<七つの罪と施し>①
二十四節気の大雪を迎え、その大雪の初侯である閉塞く冬と成ると言われるように、ここ数日は冬本来の寒さになっています。
立冬過ぎの生まれではありますが、寒いのが苦手です。元来厚着をするのが嫌いなクセに、すぐに手足が冷たくなってしまうことが苦手の原因だと思っています。(←単に血流が悪いだけだと思われる💦)
それでも、頬にあたるキンとした北風や鈍色した空が苦手というわけでもありません。寒いのが苦手と言っていることと矛盾しているようですが、五感で味わううちの眼で楽しむことは四季を通して味わっていたいのです。
先日訪れたお寺に七体のお地蔵様がいらしており、その頭上に『無財の七施』が掲げてありました。『無財の七施』とは、仏教の教えである「雑宝蔵経」は与えるための財産や物がなくともできる施しができますよと説えたものです。
七つという数字を見て、カトリック教会の「七つの罪源」が思い浮かびました。『七つの大罪』と言った方が一般的かもしれません。昔ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが出演した映画「セブン」がこの『七つの大罪』を題材にした作品でした。
あらためてこれら『無財の七施』と『七つの大罪』は決して比して異なるものではないような気がしています。
『七つの大罪』も各々に対峙する七つ項目があります。それらを見ていくと不思議と『無財の七施』と繋がってくるように感じます。
知っていたようで知らなかった『無財の七施』と『七つの大罪』。ひとつ一つ掘り下げていったら面白そうだなと思いました。
そこで、今日から少しづつ『無財の七施』と『七つの大罪』紹介していこうと思っています。
『無財の七施』
一、眼施(がんせ)
優しい眼差し
いつも澄んだ清らかな眼で人をみましょう
そうだなあ、澄んだ清らかな眼というか気持ちで人や景色を見れば鮮やかに浮き出てくるんだろうな。
私は左の眼球が飛蚊症で(←なぜか左側が病いのターゲットになる)常に虫が飛んでいる状態ではあるけれど、お気に入りの推しメンや大好きな景色を見る時には鮮明に映ってくれるものね💖
加齢とともに澄んだ清らかな瞳でいることは難しいとは思いますが、それは身体的な問題であって、心を平穏に保っていれば幾つになっても眼施はつくしていけるのかも、しれません。
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