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昭和の団地のDIY
生まれて15年間、団地に住んでいました。いわゆる昭和の団地です。
間取りは6畳の板の間、6畳の和室と4畳半の和室が2部屋。3畳くらいの台所の隣にすぐ浴室。脱衣所などありません。台所には洗濯機も置いてあったので、とっても狭かったです。それでも団地の中では一番広い造りで、同じ団地の同級生に羨ましがられました。
洗濯機を室内に置けること自体珍しく、大抵はベランダに置くようになっていました。でも今のように洗濯パンがあったわけではなく、床に直置き。排水ホースを隣の浴室に倒して使用します。(浴室は当時、土間の上に簀子を置いて使うようになっていましたから、下水を直接流しても問題ありませんでした。) 上の住人さんがよく排水ホースを倒し忘れ、我が家の台所に水がジャアジャア洩っていましたよ、トホホ。我が家は一階だったので下に迷惑をかけずに済みましたが、結構倒し忘れ、台所が水浸しになっていましたね^^;
部屋が狭いため立体的に空間を使う工夫も大した物でした。物の上に物があるのは当たり前。6畳の居間は特に凄かった。その部屋には誰も寝ないので、万が一倒れても被害は小さいと考えたのでしょう。オルガンの上には土産物などをチマチマ入れておくガラスケースが、ピアノの上にはスピーカー2つとオーデオセットが、ミシン台(これも母がお嫁に持ってきた机タイプの古いやつ)の上にはテレビが、それぞれ乗っかっていました。他に居間には冷蔵庫とテーブルと椅子4脚がありました。よく入っていたなと感心します。
所狭しの居間は、通るためのスペースがほとんどなくて「スルメイカの術で通ってね」と母に言われていました。体を横にして隙間を縫うように得意げに移動していましたが、今思えば乗せられていたんですね^^;
衣装箪笥の上の天井までの空間もしっかり利用していました。今でこそ、つっかえ棒は当たり前ですが、50年前に父は角木材を丁度良い長さに切って箪笥の上から天井までのつっかえ棒を作り、転倒防止策をとっていました。ついでに、出来た空間に目隠し用のカーテンを付けて、見えないのをいいことに、普段入り用でないものをあれこれ突っ込んでいました。使わなくなった輪投げやおもちゃが高いところに仕舞われてしまって私は残念でしたが・・・
別の和室には壁一面天井まで続く父手作りの本棚がありました。父自慢の本棚です。動かさなくても、そのまま畳替えができるような工夫がされているようでした。本棚にもカーテンを付け、ゴチャゴチャが見えないようにしていましたね。終いには押し入れの襖も取っ払い、襖の代わりにカーテンをつけていました。出し入れが楽だし、サイズを気にせずぶちこめます^^;
狭いので仕方がありませんが、所狭しと物がゴチャゴチャ、そのゴチャゴチャを隠すために、あっちもこっちも布で覆いがされていました。私は床が見えていることに妙な満足感と豊かさを感じるのですが、このアパート暮らし時代の反動かもしれません。
こうして昭和の団地時代を思い返してみると、工夫が随所になされていたことに気がつきます。今のような便利グッズが少なかった当時、きっとそれぞれの家庭で、その家らしい工夫がなされていたのでしょうね。思い通りでないことが当たり前で、少しでも思い通りに近づける工夫をする時代でしたから。
工夫って素敵だと思います。今で言うDIYですよね。家具だけでなく、生活の中の工夫は、自分らしく暮らすために欠かせません。味の工夫、洋服のお直し、無駄なものをリサイクル、様々な暮らしの工夫、それこそSDG‘s!! 暮らしの中の工夫が、回り回ってこの地球にとって良いことになるかも!なんて考えると、ステキだしうれしくなります!^^
こんな狭い団地から郊外の一軒家に引っ越し、母は念願の芝生付きの庭を手に入れ、本当に喜んだのでしたが、1年経った頃ポツリと「団地は狭かったけど家族全員の気配が感じられて楽しかったわね・・・」とつぶやいていました。