愛する父へ伝えたいこと〜震災の記憶〈完全版〉|エッセイ
お父さん。
――お父さんがこの世から何処にもいなくなって、もう何十年も経つのですね。
あの年。
病院嫌いだったお父さんは、珍しく健康診断に行くと言いました。
個人経営をしていて、ずっと嫌がって行かなかったのに…
何か、思うところがあったのでしょうか?
阪神大震災の年でした。
お父さんの健診予定はかき消えて、
夜、家に居るのがこわくて、
家族みんなで小学校へ毎晩避難しましたね。
1月の厳しく冷え込んだ教室の床に、
何枚も何枚も、支援物資の毛布を敷いて――
それでも寒くて、
震えながら寝ていましたね。
―――
ひとり暮らしをしている弟とは、
携帯の無い時代だったから
連絡が取れず、
車で下宿まで、一緒に探しに行ったでしょう。
私が「ついて行く」と言ったのは、
弟のことも心配だったけれど、
お父さんのことも本当に心配だった。
もし独りで行ったら、
弟が見つかるまで
夜中でも次の日でも、飲まず食わずで探し続けると思ったから…。
―――
住んでいた地域から離れるにつれ、
被害はどんどん増していき、
特撮のようにビルは真横に倒れ、
道路も混乱し。
途中、高速ではなくなってしまった道路で、丸いガスタンクが爆発の可能性があると噂が流れ、逃げる人々の姿があり。
倒壊や救助している姿も見られるようになって、
私たちは、嫌な予感に無言になっていました。
―――
弟の下宿に着くと、予感通り、
壊れて目茶苦茶になっていました。
私も絶句したし、お父さんが顔色を失っていたのが、横にいて分かりました。
その後何とか脱出していることを望んで、
私たちは目ぼしい学校をあちこち訪ね、
グラウンドの焚き火で暖を取る人たちを見て歩いたり、校内で名前を呼びながら、探し回りましたね。
足が棒になるほど探したけれど、見付からなかった。
日が暮れてきて、お父さんと車に戻り、私はお茶と食べものをすすめて、
「今日は帰ろう」と言いました。
お父さんはそのことに頷くことなく、
ほとんど車の通っていない幹線道路に戻りましたね。
―――
家に帰ると、弟から電話があったということでした。
そんな話を聞き、お父さんと私はほっと胸を撫で下ろしました。
―――後から思うことですが……
弟を探しているときのお父さんの必死な横顔を見て、聞こえてきたような気が実はしたのです。
「自分の命と引き換えに、息子を戻してくれ」というお父さんの声が…
震災の影響がようやく落ち着いたかに見えた夏頃。
お父さんが、お母さんと一緒に、
病院から帰って来ました。
お母さんはひどく固い顔をして、
お父さんに見つからないように私に小さなメモを渡しました。
中をそっと見ると、
“ガン 悪性”
と書かれていました。
一瞬、目が眩んだようになりました。
ガンが死と直結していたあの頃、
本人への告知義務はありませんでした。
もし、震災が無ければ……
健診に行き、転移が少なくて済んで、
今でも生きているかも…
と思うことがあります。
私たちは、お父さんの死が近いことを知りつつ、ホスピスのように
悲しむ顔を見せずに、
つとめてお父さんの最期が明るくなるように振る舞いました。
―――
お医者様の診立てどおり、きっかり
3ヶ月後のお誕生日の頃、お父さんは
旅立ちましたね。
遺影の写真はまだ若い笑顔で……
その日から……毎日が、モノクロに変わりました。
―――
お父さん。
今私が好きな音楽、
様々なカルチャー、美意識、
私を形作る思考のほぼ全ては、
お父さんが並べていた
音楽、本、雑誌から
得て、
発展したものばかりです。
お父さんは思い出の代わりに、
私にその宝物をくれたのですね。
―――
生まれ変わっても今の家族が良いけれど……
小さい頃夢見た、
「お父さんのお嫁さんになる」
という望みは、今もまだ心の奥底に残っています。
―――お父さん。
布団の中にもぐって、朝起こしに行ったお父さん。
甘い煙草の匂いをさせて、
一緒に起きてくれたお父さん。
私は…優しいお父さんの娘で、
本当に幸せでした。
いつまでも、どうか空から
見守っていて下さい。
お父さん……
お父さん。私を育ててくれて、
本当に有難う。
私が小さな子どもの頃、
眠りやすいよう
子守歌代わりにリミックスしてくれた
テープに入っていた、
ナット・キング・コールの
大切な曲をご紹介いたします。
どうぞ お聴きください。
“ Smile ”
このnoteは、山根あきら様の記事
↓ ↓ ↓
の中で、
とあり、インスパイアされて執筆したものです。
山根あきら様、機会を設けていただき、有難うございました。
✢✢✢
父は、ジャン・レノや山中教授と風貌や雰囲気が似ていて、穏やかでお洒落な人でした。
とくに山中教授は関西の方で話し方までそっくりで、テレビで拝見した折、心臓が掴まれたかと思いました。
父は、理想の男性のアイコンです。
ことあるごとに思い出しては、
しみじみ懐かしく涙腺が緩みます。
父に会ったら話したいことを、書き連ねてみました。
↓ ↓ ↓
思い出しているひとこま。
↓ ↓ ↓
母についてはこちら。
この度、1月1日に能登半島地震により犠牲となられた方々には、
心よりお悔やみ申し上げますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災地域の皆様の安全確保、そして一日も早い復旧・復興を、衷心よりお祈り申し上げます。
✢✢✢
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また、次の記事でお会いしましょう!
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