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夢想堂、春夏冬中

 その店は、ユトリロの絵画<ベルヴィルの通り>にあるような通りの突き当りに面した場所にあった。本業はレンタルビデオ屋のようだが、店の外に掲げられている看板には『ビデオレンタル・制作屋、夢想ゆめみ堂。あなたの夢、叶えます』とある。またその一方で、小さな試写室のような一角があり、その横には小さな喫茶コーナーもある。一体何屋なのだろうかと想像もできない雰囲気の店だった。
 僕が初めて訪れた時の不思議な感覚は、今でも忘れない。50代後半に差し掛かっているであろう頭髪にチラホラと白いものが混じっている男性が、カップ酒片手に店に入ってきた。男性は、もう片方の手に持ったヨレヨレのコンビニの袋から小さなSDカードをレジに差し出した。
佳代かよちゃん、これ見せておくれよ。また娘から送られてきたんだよ。ミーちゃんが歩いたよって、書いてあってさ」
 そう言うと、カップ酒を持った初老の男性は、入ってきた人相とはまるで別人のような、穏やかな優しい笑顔になっていた。
「あら、まんさん今回は早いのね。子どもの成長って、あっという間ですものね」
「そうなんだよ。前回テープが送られてきたのが、5日前だぜ。ホント、見るのが追いつかねぇよ」
 もうすでにどこかで一杯やってきたらしく、幾分赤ら顔になっている満さんは、快活に笑った。
「じゃあ満さん、ビデオ見るためにも少しお酒を控えて、素面しらふでいてあげなきゃね」
「今日は、もうこれで仕舞だ」
「そうしてね。もうすぐ翔太さんや英二さん達も来るだろうから」
 佳代ちゃんと呼ばれている店主らしき笑顔の素敵な女性は、満さんからのSDカードを受け取ると店の奥にある喫茶スペースに行き、テレビをつけた。すると満さんも喫茶スペースに移りテレビの前に陣取ると、自宅の居間にでもいるかのごとく、カップ酒の蓋を開け、一杯口にした。それからヨレヨレのコンビニの袋からスティック状のチーズかまぼこを取り出し、ビニールを剥き出した。
 佳代さんは、“ポン”と軽く満さんの肩をたたいてから、僕の方へ戻ってきた。
「ああ~、お待たせしちゃって、ごめんなさいね。で、ご用件は?」
「あの、こちらでは身分証明なしで古いビデオが借りられると書かれてあったので、あの、ちょっと寄らせてもらったんですが」
「あ、ハイ、ビデオの方ね」
「ホントに大丈夫なんですか?」
「ええ、うちは大手のビデオ屋さんと違って、最新の作品はないし、管理が行き届いていませんから。それに古いビデオを再生できるご家庭も少ないしね。で、何という作品がご希望ですか?」
 佳代さんは、アンティークものなんだろうかと思わせるほど、年代を感じさせるレジスターの前で微笑んだ。その微笑みは、弥勒菩薩みろくぼさつのように穏やかで、アフロディテのように温かみを帯びていた。
「アパートメント・ゼロ……」
「まぁ、渋い作品を探しているのね。確か、揃えてあったと思うけど、少し待っててくださいね」
 と言うと、佳代さんは書籍棚の一角へ向かった。ぎっしりと詰まった書籍棚の一番右側に数十本のVHSビデオと高さがマチマチなDVDが並んでいる。よく見るとビデオやDVDのパッケージのタイトル文字はネームラベルが貼ってある。なぜわざわざ、こんな面倒なことをしているのだろうと違和感を覚えたが、その回答が数日後にわかり、このまま借りていて大丈夫なのかと不安になった。しかし、じっと書籍棚を見つめる佳代さんの横顔は、ミッシャの絵画にいる女性のようにまぶしかった。
 しばし佳代さんの横顔に見とれていると、“カロンコロンカラン”と純喫茶の扉についていたようなドアベルが躍るように鳴った。
「ただいま~」
 黒の詰襟に半ズボン姿の小学4、5年生ぐらいの男の子が入ってきた。
「おかえり、今日は早いね」
「うん。今日は火曜だから。ピアノの日だから……」
「そっか、ピアノね。でも、ちょっとマズくない? ま、いいか」
 佳代さんは健太郎と呼ばれる詰襟小学生の帽子を軽く小突いて、小悪魔のような笑みを浮かべた。

                               つづく






昔、昔。まだビデオレンタル屋さんがたくさんあった時代に途中まで書いていた小説。まったく違う形で作品に仕上げたのだけれど、机の奥から、原稿が出てきたので、懐かしくて少し手を加えて連載物にしようかなと。
これから、緋海のスクラップ(ボツ作
)作品集としてまとめようと思っています。





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