食べたいから吐く→吐きたいから食べるに移行した時期

タイトルの通りですがこれは3年目くらいですね。当時22歳。
3年目は社会人一年目だったんですけど
会津の田舎から埼玉に出てきて
知り合いもいない中で
公立中学校で働くと言うのは相当なストレスでした。

実は大学4年のときの就活で
教員採用試験は記念受験で
この頃から通信とか定時とかの高校で働きたかったんですが
当時受かった私立の通信制高校(今働いてるところではないです)に
「公立受かったなら福利厚生もウチよりいいからそっち行ってください」
ってまさかの捨てられたんですよね。そんなことある?

ということで埼玉県で公務員してたんですが、
それはそれは大変で。

そこの中学校はそこそこマンモス校で1年生のクラスが7クラスあって
私は1組と7組の副担任でした。

そりゃ担任の先生ほど仕事はなかったけど
社会や会社というものって
大きい組織だからこそ仕事の優先順位のつけ方や人間関係ってめちゃくちゃ大事じゃないですか。

公立の学校でいえば
教育委員会とかから来てる学校の仕事→学年の仕事→教科の仕事→自分の仕事
の順番で仕事はこなさなきゃいけないわけで。

その辺はなんかうまくできた。
成績良かったし締め切りとかも守れる人だったし。

人間関係がうまくできなかった。
埼玉に知り合いが1人もいなくて
というか我慢する癖付いてるし
97点とっても褒められなかった私は
正解がわからないような仕事も
「完璧に」「かっこよく」やらなきゃいけないと思ってたし、
1人でやらないとダメな人間と評価されるって思ってたんです。
この辺りから自分の価値は他人の評価は板についてきてましたね。


なんか当時を思い出そうとすると本当に断片的すぎてあまり覚えてないのか、心が私を守るために忘れちゃったのかわからないけど
とりあえず私は「逃げ」と「安心」が欲しかったんですよね。

まず前者の「逃げ」についてですが
これは性に奔放になりました。
学校外のところに
自分のことを甘やかしてくれる異性という存在を探しました。
幸運なことに顔面はそこまで悪くない(二重だし歯並びは良いほうだし)ので
埼玉東京ってそう言うための出会いとか
それだけの人って腐るほどいる。

職場に居たら手に入らない承認欲求を満たしてくれる人がたくさん居ました。
特に彼女が居るひとや家庭のある人が、私をそういう目で見てくるのが気持ちよかった(クッソ最低女で今書いてて笑えてくる)。

けど一回関係もつと急激に冷めてくるのと
自己嫌悪の方が大きくなるので
寝てる相手ほっておいて帰ったりLINEブロックしたり死ぬほど最低だった自覚はある。

そっちが逃げ。

後者の「安心」は
過食嘔吐だったんですよね。
理解されないと思うんだけど、
あの頃から気づいたら吐くために食べてたんですよ。

毎晩9時ごろ職場を出て
家に着く頃にはクタクタで料理をする概念はなく
コンビニに寄って帰る日々。

食べたら太るの怖いので吐かなきゃいけないから
どうせなら高カロリーのものをたくさん食べて吐くという
これがどんどんひどくなって

気づいた時には
あれ?なんか毎日同じパン食べてる、吐きやすいように水分も同じものを買ってる

私ってこれ本当に食べたいの?
って思ったんですよね。


でも買わないでいれなくて。というか
我慢すると頭の中でその食べ物がずっとぐるぐるするんですよ。

だから毎日同じような菓子パンを8個くらいとカップ麺と1リットルのジュースを買って帰ってた。

ある時すごいしんどいことが仕事であって
その日の帰り道にふと
「はやく、早く帰って、思いっきり吐きたい」

って思ったんですよ。
思った後怖かった。

え?
吐きたいってなんだ。
って当時の私はもう戻れないかもしれないって漠然と恐怖に襲われたのを強く覚えてます。

吐くのって体力いるんですけど(なんの話)
その分なんかスッキリするんですよ。
ストレスの発散方法にもなってたんだろうし

食べる(不安)=吐く(安心)
という訳わけらない方程式が私のなかでができてて

手っ取り早い安心感の得方だったのかなって。

仕事で認められたかったわけでも
完璧に何もかもやりたかったわけでもなくて。


単に
あなたはあなたのままで頑張ってるよ。大丈夫だよ。
って言って欲しかったんだろうし、
それを私が私に言ってあげなきゃいけなかったんだと思う。

こんな不毛な方法じゃなくてね。

余談ですが
今の高校で1人の同僚の先生がセルフケアというものを行なっています。その先生も苦しんでたことから前向いた経験を生徒の伴走者として寄り添っているものなので、私もやってほしいと常に思ってます笑

ただ、その先生も慎重な方なので
生徒たちに打ち出す前に学校に来られてるカウンセラーの方を交えて、一度職員で研修会を行ったんですよ。

そのときに
ストレスコーピングという言葉があって
ストレッサーによってコーピングはさまざまな対処があるので、気になったかたは調べてみてください。

ストレスコーピングはだいたいこの5つに分けられるんですけど
・情動焦点型
・認知的再評価型
・問題焦点型
・社会的支援探究型
・ストレス解消型

この最後のストレス解消型で例として出てきたのが
まぁ所謂
歌を歌う、美味しいご飯を食べる、買い物にいく、ストレッチをする

というような、ストレス発散方法で調べたらよく出てくるようなものだったんですけど

その日の私は
なんかグサグサ抉られたんですよ。

美味しいご飯を食べても吐きたくなるし
買い物に行っても食べ物を見つけて一気にそのモードに入っちゃうと止められないし
ストレッチや運動もやっても痩せないから過食嘔吐だし

あ、ストレス発散で
過食嘔吐ってやっぱり異常なんだ
って思って職員研修中に涙ぐむという大失態。


ただその先生が話していることも一般的な例としてわかるし、でもその一般から離れて苦しんでいる人たちは
そのコーピング自体、
私がしてきたことって全部間違いだったのかなって
思ったらキツかったんです。


そしたら
そこに同席されてたカウンセラーの先生がこう言ったんです。
「人間、誰しも、それがどんなに拙くても不毛でもストレスと向き合ってる。リストカットや摂食障害もそう。」
ってフィードバックの際にフォローを入れてくれたんですよ。別に私が摂食障害のこと、その方は知らないしたまたまなのかもしれないけど
非常に救われたなぁと。

そして「健全なコーピングの方法がその人たちに見つかればいい」と続けてくれたことがありがたかった。
いつか、こんな私にも、健全なコーピングが見つかりますように。