性犯罪者が許せないのでルワンダに行くことにしました🇷🇼
こんにちは、青井です。
最近はやりのエッセイ漫画みたいなタイトルにしてみました!長いけど最後まで読んでください☺
日本へ帰国後一年が経過。そろそろ外に出たい!!!
と思い立ち、思い切って二週間の休暇を取ることにしました。(派遣社員でよかった。)
快く長期休暇を承諾してもらえたとは言え(ホワイト企業万歳)二週間なんて長期の休暇はそうそう取れない…。ので行く場所は妥協せずに決めたい!
🇹🇼第二外国語が中国語だったので、気軽に行ける台湾で二週間バックパッカーして、タイワニーズフレンズ作りたい!
🇦🇺友達がワーホリ中だし、オーストラリアに遊びに行くのも悪くないかも。
🇹🇭🇻🇳タイとかベトナムの東南アジアも行ったことないんだよなあ、
🇮🇳王道にインドの過密長距離列車に揺られるのもありかも……。
と、たくさん悩んだ末選ばれたのは…東アフリカの小国、ルワンダ!!!🇷🇼🇷🇼🇷🇼
なぜルワンダを選んだのか
わざわざアフリカ…?治安は大丈夫なの?ていうかなんでルワンダ…?
という疑問を持たれる方は多いかもしれません。
なぜルワンダに行くことに決めたからというと、”ルワンダの虐殺の歴史に興味を持ったから”です。
今年四月でルワンダでのジェノサイドが発生してからちょうど30年たちます。ルワンダ虐殺の存在は知ってはいましたが、四月NHKでドキュメンタリーが再放送されているのを家族で見たことがきっかけで、ルワンダの虐殺についてもっと詳しく知りたいと思いました。
許しと和解の道のり
ルワンダの虐殺はマジョリティのフツ族から、少数派のツチ族に対するものです。しかし、この二つの民族はご近所同士、学校の同級生、仕事場の仲間であることも多く、当時から異民族同士が共生する社会であったそう。民族間での結婚も多く、家族のなかにフツとツチが両方存在することも珍しくなかったみたいです。
つまり、このジェノサイドでは顔見知り、友人、時には家族であっても、民族を理由に殺されてしまうことがあったということです。
私が拝聴していたTBSラジオ”アシタノカレッジ”でルワンダのことを取り上げた回がありました。
政治的背景や当時の生々しい虐殺の描写、ルワンダの実態など興味深い話の中で私が一番心に残ったことが「和解の村」の存在です。
この村では、二つの民族の和解を目的として被害者遺族と加害者家族が隣同士に住む場所です。ここでは、許すことさえできれば誰でも無償で住居が提供されます。
自分の家族を殺した加害者家族と隣人同士になり、相手を許すとは、私達の感覚では簡単には理解が追い付かない、想像ができないですよね…。
現代日本社会と”許し”
個人的には、ここ数年で日本社会(他の国でもそうかな?)は、いい意味でも悪い意味でもずいぶんと”許さない社会”になったのではないかと思います。例えば若い世代におけるフェミニズムの広がりはここ数年「絶対に許さない!」という怒りの連帯によって起こっていると感じています。女性たちが受ける性被害や性差別は『そういうものだから』『あなたにも非があった』『相手も謝ってるんだし』というような言説で常に矮小化されてきました。
フェミニズムの文脈だけではありません。
『障碍者は周りに迷惑をかけているんだから感謝くらいしてほしい』
『同性愛は認めるけど、公共の場所ではやめて』
『学生時代のいじめなんて水にながしてあげればいいのに』
そのような理不尽で、被害者の心をどこまでも尊重しない社会の態度に弱者は声を上げてきました。「我々に寛容さを強いるな!」と。そしてその共有された”許さねぇぞ”という怒りのエネルギーは確かに社会を新たなステージに導いてきたのです。
しかしここ最近、私はこの社会で膨らんだ”許さねぇぞ”に対し危機感を感じています。
先日報道のあったシンガポールの日本人男性の鞭打ち事件はまだ記憶に新しいですね。女子大生に性的暴行を加えた日本人の男性が現地の刑法にのっとり禁固刑17年に加え鞭打ち20回が刑事罰として課されました。
インターネット上ではこの判決に支持の声が多く、日本でも性犯罪者にはこれぐらいしてほしいという意見も少なくなかったようです。性犯罪に対しての刑罰が軽すぎる日本社会に対する日ごろの不満が爆発しているようでした
しかし私は、加害者を強い言葉でなじり批難し、ネットリンチのようになってしまう最近の風潮に疑問を感じずにはいられません。
とりわけ性犯罪に関するニュースでは『去勢しろ』『同じ目に遭わせて殺せ』『一生娑婆に出すな』『ペドフィリアに人権ない』などの文言が多く飛び交っているように感じます。
たしかに日本では性犯罪に対する処罰は甘すぎます。性的同意の概念が全く理解されてないことが判決文を読むだけで明らかであったり、到底納得できないような理由で無罪になったり有罪でも数年で表に出てくる、そもそも被害を訴えずらい社会であるなど、たくさんの人たちがそんな司法や世の中に絶望していることは言うまでもないですね。
それでも、鬱憤を晴らすために実際にこれから刑事罰としてオフィシャルに行われる拷問に対してお祭り騒ぎのようになってしまっているのが、果たして社会を向上させるためのフェミニズムの正しい動きなのであろうか…と日々モヤモヤモヤモヤしています。
正直に言うと、私もこのニュースを見たとき少なからず”いい気味だな”とスッキリしてしまいました。
私を含め多くの人間が傷を抱えて生きています。今まで生きてきて性的に嫌な思いをしたことがたくさんあります。怒りで眠れない時もあります。でもそんな我々の傷を癒すことは本当に”性犯罪者を皆殺しにする”ことなのでしょうか。怒りは社会を新しいステージに進めてくれる、自分の尊厳とプライドを守ってくれる大切な感情。でも、それがたくさん集まって憎しみに変わってしまったらどうでしょうか。
結論出ず。だから行く、ルワンダ。
怒りを憎しみに昇華させ、みんなで袋叩きにすることに違和感を感じる。
でも周りから説得され自分は腑に落ちないまましぶしぶ握手させられるのだって本当の意味で和解したとは言えない。では私たちは問題や葛藤をのりこえるためにどのように人を許し、許されればいいのか。
被害者はどのように許すのかだけでなく、加害者がどのように許されるのかも重要です。わたしもたくさん人を傷つけてきて、そして許され、今の自分があるのですから。
たくさんの人々が悲しい歴史という背景を持ちながら、30年で奇跡的な発展を遂げたルワンダ。今ではアフリカのシンガポールと呼ばれるくらい、治安も良くインフラも整っています。その発展のカギが”許す”ことであるならば、個人的にも社会的にも”許し”は我々の最大のテーマなのではないだろうか。
とにもかくにも、私はルワンダへ行こうと決意しました。(もうツアーも予約してチケットも予約済み!)
この問いと答えに社会を更新し発展させる手立てが必ずあると信じています。
※ケニアでサファリツアーもするよん🐃🦒🐘
もちろん楽しむところはしっかりたのしみまするぜ★
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