「一億特攻」と「勇者ヒンメルならそうした」

 いつの時代も、割を食うのはまじめで、優しい人たちなのだろうかー。
昨晩、NHKスペシャルで「一億特攻への道」という終戦ものの番組を見て、そんな思いを抱いた。
毎年恒例の「8月ジャーナリズム」で放送されたドキュメンタリー。成人にも達しない若者が特攻に志願していくまでの姿が克明に描かれていた。中でも驚いたのは、兵士が特攻を希望しているかどうかを「熱望」などの表現でランク分けしていた旧日本軍の資料が残っていたことだ。資料には兵士の氏名、技能などとともに特攻を「熱望」していたことが記されていた。中には強く「熱望」しているなどの記述もある。
 
 だが、番組はそれだけでは終わらない。特攻を「熱望」していると上司に伝えた若者たちも内心では希望しておらず、当時の空気にあらがえずやむを得ず特攻機に乗って散っていった姿が描かれる。特攻兵は「軍神」などとメディア(NHKは他人事のように「ラジオ」とだけ言っていたが、まさに当時のNHKの所業だろう)や地元の住民にもてはやされる空気の中、抗しきれずに諦めにも似た気持ちで死んで行った人たちの無念が伝わった。
 
 今の日本はどうか。当然ながら戦争は今のところは起きていない。だが、何となくその場を支配している空気にあらがえず、自分が「汚れ役」をかぶり、心をすり減らし、時には健康を損なうこともこともあるのではないか。命は失わないとしても。

 職場で誰もやりたがらない、見返りもなく、リスクばかりが高そうな「鼻つまみ」のような仕事がある。それを仕方なくやるが、やっぱりうまくいかない。そして予想通り誰も助けてはくれず、一人責任を負わされ、絶望的な気持ちになる。要領のいい人、如才ない人はそんな仕事は絶対に手をつけない。巧みにかわす。手を挙げるのは、見て見ぬふりのできない、心優しい人、まじめな人、気弱な人、不器用な人だ。

 漫画「葬送のフリーレン」に登場する勇者ヒンメルは、目の前の困っている人を助ける。「魔王打倒」という大目標があるパーティーにとっては「不要不急」な行為とも言える。それでもヒンメルは自分に何のメリットもない仕事を引き受ける。ヒンメルは心優しくても、歴戦の「勇者」だから仕事を遂行し、人々から感謝される。そこは凡人とは違う。でも、ヒンメルにはなれなくても、人として彼と同じような心持ちでいたいと思う人がいることも事実だ。

 勇者とは言えないまでもヒンメルのように、目の前の困っている人たち、弱い人たち、未来のある人たちのために、自分の時間や労力を犠牲にする人がいる。そうした名もない「ヒンメル」が割を食うにしても、絶望することなく前向きに生きていけるー。戦後80年になろうとする中、そんな世の中に少しでも近づいてほしいと、心から思う。

 特攻では、多くの若者が率先して「勇者」となり、あるいは仕立てられ、戦場に散った。同じことを繰り返してはいけない。例え平時でも、だ。

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