レムからの誘い
私は気づくと深い森にいた。
今が朝方なのか、深夜なのかさえ判別しがたいほど、森の中には光が射し込んでいなかった。
私の周りには岩なのか、古株なのか見分けがつかないほどに深緑色し苔に覆われたゴツゴツとした物がそこかしこに点在していた。その苔生したゴツゴツとした物の上に、ところどころ私たちは毒を持っていると主張しているような色鮮やかなキノコが数ヶ所自生しているのが見えた。
私が眠りに落ちてから数時間ほどしか経過していないはずであるから、もう深い眠りについた頃だと思う。それなのに、今、なぜ私は夢を見ているのだろう。
この森にいること自体が夢ではないとしたら、なぜ私は、このような深い森に辿りついたのだろうか。
心の迷いが選ぶ道を誤ってしまったというのだろうか。いや、確かに私は深い眠りへと落ちていったはずだ。
レムからの誘いに乗らないために、脳を静めるために、多くの薬餌に頼っているのだから、強固に彼らからの誘いを拒めるはずだ。
「さあ、こっちへおいで」
とレムの甘く優しい声がする。
「何を、そんなに恐れているの? 怖がらずにおいで」
レムに促されても、私の心も身体も動くことはないはずだった。
夏服のワンピースが樹々たちが発する吐息でじっとりと湿っているように感じる。この感覚さえも夢の中の出来事だというのだろうか。
「心配することなんかないよ。ゆっくりと歩みを進めればいいのさ」
レムの白く輝く腕が伸びる。
「さあ、こちらへおいで」
レムの腕は、太く逞しい。白く輝くその肌に翡翠色の血管が浮かび上がっている。
「どうしたの? 次の世界へ飛び出したいんだろ? さあ」
その声は森の主なのか、天上の神なのか。
「暗すぎて、何も見えません」
私は、やみくもに叫んでみた。
「それでは、一筋の光を与えよう」
その声が脳裏に響いたかと思うと、巨木に覆われた遥か先から眩い光が私の足元に差し込んできた。
その光はゆっくりと移動して、私を森の奥へと導いていく。
「さあ、光の上を、ゆっくりと進みなさい」
私は一歩、また一歩、ゆっくり地面を踏み固め、森の奥へ進んでいった。
まだ誰一人として踏み込んだことがないであろう未開の地を、私は自らの足で歩いている。苔生した岩の上を、たくさんの見知らぬ草花をかき分けて、少しづづ、前へ歩みを進めた。
夏服のワンピースの裾から滴が落ちている。これが己の汗なのか、森の湿気からくる水滴なのか、私自身もわからない。それぐらい無我夢中で歩き続けていた。でも、不思議と疲れは感じなかった。
どのぐらいの間歩き続けていたのだろう。道先案内をしていた陽の光りがだんだんと赤味を帯びてきた。
ふと視線を上げると空が茜色に染まっていた。そして、ゆっくりと丸く大きな月が顔を出した。
「今度は、月明りが道先案内をする。足元に気を付けて進みなさい」
レムの声は、さらに優しさを増し、私は芳醇なワインを飲んだ気持ちに浸った。
「この先には、何が待っているのですか?」
「キミが望む明日だよ」
「私が望む、明日」
私には、レムが発した言葉の意味が理解できなかった。
細く長い光が徐々に広範囲に辺りを照らしはじめた。
私は光の先へ、もう一歩踏み出すと、森は一気に開けた。眩い光とともに目に飛び込んできたのは、碧く妖しく水面を揺らす泉だった。
その美しさは、どのように例えればいいのか私には思いつかなかった。色とりどりに光輝く宝石が水中に浮かんでいるかのように、月明りが反射してキラキラと視覚で楽しませたかと思えば、次の瞬間にはオニキスのように真っ黒に染まった。
オニキスの石のように黒く染まった泉が、再びサファイアやダイヤモンドのように輝きはじめた頃、鳥のさえずりのような音がしてきた。そのさえずりは次第に大きくなっていく。
しばらくすると、猛禽類から逃れる小動物の叫ぶ声がした。
「キィィィ」
という声がだんだん変化していく。
それは、追われる者が発する恐怖にあえぐ声なのか。
「ジジジジジ」
これは、追う側、追われる側、どちらの声なのだろう。
「ピピピピピピ」
鳥の叫ぶ声が、電子音のように矢継ぎ早に発射される。
「ピピ、ピピピ」
発生される声が、また変化した。
「ピピピピーーーー」
その鳴き声に気を取られ、突然、私は泉へと落下した。
「ああ、落ちる」
ドサっ。
「痛たたた」
私の目の前にはクレーンゲームで1500円かけて掴み取った、お世辞にもカワイイとは言えない鳥のぬいぐるみが鎮座していた。
「レム、やっぱりあなたの仕業だったのね」
ぬいぐるみのレムがじっと私を見つめている。
「ピピピピーーーー」
レムは私を見つめたまま、けたたましく鳴き続けていた。
了