優しさで世界を変えよう〜Sweet Charity〈音楽追加版〉|#リレーエッセイ
この度、Xの#ツナグ物語でお世話になっている澤(ざワ)様から、リレーエッセイのバトンを回して頂きました。
澤(ざワ)様の記事はこちら。
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【チャリティー】がテーマ、ということで、「私にとってのチャリティーとは何だろう?」と振り返ってみました。
その手掛かりとして、キリスト教における捉え方を調べました。
チャリティーとは、
【人を助けるすべての活動、愛の奉仕】
だと位置づけています。大きく共鳴しました。
そして、思い起こした昔のひとつのエピソードがありました。
亡き母が地元の新聞に投稿した、ある男性との話・・・
切り抜きを要約し、母を主体にして認めてみます。
ある電話
今から数十年前(註:50年近く前)のことだった。
私(註:母)は、神戸で営んでいた果実店に、夫とともに居た。
その頃は大変景気が良く、商店街には活気があった。
私達の店は、商店街の入り口近くにあった。
オレンジがかったライトの光が、台の上の様々な果物を照らす。大通りの街灯はまだ昏く、夜の闇は深く濃かった。そこから見ると、私達の店全体が、ふわっと浮き上がるように輝いて見えただろう。
冬のある夜。木枯らしが吹き荒れる、とても寒い日だった。お客も少なく、早めの店じまいの準備を始めた。
ふと、目をやると、黒い塊のような人影が見えた。男性が4、5人。40代〜50代だろうか。皆黒っぽいコートを着込み、肩を寄せ合っていた。
やがて、店の光に導かれるように、もそもそと商店街に入ってきた。
「不気味だな・・・」
そう思いながらも、私は気にしないようにして作業を続けた。すると、店の前までやって来た黒い集団の中から、ひとりの男性がふらっと離れて、声を掛けてきた。
「・・・すみません、電話を、かけさせてもらえませんか」
小さな声。(註:携帯は無い時代)
電話を貸すということは、店の奥まで入れるということだ。
(外に電話ボックスがあるのに・・・)
私は訝しんだが、直後、夫が明るく、
「―――良いですよ」と返事をした。
引っかかる思いを引き摺りながら、私はそれとなく男性を横目で見た。男性は大きな背中を丸め、どこかおどおどして、受話器を持ち上げ、ダイヤルを回し始めた。
少しの沈黙の後、相手が電話に出たようだ。
「お父さんな、今神戸に来ているんだ。この電話はな、お店からかけさせてもらってるんだよ。
表通りでは、音がうるさくて聞こえないから・・・」
気を遣いながらしばらく、男性は小さな声で話し始めた。
「みんな元気にしているか?」
私の中で、男性に抱いていた気持ちがほぐれていった。聴こえてくる会話に、かえって恥ずかしさが募ってきた。
(この人は、遠くから働きに来ていたんだな・・・
変に疑ったりして、御免なさい)
やがて男性が電話を切った。こちらに向き直り、腰を折るようにして深々と頭を下げた。その姿に精一杯の感謝を感じたとき、黒ぐろと見えた男性の周囲がぽっと明るくなったように感じた。
私は、去っていく男性の後ろ姿に、
(頑張って下さいね)
とそっと声をかけた・・・。
このエピソード当時は、高度経済成長期の真っ只中。
神戸では財閥系の造船所や鉄工所が隆盛を極め、日本各地から沢山の人が出稼ぎに来られていたそうです。電話の男性もそのひとりだったのでしょう。
ちなみに、新聞社の記事では「店は父とふたりで営んでいた」になっていましたが、その頃は祖父もいましたし、数人は雇っていたので、記憶違いですね。
恐らく父親しか見えていなかったのでしょう(笑
🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀
震災になると、また、世の中が混乱するような有事が起こると、人と人を繋ぐ電話ひとつすら難しくなることがあります。携帯があっても、インフラが正常でないと使えなくなるのです。
阪神大震災を経験して身に沁みたのは、【チャリティーの精神】を如何に人々が持ち寄って、互いに支えあえるか・・・
一人ひとりの力を集めて、大きな愛を生み出せるかが本当に大切なポイントだということです。
それはある意味、【民度の高さ】と言えるし、ひいては国の力、地球の力にまで繋がることかな、と思います。
▶Que Song
Heal The World/Michael Jackson
このnoteは、こちらの企画から書かせて頂きました。
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・・・はい、では次のバトンを、終活コミュニティでお世話になっている奥村仲恵さんに託したいと存じます。
同じ母親として心よりリスペクトしております。奥村さん、よろしくお願いいたします!!
お読み頂き有難うございました!!
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また、次の記事でお会いしましょう!
🌟Iam a little noter.🌟
🤍