《連載ファンタジーノベル》ブロークン・コンソート:魂の歌声
4.スザンナの企みー(3)
「ゴメン」
スザンナの質問を子どもの戯言だと思い込み、軽く受け流そうとブライアンは思った。突然、ピアノの音が途切れた。
スザンナが赤いフェルトミュート布で弦を押さえている。
「ゴメンって、ゴメンって何?」
スザンナは、手にしているロングフェルトミュート布を自分の首へスカーフを巻くかのようにおもむろにクロスさせた。両手に巻き付け、その赤い布の先端を持ったまま、ブライアンに抱きつくようにピアノ椅子に座った。
「ママとなら、いいの?」
と言いながらスザンナは、布の先端をクロスさせていく。
二人の身体が、わずかに近づく。
「そう言うことではないよ」
ブライアンは、このじゃじゃ馬娘をどのように宥めたらいいのか苦慮した。
スザンナは、再び布の先端を今度は強く左右に引っ張った。二人の身体が近づく前に、スザンナの首に絡まった赤い布が締まった。
「やめなさい、スージー!」
ブライアンの言葉を受けて、スザンナはさらに強くフェルトミュートの両端を引いた。
「命令するの? 父親でもないのに」
「やめてくれ、スージー。お願いだ」
「やめて欲しければ、私を愛して」
“愛して”と懇願するスザンナをブライアンは見つめた。
「君は、愛されるということを誤解しているようだ」
ブライアンの顎を甘噛みしているスザンナの瞳の色が、次第に冷たく凍りつく氷山の色へと変わっていった。
「私を子どもだと思ってる? 私は子どもじゃないわよ。ママと、クレスタと同等に仕事をしている。今まで、パパ達には同等に愛されてきた。拒むのは、ブラアイン、あなたぐらいよ」
「君のことは好きだか、これは君が思う愛じゃない。心から愛されたいと思うのなら、こんなことはしてはいけない。僕は君もママも好きだが、愛しているのは、ウィリアムで、僕はゲイだ」
刹那、スザンナの呼吸が制止した。そして、ゆっくりとブライアンから離れる。
「何それ。それで私を納得させたつもり?」
スザンナは赤いフェルトミュート布を手にしたまま、よろよろと立ち上がった。それから、クロスさせていた布を思い切り引っ張った。
床に倒れ込んだスザンナの顔は鬱血している。薄緑色の瞳が虚ろに浮遊する何かを見つめている。駆け寄るブライアンの顔だとスザンナが認識することはできない。意識が朦朧としているようだ。
「ねぇ、これがトランス状態っていうの? 自由になった気分よ」
スザンナはつぶやいてみたが、ブライアンには聞こえない。
運が悪いことに救急車よりも先、ブライアンと打ち合わせの予定があったクリスタが来てしまった。ブライアンの部屋で横たわる愛娘スザンナは、赤いフェルトミュート布が傷口から流れる鮮血のようで、すでに絶命しているようにクリスタには見えた。
「何てことを!」
氷山が浮かぶ湖底に沈み行くスザンナ。スザンナの瞳は、手を差し伸べないでと訴えているようにクリスタには感じた。その視線は、遠い宇宙を捉えているようであり、冷たく暗く、そして深い湖底を摸索しているようだった。
「僕じゃない、クリスタ、信じてくれ。僕は彼女には何もしてない。彼女が、スージーが」
ブライアンの狼狽ぶりが、クリスタには滑稽でならなかった。
ここで笑おうものなら、何という母親なのだと今さらながら思われる。必死で耐えた。この子は、またもやってくれた。クリスタは、そう思うことで笑うことをこらえた。
「この子は、魔女なの」
そう吐き捨てるようにつぶやくクリスタの瞳は光を失っていた。目の前で自分の娘が黄泉の国に行きそうだからなのか。
「え?」
「私は、とんでもない魔女を産んでしまったのよ」
そう言いながら、クリスタは一点を見つめたままのスザンナの頬を撫でた。
数分後、救急隊が到着した。呼吸停止から8分以上が経ってしまっていた。救命救急士から『命が助かったとしても、脳に障害が残るかもしれない』と告げられた。
スザンナは当時ニューヨークにおいて、いや全米において最高の脳神経外科医の下、回復手術が行われた。スザンナは湖底に沈むことなく、見事に回復したが、ステージに立つことは愚か、二度と歌声を聴かすことはなかった。
現場にいたブライアンは、自殺幇助罪に問われた。彼の私生活が次々と公に晒された。スザンナの事件のあと、自殺した人気歌手のウィリアム・キーンはブライアンの恋人だったことが明らかになった。
スザンナは口を閉ざし、表舞台から遠ざかった。