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ディズニーの優しさ【『ベイマックス』初見感想】

B!A!Y! M!A!X! ベイマックスのハッピーライド🎶

この記事にはネタバレが含まれます。


ディズニー生まれ(?)ディズニー育ち、10年越しに『ベイマックス』を観る

2024年現在、ディズニーの長編アニメーションは110本を超えている。
自分は幼少期からディズニーアニメを観て育った。といってもその半分の50本ちょっとしか観ていないのだが、ディズニー育ちを自称させていただきたい。

『ベイマックス』は2014年に公開された。なぜ2024年まで観ることがなかったのか?それは2000年からのディズニー低迷期で足が離れていたことと、当時サブカルが自分のメインストリームになっていたという単純な理由だ。

今年5月のTDR旅行が『ベイマックス』に積極的な興味を持つ契機になった。「ベイマックスのハッピーライド」の曲がかなり良かったのだ。どうやらこのアトラクションのために書き下ろされた楽曲らしい。
アトラクションの向かいにあるルーフの上に猫が寝ているのだが、これも『ベイマックス』に出てくると聞き、俄然興味が湧いた。猫は好きだ。

主人公と一緒に住んでいる「モチ」。デブすぎる

あらすじ

若くしてロボット開発に秀でたヒロ・ハマダは、兄のタダシ・ハマダの研究室を訪れたことをきっかけに工科大学への入学を決意する。入学試験の日、タダシが火災に巻き込まれて命を落とす。塞ぎ込むヒロを励ましたのは、兄が作った「ベイマックス」だった。兄の死の裏に陰謀があると考えたヒロは、ベイマックス、そして兄の研究室の友人たちと真相を追い求める。

モチはあまり出てこない。

『ベイマックス』…?

視聴して最初に思ったこと。

「タイトル合ってる?」

全然、あの白いマスコットは焦点ではなかった。てっきり『ドラえもん』みたいな感じだと思っていたら違った。『ドラえもん』は『ドラえもん』でも劇場版のほうだ。

本作には
・主人公のヒロ・ハマダ
・兄のタダシ・ハマダ
・タダシが開発したベイマックス
・4人のサブキャラクター(タダシのラボメイト)
が登場する。この全員が比較的まんべんなく扱われていて、ベイマックスが主役という感じはしない。

調べると、原題は『Big Hero 6』であり、マーベルのアメコミを基礎にした映画であることがすぐにわかった。どうりで本編後にスタン・リーがカメオ出演していたわけだ。

この作品、原題からもわかるとおり、6人組のヒーローを主役とした作品なのだ。ヒロ、ベイマックス、4人の友人たちである。

しかし、7人目のヒーローが存在する。兄のタダシである。

7人目のヒーロー

タダシは取り残された人を救うため、自身の危険も顧みず火災の中に飛び込んで亡くなってしまった。一見すると普通のエピソードだが、映画終盤でヒロによるオマージュシーンがある。これが泣ける。

さて、冒頭で描かれるように、ヒロは目的達成のためなら手段を選ばない。倫理に抵触するロボットを開発することも厭わない危うさがある。一歩間違えれば、本作のヴィランと同じ道を歩んでいただろう。

ヒロを正しい道に留めたのはベイマックス、ひいてはタダシの存在が大きい。全力の愛情をもって接してくれた兄は、ヒロにとって数少ない理解者であり、特別な存在だった。
タダシは人々の心身を守る存在であるようにと「願いを込めて」ベイマックスを開発した。タダシの遺志ともいうべきベイマックスの存在が、ヒロをヒーローへと成長させる。

オマージュシーンは説明が難しいので観てもらうとして、タダシもヒーローの一人であったことは間違いない。

ディズニーの優しさ(終盤のネタバレ有り)

一番語りたかった部分を語らせてほしい。

復讐に燃えた教授だが、彼の娘は生きていた。それをヒロとベイマックスが助け出した。

以上が本編で明示されているストーリーだ。
これを受けて自分が考えたのは、「タダシの死に教授の陰謀などなく、本当に事故だったのではないか?」ということだ。

火災時の状況

ヒロと教授は復讐の感情を軸にして対照的に描かれている。
教授は道を踏み外し、ヒロは兄のかたきである教授を許した…ように見える。しかし、「タダシを見殺しにした」や「放火した」という主旨の発言はどこにも無い。たしかに、炎の中に飛び込んだタダシを嘲るようなセリフを口にはしているが、その一点以外では言及がない。いずれの可能性もはっきりとは描かれておらず、やはり教授は直接関係していないのではないだろうか。

さらに、火災の中で教授が身を守っていた位置は、室内の奥の講演スペース付近だろうと考えられる。対してタダシの場合は、室内へ入ろうとドアを開いた瞬間に、爆発的に炎上したのちシーンが切り替わる。これはバックドラフト現象を想起させる。仮にそうだとすると、タダシは負傷して室内にたどり着けていないのではないだろうか。
つまり、位置からして二人はかなり離れている。大学の入試で起こった火災であればニュースになるだろうし死者が二人しかいないため、タダシの死を直接見ておらずとも教授が知っていておかしくはない。

復讐の善悪

ここで教授の復讐について考える。
実験中の過失により娘の命を奪われたと思い込んでいた教授は、偶然入手したヒロの発明品を復讐のために利用しようとしていた。しかし、娘は生きていた。

これにはある種ストーリー上の都合があるように思える。
もし死亡していたら、教授の復讐に正当性が生まれてしまうのだ。あくまでフォーカスされるべきはヒロの成長であり、作中での善悪をわかりやすくしてテーマを揺らがせないためにも、生存していることが必要だった。

(余談だが、歌舞伎の隈取を模した教授がつけている面は「筋隈」によく似ており、「激しい怒りに満ちた、超人的な力を持つ勇者」を象徴するらしい。教授は自分の正義に従って行動している。
(引用:「隈取の種類」 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc25/jp/kumadori-makeup/types.html))

また、娘の事故が隠蔽されたことにはそれなりの理由がありそうだ。
実験の見学に軍幹部が訪れている様子がうかがえる。察するに、極秘に行われた最先端の軍事実験で、その中で起こった事故を公表することは国防に関わるのでできなかった、というのがリアルなところだろう。
研究のスポンサーだったCEOはかなりノンデリのクソ野郎だが。

さらに付け加えると、自らが先駆者である専門領域での事故にも関わらず、教授は娘を探そうとしていなかった。ディズニー作品で登場しがちな「希望を諦めた大人」の図になっている。

そしてヒロの復讐について。
ヒロもまた、兄を奪われたのだと思い込んでいた。しかし事故である説が濃厚だ。
教授のようにならなかったのは、前項でもふれたように兄の思いが伝わったからだった。

どちらの復讐も、正当化されれば、タダシの遺志が軽んじられかねない。本作で鍵になるのは、人々を助ける発明を追究するタダシの「願い」であり、最優先の事項である。

タダシは、弟が悲しい選択をすることを望まないだろう。さらに、真相が事故となれば、それはヴィランと何が違うのだろう。正当化できない復讐は、むしろヒロに正しい道を選ばせるための展開であるように感じた。
いずれ、娘を取り戻した教授も事故のことを許せるようになる。

残酷な運命に翻弄されながらも、両者はタダシの遺志のもとに救われたと言えるのではないだろうか。ここにディズニーの優しさを感じずにはいられなかった。

主題歌、良

日本的要素を多分に取り入れた本作、主題歌はあのAIが担当している。そう、あのパワフルボイスの。
そして楽曲はあの「Story」である。

「Story」の歌詞を読んでみて「イメソンやないかい イメソン選手権優勝やないかい」と思った。もちろん英語版が制作されており、原曲の日本語版とは少し歌詞が違うようなので注目したいポイントだ。

そのほかの所感

ケアロボットに翼は必要だよな!?とか、最後のあたりシンギュラリティ起きてない?とか、ハニーレモンが可愛いとか、語りたい点は尽きないのだが、書き残したいことは書けた。

ディズニー作品において、夢や希望、願いを諦めないことは魔法とイコールであり、シリーズ全体のキーワードになっている。『ベイマックス』でどのように表現されるのか想像もつかなかったが、兄の受け継がれる「願い」には感動した。

エンドロールの取材協力に早稲田や東大の名前があったり、ギフテッドチルドレンを支援している団体の名前があるなど、発見があり面白かった。
同時に流れるイラストで後日談が垣間見れるところが好きだ。そういうの大好き。タダシ・ハマダビルが建設されてるの良いよね。

ベイマックスのハッピーライドに乗る、またはハーモニー・イン・カラーを観覧する予定がある人は全員観てください。

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