ラフランス
店長は覚えていないようだけど、俺がはじめて、店長に会ったのは、カフェの仕事の面接の時ではない。
あれは、俺がGWの後、なんとなく、休みがちであった高校に本格的に行かなくなった頃。俺は朝方まで眠れず、夕方近くに起き出して、特に何もせず、そんなだから、夜はまた眠れない。そんなことを繰り返していた。夏休みがはじまり、あっという間に夏が終わり、俺は学校をやめるか、どうするか悶々としながら、ただ布団に寝転がって、持っている音楽を延々と聞いていた。
マジで糞みたいな人生だな。いっそ、終わらしてやろうか、と頭によぎらない日はなかった。母ちゃんが高校に呼ばれて、色々対処してくれていたから、学校には、まだ席があったけど、俺は思考する能力を完璧に失ったように、これから、なにをどうしたいのか、考える気力もなく、ただ音楽を通過させる装置になったみたいに、曲を繰り返し聞いて寝ていた。
10月になったある日、俺はいつものように夕方近くに起き出して、風呂に入り、台所にいくと、姉ちゃんが腹が減ったから何か買ってきて、と俺に向かって三千円を投げてきた。「あんたも好きなもの買っていいからさ」と姉ちゃんはいった。
姉ちゃんはプリンを買ってこい、といい、俺は久しぶりに自転車に乗って、近所のスーパーへ行った。プリン以外に食いたいものがわからなかった俺は、プリンだけ買って外へ出た。外は気持ち良く、俺はもう少し自転車に乗りたかった。それで、いつもよりも遠くへと、自転車をこいでいると、久しぶりに腹が減った感覚を覚えて、目についたスーパーに入った。俺はカップラーメンとドリトスを買い物カゴに入れ、バナナを買おうと青果売り場へ向かった。そこに、店長がいたのだ。背の低い腹の出たおじさんは楽しそうに果物売り場に置かれたフルーツを選んでカゴに入れていた。そして、ジャガイモみたいな果物の前で立ち止まると、選びはじめた。ふんふんふんふんふふふん、と聞き覚えのあるメロディをずっと口ずさんでいた。随分、楽しそうなおっさんだな、と俺は思った。
俺が店内のイートコーナーでカップラーメンを食べ、駐輪場に行くと、またそこで、おっさんに会った。俺が屈んで、自転車のロックを外していると、「あぁっ」という小さな悲鳴が聞こえ、自転車が倒れる音がした。さっきのおっさんが、倒れた自転車を起こしていた。荷台に荷物を積み過ぎてバランスを崩してこけたらしい。地面には、買った食品が散らばっていた。とろくさいじじいだな、と思った俺は、散らばった物を拾うのを手伝った。俺がさっきジャガイモみたいで不細工だな、と思った果物をおっさんは沢山買っていた。
俺は聞いた。「これなんすか?美味いんすか?」おっさんは、それはラフランスというんだよ、僕は好きなんだと言って、荷物を拾ってくれたお礼にと俺にそれを2つくれた。俺はそれを受け取り、ついでに「さっきの鼻歌なんて曲すか?」と聞いた。鼻歌なんて歌ってたかなあ?おっさんは首を傾げた。ほら、あれっすよ、タッタッタッタッタタッタァ~。俺は歌ってみせた。おっさんは、ああ、それはヴィバルディの春。と教えてくれた。そして、ポロシャツに汗染みをつくって、荷物をしっかり荷台に積むと、自転車に跨がって帰っていった。じゃあねぇ、と言い残して。デカイケツだな、とその後ろ姿をみて俺は思った。
その日、俺はレンタルビデオ屋に寄って店員にヴィバルディの春の入ったCDを教えてもらい、それを借りて家に帰った。テレビを見ている姉ちゃんにプリンを渡し、ラフランスをひとつ分けてやった。
俺は自分の部屋に戻り、ラフランスを机に置き、それを眺めながらヴィバルディの春を聴いた。窓をあけて、部屋にあたらしい空気をいれたくなるような音楽だった。
俺はその夜、ヴィバルディの春を聴きながら15歳から16歳になった。
一週間後、CDを返すために俺は制服に着替えて自転車に乗り、レンタル屋に行き、ついでに学校へいった。
それから、ラフランスやヴィバルディのCDなんかを買えるようになりてぇな、と思い、クラスメートを誘って短期のバイトをやりまくった。
あのおっさんみたいな奴は、なかなかいないもんなんだな、と思った頃に、おっさんが自転車に乗って走る姿を見かけた。おっさんは多分、また何かを口ずさんでいた。
数年後、面接でおっさんが俺の前にあらわれた時はかなり嬉しかった。なぜ、はじめて会ったようなフリをしたのかはわからないけれど。
※今、書いている小説に登場するウエイターくんと彼の働くカフェの店長の出会いのお話しです。
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