自分を受け入れて楽になる言葉
モノを買うほど幸せが遠ざかるという記事 [なぜモノを買うほど幸せが遠ざかるのか|まめフクロウ|note]の中で、モノを買ってもその人の根本にある不安を取り除けないという問題を書いたが、別の研究でセルフアクセプタンスを考えるだけで消費が抑えられるよという論文があったので紹介しよう。
[Walking Away From Compensatory Consumption: Self-Acceptance Changes Threat Appraisal | ACR (acrwebsite.org)]
セルフアクセプタンスとは
セルフアクセプタンスとは日本語で言うと自己受容「あるがままの状態を受け入れる」ということ。
なんとも抽象的な言葉だが、ようは今の自分を受け入れましょうという話。
「そんなの分かっているよ!」と言われそうだが、ここでいう自己受容とは普段の自分だけでなく、『うっかり忘れてた』とか『ダイエット中なのにつまみ食いしちゃった』とか、『ついつい浪費しちゃた』とか失敗した状況であっても自分を受け入れるということ。
(毎回やっちゃうとダメなんだけど。。まあいいか。)
この研究では名言からセルフアクセプタンスを考えさせる言葉を被験者に読んでもらって、自分にどうやったら当てはめられるか考えてもらった。
その結果、介入をしなかった被験者と比べてセルフアクセプタンスを考えた被験者ではその後50%も浪費行動が減ったそうな。
(自己肯定感を鍛えるのは大変なんだけど、セルフアクセプタンスは考えるだけでも効果があるとのこと。)
また、自己肯定感と自己受容の違いについてもコメントしてある。
セルフアクセプタンスを考える言葉
せっかくなので、付録についていた今回の研究で使用された言葉を載せておこう。気になった方は読んでみてね。
悪い行動をすると悪い人になるのではなく、ただ悪い行動をした人である。
私は良い人だからうまく行動して物事を成し遂げたのではない。私はうまく行動して物事を成し遂げた人である。
私は勝っても負けても引き分けても、自分を受け入れることができる。
私は自分の行動や他人の意見、その他何ものによっても、自分を完全に定義しない。
私は自分を証明しようとせずに、自分らしくいることができる。
私は多くの欠点を持っているが、それを持つ自分を責めたり、非難したりすることなく、それを修正するために努力することができる。
私は自分が良い人間であることも悪い人間であることも証明できない。私ができる最も賢明なことは、ただ自分を受け入れることである。
私は自分の弱点、欠点、失敗を、それらによって自分を判断したり定義したりすることなく、そのまま箇条書きにすることができる。
自尊心や自己の価値を求めると、自己評価を求め、やがて自責の念に駆られる。自己受容は、こうした自己評価を避けることができる。
自分を叱責することなく、自分の行動を叱責することができる。
自分を褒めることなく、自分の行動を褒めることができる。
自分の行動を追いかけよう!自分自身を追いかけないように。
私は自分の間違いを認め、その責任を負うことができる。しかし間違いを作った自分を責めることはありません。
自分がどれだけ他人に感動を与えることができるか、承認を得ることができるか、パフォーマンスを発揮できるか、達成できるかで自分を好意的に判断するのは愚かなことである。
自分がどれだけ他人に感動を与えることができたか、承認を得ることができたか、パフォーマンスをすることができたか、達成することができたかで、自分を不利に判断することも同様に愚かなことである。
私は自分を受け入れることを、状況に左右される必要はない。
私は他人の評価に翻弄されることはなく、他人の評価とは別に自分を受け入れることができる。
私は、現実的に他人に依存しなければならないことがあるかもしれない。だが、自分を受け入れるために感情的に誰かに依存する必要はない。現実的な依存は事実である!感情的な依存はフィクションである!
私は、自分を受け入れるために、何ものにも誰からも頼られることはない。
成功した方がいいかもしれないが、成功したからといってより良い人間になれるわけではない。
失敗する方が悪いかもしれないが、失敗したからといってより悪い人間になることはない。
(確かに読み上げるだけでも良さそうね。)