中央に絞ってインテリオール化する。代名詞のオーバーラップは封印。なんかのインタビューで、ロべカルが「おっさんになったらボランチやりたい」みたいなことを言っていた記憶があるが、実際その後アンジ・マハチカラではボランチだったと思う。本物のクラッキはそのあたりはあまり違和感なくやれるんだろうけど、この試合でもロべカルは前半のサイドアタッカーから後半の仕切り役に華麗にジョブチェンジする。ソラーリが終始、左に張って、ロべカルがシンプルにサイドに散らす。スカローニはより警戒しなくてはならなくなるし、マケレレは中央からあまり動かなくていい。押し込んでいる最中はこれがかなり有効だった。

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 57分にその左サイドをレアルが攻略。ソラーリが張って、スカローニを引っ張るところまでは後半頭から形が見えていた。問題は、そこからソラーリが突破するのか、スカローニが空けたハーフスペースを使うか。この時は後者で、モリエンテスが流れて左足で速いグラウンダーのクロス。ラウールがバックステップでナイベトの視界から消えて中央でフリーでシュート。殆どゴール前で置物になっていたモリエンテスが唯一仕事をしたシーンだった。

 スコアが動いてイルレタが手を打つ。映像に時間表示がないのでわからないが、多分65分くらいにバレロン→ドゥーシェル。ワールドカップ前にベッカムへのタックルで骨折させたとして一躍有名になったあのクラッシャータイプのMFだ。

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 中盤を3枚にするのではなく、セルヒオをトップ下気味にスライドさせて1-4-2-3-1の陣形は維持したのがミソというか、セルヒオはマケレレの前に立ちながら、1列目-2列目間のスペースを埋める。またドゥーシェルとマウロ・シウバが動いたところでプレスバックしてカバーする。

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 後はお互いに切れるカードを切って勝負。
 レアル・マドリーは70分くらいにモリエンテス→グティ。基本的に「FWグティ」もボックスで勝負するタイプなので、お膳立てが必要になる。80分くらいにフィーゴ→マクマナマン。フラン→カプデビラ。マクマナマンは、フィーゴとジダンが来て一気に影が薄くなり、また中盤センターの控えみたいな運用が徐々に増えていったが、この試合ではサイドアタッカーとしての起用。イルレタはフランを下げる万全の対応だ。
 このあたりからはレアル・マドリーがパワープレーに出る。モリエンテスが下がっているが、ターゲットはラウールだったりグティだったり、ジダンも競る。デポルの最後のカードはビクトル→ジャウミーニャ。トップ下に入ったジャウミーニャがなんか最後に面白いことをしてくれるかな?と思ったが、後は時間を使い切ってデポルが逃げ切る。
 出場機会数分にも拘わらず、ゴール裏の観客と喜ぶジャウミーニャが最後に印象的だった。このチームと街が本当に好きだったのだろう。

4.雑感

 デル・ボスケのレアル・マドリーはもっと雑な印象だったけど、流石チャンピオンズリーグ&ワールドカップ優勝監督というか、ゴール前はともかく設計はしっかりデザインされていた。あと、この時代の違約金が高い選手は周りとレベルが違う。ロッチェンバックみたいな選手もいるが。
 デポルは当時のリーガのフットボールの象徴みたいな扱い(バレンシアは、どちらかというと手堅さが売りだった)だったと思うが、印象よりもデポルも手堅い。ポジションを守るし、どうボールを動かす?リスクとどのように向き合い、管理する?という点が整理されており、それこそミシャチームのような、たくさんシュート打つけどリスクもでかいよ、なサッカーとは全く別で、攻守が一体でデザインされた好チームだった。

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