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話数単位で選ぶ、2024年TVアニメ10選

■『ガールズ バンド クライ』 第8話
もしも君が泣くならば(5/25)

■『転生したら/スライム/だった件[第3期]』 第60話
第60話 開催準備(6/21)

■『響け♪/ユーフォニアム3』 第12話
第十二回/さいごのソリスト(6/23)

■『戦国妖狐/千魔混沌編』 第6[19]話
雲の上まで(8/22)

■『逃げ上手の若君』 第9話
[第九回(1334年)/わたしの仏様](8/31)

■『僕のヒーローアカデミア[第7期]』 第157話
I AM HERE(9/28)

■『ネガポジアングラー』 第1話
第1話[ネガティブアングラー](10/3)

■『ONE PIECE/FAN LETTER』
(10/20)

■『Re:ゼロ/から始める異世界生活[3rd season]』 第57話
最も新しい英雄と/最も古い英雄(11/13)

■『ダンダダン』 第7話
第7話/優しい世界へ(11/15)

(以上、放映日順)

   ∞∞∞

 〈話数単位で選ぶ、2024年TVアニメ10選〉をセレクトするにあたって、他の何でもなく〝TV〟アニメを対象とする投票であるという点が重要なのだということを改めて感じる、そんな1年だった。たぶん去年も似たようなことを書いた気がするし、実際その印象は強まる一方な気がする。例えば「まるで劇場版のようなハイクオリティだ」というのは、突出してすぐれたビジュアルを評価する常套句だが、それはTVアニメを言語化する尺度の、複数あるうちのひとつでしかない。そういうクオリティとは別の、さまざまな行き方による「TVアニメの面白さ」がある。

 『転生したら/スライム/だった件[第3期]』「第60話 開催準備」のなかには、アクションらしいアクションは殆ど登場しない。サブタイトルにあるとおり、開国祭というイベントの開催準備をめぐる相談や交渉に終始するエピソードである。
 バトルもなにもない地味な会話劇が、それにも関わらず強い印象をのこすのは、これまでの物語の中でリムルが得てきた人望が、彼の腹心や側近にあたるキャラクターたちの外側にまで広がっていることに、くっきりとした輪郭が与えられているからだろう。そんな一人、悪役顔をした商人・ミョルマイルが、リムルに向けている心服を吐露するモノローグを聞きながら、ふと『OVERLORD IV』(2022年)のアインズに向けられた、アインザックやザナックといった「現地人からの」畏怖と尊敬の感情のことを思い出した。なるほど、異世界に飛ばされ、再度の生を切り拓こうとする者にとって、その土地での新たな人望を勝ち得ていくことは、とても重要事であるにちがいない。

 『ガールズ バンド クライ』は、CGアニメーションによるバンド群像劇――という内容に即して選ぶのであれば、第11話「世界のまん中」でもよかったかもしれない。後半の、全てを吐き出すようなライヴ・パフォーマンスを終えたとき、井芹仁菜は「私、間違ってないですよね」とつぶやく。それを聞いたとき、これはやはり第8話「もしも君が泣くならば」を選ぶしかないような気がした。
 ギスギスを通り越して殴り合い寸前までいきながら〈結束〉へと向かう力学を描いたこの挿話は、かつて、周囲が張り付いた笑顔とともにおしつけようとした「仲直り」を断固として拒絶した記憶をはさみこむことで、11話の「私、間違ってないですよね」へと、まっすぐに繋がっている。この拒絶のないところに、彼女の〈ロック〉もないのだ。
 本作のシリーズ構成・脚本を手掛ける花田十輝は、かつて『宇宙よりも遠い場所』(2018年)の「STAGE11 ドラム缶でぶっ飛ばせ!」において、やはり「都合よく友達ヅラをしてくる相手に対するきっぱりとした拒絶」をエモーショナルに描き出している。あるいはこの脚本家にとって、「てめえらの都合で「仲直り」を申し込んでくるやつらを拒絶すること」というのは、大事なモチーフなのかもしれない。

 同じく花田十輝がシリーズ構成・脚本を担当する、こちらはロックではなく吹奏楽部を舞台とする『響け♪/ユーフォニアム3』「第十二回/さいごのソリスト」では、三年生に進み部長となった黄前久美子が、ユーフォニアムのソリストをめぐる再オーディションを受ける、その顛末が語られる。
 久美子と麗奈とが互いの感情を抑えきれず号泣するくだりの説得力には、京都アニメーションの描写力が存分に発揮されている。このオーディションについて、原作小説と異なる結果とした「改変」が話題となったが、翌週に放送された最終回における、数年後の久美子の姿から振り返ってみたとき、あのオーディションの結果は(原作のそれとは違っていたとしても)、アニメ版の物語のなかで、大人になった久美子へと、説得力をもって帰結している……そう感じられた。

 ここで、さらにもうひとつ、花田十輝がシリーズ構成・脚本を担当する作品を選ぶことになった。2024年における氏の仕事量には驚くほかない。
 『戦国妖狐/千魔混沌編』「雲の上まで」の絵コンテ・演出を担当した山内重保は、手がけた作品を観ることで、スタッフクレジットを確認する前から「こんな構図、こんな語り口は山内重保しかいないのではないか」と思わせる、独自の文体を持った演出家だ。アップを多用した画面設計や、印象的なライティングをはじめとする手法を駆使したその映像は、状況を説明することよりもむしろ、キャラクターたちの感情の流れに沿って推移するような、きわめてエモーショナルなエピソードを形作る。
 松永久秀の手勢を相手どり、鬼神のように刀をふるう足利義輝。一方的な蹂躙とみえた戦いは、突如、悲痛な幕切れを迎える。この、異様なボルテージのきわまったアクションと、哀切な予感に満ちたムードの同居こそ、山内重保演出の真骨頂だ。

 『ネガポジアングラー』第1話は、海という場所の描き方がとても喚起的だった。
 借金取りに追われて転落した先にひろがる、なかば自暴自棄になった主人公を飲み込もうとする場所としてひろがっていた、暗い海。その同じ海が少しずつ、その表情を変えていく様子が、克明に演出されている。
 主人公の思考がルアーを操ることに集中していくのと踵を同じくして、少しずつ、少しずつ明るくなっていく沖堤防。魚影の群れの美しさと、日の出の開放感。同じ1話の中で、海は主人公に対して開かれた、自由な、居心地のいい〈居場所〉のように変化していく。
 2話以降に通底するモチーフを、この第1話は、あらかじめ素描している。そういう意味でも、素敵な第1話だと感じた。

 『ONE PIECE/FAN LETTER』は、アニメ『ONE PIECE』25周年を記念して、通常放映枠内にて放映された特別編。船出のためシャボンディ諸島に再結集する麦わらの一味と、憧れのナミに手紙を渡したい少女の冒険が交差する瞬間を、最高にポップな映像で描き出している。画面を彩る色彩の魅力と、アクションの躍動をうつしとる〈線〉の魅力が横溢した30分は、このタイトルが「ナミへ渡したい手紙」であるのと同時に、『ONE PIECE』というタイトルへのラブレターでもあることを、はっきりと感じさせてくれる。

 『逃げ上手の若君』第9話は、2024年現在、TVアニメというジャンルが達成できるビジュアルの、その最前線を感じさせてくれるものだった。
 白眉はなんといっても、征蟻党の首領と、狭い屋内で戦うことになった時行のアクションだろう。この、屋内の〈狭さ〉の表現が素晴らしい。縦横無尽に逃げ回る時行の、ほとんどサイケデリックな表現は、首領に仏の幻影を見せるに至る。そして至るところに飛び散る血の表現が、これまた素晴らしい。
 複数の表現形式を横断するような映像は、同じCloverWorksの手掛けた『ぼっち・ざ・ろっく!』(2022年)における、遊び心満載のスタイルとも通底するものだ。

 今年、原作漫画が最高潮のなか連載最終回を迎え、さらには単行本最終42巻で素晴しいエピローグが描き下ろされ、文句なしの大団円で幕を下ろした『僕のヒーローアカデミア』。アニメ第7期の第157話「I AM HERE」には、その『ヒロアカ』を『ヒロアカ』たらしめる理由が凝縮されている。
 遷音速で走り切り、絶体絶命の状況に「間に合うヒーロー」轟と飯田。アイアンマンのようなスーツとバットマンのような車を携えて、オールフォーワンの前に立ちはだかる「最強の助っ人」オールマイト。それぞれが、自分にとっての「そうなりたいヒーロー」であろうとする物語は、読者/観客にとっての「そうあってほしいヒーロー」の姿でもある。

 主人公を、主人公たらしめている理由がある。『Re:ゼロ/から始める異世界生活[3rd season]』第57話「最も新しい英雄と/最も古い英雄」には、ナツキ・スバルがなぜ主人公なんてものを……それも、数あるフィクションの中でもおそらくは指折りの「精神負荷」(アインズ/『異世界 かるてっと』(2019))を生きさせられている主人公を、それでもやっているのか、その答えがある。
 ここでの見せ場は、派手なアクションではない。後半のほとんどを使ってスバルが避難民たちに語りかける、その演説の〈言葉〉の力が、この57話を、おそらくはシリーズ屈指のエピソードに押し上げている。
 これまでの物語を、スバルの目線で追い続けてきた観客にとって、彼が語る〈言葉〉の全てには、その時間の重さが乗せられている。かつてのように、1年以上続くことが当たりまえだった時代とは違っているとしても、週に一度、少しずつ語られる物語につきあうことの、その時間の重さを背負った〈言葉〉が、ある瞬間に決壊して、ついにはこちらを押し流すような瞬間がやってくる。
 〝TV〟アニメであることのカタルシスがここにある。

 『ダンダダン』は本編も、タイトルアニメーションも、私にとっての2024年を象徴する作品になった。
 OPには素晴しいカットしかないが、中でも「サイエンスSARU」のクレジットの下で加速したオカルンが残した土煙は、このOPの白眉だと思う。映像の素晴しさ、音楽の素晴しさ、いろいろあるけど、「恩田尚之キャラデザの見事さを痛感できるショートフィルム」としての素晴しさも、忘れてはならないポイントだ。
 作品全体に通底する、色とその点滅を用いた映像設計の大胆さ。あるいは、アクションの素晴しさを、止めの挿入によって強調する話法の、堂に入ったケレン味。そうした方法論が『ダンダダン』という八方破れな物語をいっそうの火力で煽りたてる。

 「第7話/優しい世界へ」は〈リアル〉なエピソードである。女手ひとつで娘を育てるシングルマザーだったアクロバティックさらさらの、あまりに凄惨な過去。連れ去られる娘を乗せた車のうしろを必死に追いすがる母親が絞り出す、我を忘れたような息づかい。
 観ているこちらが、呼吸することさえ憚られるような、極めつきに貫通力の高い〈リアル〉。それは、この母親にとって我が子以上に大事なものなどあるはずがないという、その事実がもたらす〈リアル〉である。そして、最後に塵になっていく彼女の、その塵の、切なくなるほどの〈リアル〉な細密さ。
 声も、作画も、演出も、音楽も、全てが彼女の「母親としての〈リアル〉」を記録する、そのために奉仕している。

202年12月31日作成(追記:2025年1月1日)

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