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うちカフェとお抹茶|茶道の歴史

お抹茶に興味を持ち始めたのは何でだったろうか。

理由はもう覚えていないけど、1年くらい前からお抹茶の初心者セットをアマゾンでいいねしていた。

だけど、優先順位は低くて幾度となく「今は買うタイミングではない」と先延ばしにしていた。


そんなある日、Amazonのポイントが貯まり、そしてうちカフェブームが到来して「抹茶オレを作りたい」という想いのまま、購入ボタンを押していた。

せっかくうちカフェをオープンするなら、商品数が多い方が良いと謎のこだわりが沸々と湧いてきたから。


せっかく抹茶を点てるのに流派を全く知らないのは如何のものかと思い調べてみたらこれが結構面白い。

まず茶道の流派は500種類以上あるようで、派生してきた数により歴史の長さを感じられる。

その中でも有名な三千家というものがあり、「表千家」「裏千家」「武者小路千家」と分かれており、どれも千利休のひ孫が創始者である。


3代後になって創始者が乱立したことにも興味深さがあるのだが、同じ時代、そして同じ一族なのにも関わらず所作が異なる点が面白いように感じる。

千利休は戦国時代に生きた茶人であり、この時代は血の繋がりがあっても後継者争いで敵味方に分かれていたから身内で争うことが少数派ではないのだと思う。(1番好きな時代が明治なので戦国は詳しくなく、間違った内容だったらすみません)

だけど、茶人の間でも争いのもと流派が分かれているかもしれないと思うと、言葉を選ばずにいえば血生臭い時代ならではと思う。

まぁここまでは戦国時代を中高で習った知識程度しかない素人の感想なので割愛するが、とにかく同じ千利休のひ孫であっても作法が異なるのだ。


表千家と武者小路千家は質素でシンプルな着物、お抹茶は泡を作りすぎないものを良しとしている。

この2つの流派はお辞儀や畳に入る時のマナーが異なる程度。茶道ならではの侘び寂びを身につけるならこのどちらかがおすすめ。

対して裏千家は華やかな着物で、お抹茶は細かい泡を作る流派。

海外や学校での茶道を広めており、熱心に啓蒙活動を行っていたことから、最も多い茶道人口を誇っている。

例えば石川県の兼六園内でお抹茶をいただける施設も、泡が立ち綺麗な黄緑色をした裏千家の点て方で提供している。

と、まぁ、調べて各流派の特徴をざっくりと知ることができた。

流派を知ってから点て方を決めようと思ったのだけど、私が目指していたのは「泡がたっていて、表面が黄緑色のなっているお抹茶」。

先ほど例に出した兼六園然り、お抹茶をいただくときはこのお抹茶しか出されたことがなく、蒼く染まる茶器とお抹茶の色味に惚れ込み、これを自分で作り出したいと思ったところから裏千家流が決まったようなものだった。


実際にお抹茶を点ててみると、抹茶の粉は混ざり切れていないし、泡なんか微塵もない。

粉っぽい飲み心地は茶漉しで抹茶を漉せばどうにかなるけれど、細やかな泡を作るのがどうしても難しい。

Youtubeで点て方を調べてみてもうまくいかず、その難しさがさらに上達しようとする向上心につながるので、面白いなぁと感じる。

正直なところお抹茶を趣味にするには、茶室を借りて釜から汲んだお湯を茶器に入れて……と形式ばったことをしないといけないと思ったのだけど、お抹茶を点てるだけでも試行錯誤が必要なので十分楽しめると感じる。

もちろん、本当に茶道を学ぶつもりなら茶室を借りた方が良いのだけど、抹茶を飲むことをメインにするなら、何となく点て方や茶道の志、歴史を知っているだけでも良いのではないか。


茶道を真剣に行なっている人にとっては、そんな中途半端なことでは茶道の「さ」の字もわかっていない。とお怒りになると思うが、西洋化がとうの昔に浸透した日本において、この国の伝統作法をひとりでも多く興味を持つためにはこういった、ある意味雑な好奇心が必要だと思う。

私のような熱し易く冷め易いような人間はすぐに別の興味に移ってしまうが、人によっては茶道の真似事のようなものから初めて、奥深くまで学んでいく人もいる。

間口を広げることで無遠慮な人間が入ることもあるが、茶道のような日本の伝統芸能を廃れさせないようにするには必要なのではないか。


好奇心でその間口を叩き、すぐに去っていく、界隈によっては嫌われるような行動をしている自分への免罪符のようでもあるが、いち歴史好きとしては日本の伝統芸能が後世にも残されていけばと感じる。


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