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日本らしさ

少し前にテレビで
ECHOES OF LIFEのライブ中継を観た。

その時に、
アンコールの最後の方で
羽生結弦が「代表作です」的な事を言ってからSEIMEIを滑り始めた。  

やはり、本人にとっても
そういうプログラムなのだな、と思った。

SEIMEIは、全てにおいて素晴らしい作品だが、とりわけ
「日本を表現する」という点において
誇らしい作品だと思う。

長年フィギュアスケートを観てきたが、
どの選手も一度は通るのが「日本らしいプログラム」への挑戦だった。

ところが、
その日本らしさの表現が、長らく
画一的だった。

フィギュアに限らず、
踊りとスポーツの狭間にある競技は
起用する音楽が重要だが、

ひと頃は、日本っぽいプログラムといえば、それは「祭」だった。

祭が悪いとは言わない。
和太鼓の響きの良さは分かっている。

だが、ドンドコと音楽が始まると、
また祭か…と、がっかりしたものだ。
日本をアピールする術がこれしかないのかと残念だった。

女子の場合は、花魁、芸者的な。
それも、外国人から見たそれのようなイメージが多かったように思う。

テレビで放送される一部の試合しか観ていないので、
羽生結弦以前にも画期的な日本の表現があったかもしれないが…

SEIMEIを初めて観た時、ついに
祭でも、侍でもなく、
フジヤマゲイシャでもない
日本が現出した、と思った。

まず、平安時代というのが良かった。
安倍晴明の一連の作品群…小説、漫画、テレビ、映画…に乗った流れも良かった。
時代劇として平安時代はマイナーでも、
安倍晴明は誰でも知っているキャラクターになっていたから。

こうなると、もはや
音楽も和楽器しばりでいく必要がない。
西洋楽器の編成でも、その作品の持つ世界観が伝わればいいのだ。

そういう意味で、
前シーズンの大河ドラマ「光る君へ」の音楽は素晴らしかった。
メインテーマは、重厚流麗で、どこかで聞いたようなメロディ(いい意味で)を散りばめつつ、官能に訴えてくる。

劇伴も素晴らしく、
意図的に西洋的または近代的な音楽を映像に合わせる趣向が、見事にはまっていた。

平安貴族が佇む場面に、エレキギターが響いた時は、痺れたものだ。
挑戦的な趣向だが、エレキの軋むような響きが、ちゃんと登場人物の心情を表現していた。

さて、話が妄想へと広がってゆくが、
誰か、「光る君へ」の音楽を使って
フィギュアスケートの「源氏物語」を
作ってくれないだろうか。

その場合、
須磨から幻までの光源氏は
羽生結弦以外は考えられないが。


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