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スマブラステージ【AD.1779.海戦】

このスマブラステージは近世の帆船同士の戦いを描いたものです。

・船の誕生
 人類は旧石器時代の昔から、木の枝を束ねて水に浮かべて荷物を運んでいたと考えられ、そこから木の幹を繋いだイカダや、大木の幹をくり抜いて作った丸木舟をオール(櫂)で動かすことで、人が乗れる船が生み出されたと考えられています。
 やがて紀元前4000年頃には木の板を組み合わせる、葦の草を接着して固めるなどの手段で、波があっても転倒しにくい形の船が作れるようになり、紀元前27世紀にはエジプトとグブラ(現レバノン)が貿易を行っていた痕跡が残っています。(レバノンは造船に用いる木材の産地でした)

・帆船の発達
 船を動かす方法には、オールで漕ぐものと帆を張って風を利用するものがありました。オール船は漕ぎ手への負担が大きいものの小回りが利きやすく、帆船は推力を風向きに左右されて細かい操縦が難しいものの、少ない労力で舟を動かすことが可能で、紀元前8世紀の古代ギリシャ時代から紀元後16世紀まで軍艦として使われたガレー船は、戦闘時には大人数でオールを漕ぎ、順風時には帆走して労力を節約する使い分けがされました。

 やがて帆を風に対して垂直に張る縦帆が発明されると、向かい風が吹いてもジグザグに曲がりながら前進できるようになり、複数本のマスト(柱)と船首に設置された長い棒(バウスプリット)に縦帆と横帆を組み合わせた大型で帆走能力の高いの船が作られるようになります。

・大航海時代
 ヨーロッパ諸国は地中海を介してインドや中国などのアジア諸国と貿易していましたが、1453年に東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国が地中海の覇権を握ると、オスマン帝国に高い関税を払わなければアジアと貿易できなくなり、地中海を通らずにアジアに到達できる海路が切望されていました。

 こうした15世紀以降の西ヨーロッパで外洋航海が活発に進められます。サイズの大きい船は荒れた海でも転覆しにくく、荷物や船員を多く積み込めるので、3本以上のマストの持つ大型の帆船であるキャラック船、キャラベル船(キャラックより小型で動かしやすい)が量産されました。
 この時代は商船であっても海賊を追い払ったり、現地住民と紛争したり、商売敵を排除したりと戦うことは多く、大砲を積んで武装化していました。船のスペースが大砲と弾薬で圧迫されるために、16世紀にはキャラックよりさらに大きいガレオン船が作られ、ガレオンに大量の大砲を装備して戦闘に特化した軍艦が登場します。

・海戦の歴史
 海の戦闘で敵を倒すには、敵船を沈めるなどして戦闘不能にするか、敵船に乗り込んで白兵戦で乗組員を倒す移乗攻撃が行われました。
 敵船を沈めるには放火で船を燃やす、自船の体当たりで敵船の船体に穴を開けて沈没させる衝角攻撃といった方法がありました。

火災は大敵

 古代のガレー船時代では体当たり攻撃はよく行われていましたが、帆船は細かく動かすことができないので、帆船が主流の時代になると大砲で敵船を攻撃して動揺させたところで、橋をかけて移乗攻撃を行い決着をつける戦い方が主流なります。船は作るのに莫大なコストがかかったので、敵船はできれば沈めずに奪い取りたいという思惑もありました。

 15~17世紀頃の大砲は船を完全に破壊できる威力はなく、命中精度も低く、射程距離も短く(有効射程は1000m程度)、連射もできなかったので、船の側面に大量の大砲を並べて絶え間なく砲撃できるようにしていました。

舷側の大砲

17世紀以降の軍艦である戦列艦は艦内に2~3層の砲列甲板を設けて60~100門程度の大砲が設置され、戦列艦より小型のフリゲートは1層の砲列甲板に24~40門程度の大砲を積んでいました。

 17世紀以降の大規模な海戦は、軍艦を縦に並べた陣形で砲撃を行う戦い方をしていましたが、先述のように大砲の性能は低く、陣形を崩さないように各船が足並みをそろえたことで柔軟な動きができなくなったので、敵が逃げると追撃が追いつかず、戦列艦の勇壮な姿に反して大規模な海戦は決着がつかないことが多くなりました。


 このスマブラステージでは、右側の船が出火し、沈没する前の最後の抵抗で、左側の敵船のマストを至近距離からの大砲で破壊し、鉤縄をかけて移乗攻撃を仕掛ける様子を描いたものです。

ファイター(マリオ)を発射!



 右側の船が動き、2つの大砲からファイターを打ち出すギミックを楽しめます。

 

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