壊れかけた人生の回復を描いたロードムービー「マイ・ブロークン・マリコ」
永野芽郁目当て寝落ち前提で観ましたが、ワタシ的には観て良かった「マイ・ブロークン・マリコ」
友情ものでお涙頂戴かと思いきやこれがなかなかハードボイルドな一本でした。
あらすじ
共依存だって友情だったんだ
共依存関係とも言える唯一の友人マリコ(奈緒)に自死という裏切りで関係を突然一方的に断ち切られた主人公シイノ(永野芽郁)。お互いに最も必要としていたはずの人に必要とされなかった孤独、とり残された辛さ、救えなかった罪悪感、そして怒り。
彼女はマリコが昔言ったひと言を思い出して遺骨を海に撒くことにします。
誰がなんと言おうとシイノにとってはマリコとの関係は大事な友情だったんだと思います。だから日常を拒否して海への旅を実行するのです。
現実を蹴飛ばすようなハードボイルド感
一言で言えばとてもハードボイルドなロードムービーでした。
シイノの格好は、消臭剤を振りかけなければとても履けないヨレヨレでカビだらけの革靴にマリコの遺骨とリュック一つ、中身はスマホと財布と養命酒のみ。(養命酒を持たせた原作者のセンスの素晴らしさに脱帽です)
もちろん着替えなどなく、たまたま出会った青年(窪田正孝)に言われるまでは歯も磨かず食事もしない有様です。
でもそれで良いんです。シイノの旅は現実拒否なんですから。
ブロークンなのはマリコだけではない
マリコを虐待し続けた父親から包丁片手に遺骨を奪い取った段階でシイノも十分ブロークンです。
彼女はブラックな会社から抜け出すこともできず、ただ生きている壊れかけた状態なのです。だから遺骨になったマリコとの落とし所のない旅は現実からの逃避であると同時に、大事だった友情を彼女なりに取り戻すために必要なものでした。
ロードムービーでしか描けないもの
荒んだ心持ちでのシイノはマリコを悼むというより、飲み屋で酔っ払い相手に声を荒らげたり見知らぬ土地で野宿したり、観ているこっちがハラハラする行動ばかりです。まるでマリコを救えなかった自分を手当たり次第、罰しているかのように私には思えました。
旅の途中、折に触れシイノはいなくなったマリコと会話します。
それは日常から離れたからこそ出来ることであり、描ける場面です。
たくさんの辛かった思い出も、楽しかった二人だけの思い出もマリコとの会話という形で一つひとつ折り合いをつけていきます。
日常から離れた場所でシイノはマリコとの日々と別れを受け入れることで、彼女の死と自分たち二人の生を受け入れるのです。
他者との関係の中で人生は回復する
旅で出会った名前も知らない人たちのおかげで壊れかけていたシイノは人生を取り戻し始めます。
それは彼らからの言葉(手紙)、助け(お金、遺骨への寄り添い、別れ際にもらったお弁当)として描かれています。
「名前がない」のは彼らが「他者」であることの象徴です。
誰が救ってくれたのかが大事なのではなく、他者との関係の中で人生が修復されたことが大事なのです。
失ったものは失った場所でしか回復できない。
壊れかけていたシイノは見返りなく助けあえる人間関係に身を置くことで自分の人生を取り戻すことができたのです。
人を壊しにくる要素だらけの今の世界でも、小さなきっかけや助けがあれば人は壊れず生き延び、生き直せる。
この一本はそう教えてくれます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんがどうか今日も人生の2時間を使う価値のある作品に出会えますように!