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【エッセイ】「めんどくさい男」VS「めんどくさい女」
物事が思うように進まず、夫が情緒不安定になっている。かれこれ数週間。長い。
聞けば夫はこれまでの人生、挫折を味わったこともなければ、人間関係で悩んだこともなかったという。人生初めてのどん詰まりを経験した夫は、非常に厄介だった。
まず、元々の気質として悲しみの世界に浸ることが好きだ。いわゆる悲劇のヒロインの男版である。
そんな男が本当に落ち込んでしまうと、悲しみの世界と現実がごちゃ混ぜになり、その世界から出たいのに出られない、出たいのに出たくない、苦しい、けど心地いい…というカオスになるようだ。自分の尻尾を追いかける犬みたいに、同じ場所でぐるぐるして苦しんでいる夫の姿を、私はただ見つめるしかなかった。
それはなんともバカバカしく、恐ろしく面倒くさかった。
もう勝手にしろ。
思う存分悲しみに浸っていやがれ。
私はもう知らん!こんな奴、放置だ、放置。私は冷たい人間なのだ。それがどうした!
と思っていたのに、この男、そんなに単純ではなかった。
心が弱っていると、些細なことでイライラするいつもは流せる事柄が妙に引っかかってしまう。流せない。私もこれまで、そういったことでたくさんの爆発を起こしてきた。けれど同時にこういった類の怒りは、案外すぐに鎮火するものである。”なんであんなしょうもないのとにあそこまで怒ってしまったのだろう?”と後に恥ずかしくなって1人反省会をして悶えることもしばしばだ。
だから、夫が私にひどい言葉を言うたびに、”心が弱っているときは仕方ないよな”と自分に言い聞かせていた。けれどその言葉を浴びるたびに、心に、お腹に、頭に、肩に、その言葉がずーんと溜まっていく。全然消えない。
なんだろう、この不快感。
…罪悪感だ。
1週間ほど経ったとき、ふと思ったのだった。この不快感の正体は、夫により植えつけられた罪悪感だったのだ。
夫はイライラはしていない。
だって怒ってはいないのだから。
ただ、”夫は、私が私じゃなかったらこんなに悩まずにすんだのではないか…?”と、こちらがうっかり考えてしまうような巧みな言い方をしているのだ。
例えば前回も書いたような、趣味の不一致。夫は「ごめんねえ、音楽が好きな僕と一緒にいるせいで君は迷惑してるよねえ。。。」と繰り返しながらも、「でもさぁ」と不満をたらたら言う。
冷静に夫が言っていることを要約すると、”僕は変わるつもりはないんだけど、君は僕に合わせられないんだよね?それじゃあ僕たちいつまでも合わないよねえ”といった内容なのである。こんなただの横柄な言い分に、寂しそうな笑顔で”ごめんねえ…”と繰り返されると次第に思ってくるのだ。
「音楽を楽しめない私がおかしいのでは?私のせいなのでは?」と。
謝っているのに、相手を加害者かのように仕立て上げる巧妙な手口である。私さえ我慢できれば何もかも解決するような気がしてくる、一種の洗脳ではあるまいか?
相手の罪悪感を煽ってはじわじわと逃げ場をなくし、ゆっくりゆっくり追い詰めて、最終的に怒らせる。そう、怒らせるのだ。自分が怒るのではなく、相手を不快にして怒らせる。恐ろしく厄介な男である。
自分で怒らないから、そんなに長引くんだよ!!!
我が夫はメンヘラだったのか、それともサイコパスなのか。もしや…両方??
周囲の精神状態に影響を受けやすい私は、お腹辺りがずーんと重い日々を過ごしている。
「私が悪いのだろうか」と自分を責め「いやいや、そういうことではないんじゃないか」と我に返り「でも奴はすごく落ち込んでいる」と私の中にある相手を心配する心優しき部分と、“私といる人は可哀想”という心底に根づいている私の心の弱く柔らかな部分を刺激され「やっぱり私が…」という考えを繰り返す日々。
1週間ほどそのような日々を過ごした私はようやく、そのおかしさに気がついた。
私の脳内に危険を知らせるサイレンが鳴り響く。
”シキュウ メンヘラ サイコパスオトコカラ ヒナンセヨ!”
夫と物理的に距離を置く。必要以上に顔を合わせない。夫の方も、口を開けば傷つけてしまうという自覚もあり、それは本意ではないようで、適度な距離感が保たれた。
その間私は、どうしたらいいのかわからずオロオロした。距離を取っても、私が悪いのではないかという思い込みは簡単には消えなかったからだ。
とりあえず、爪を磨いた。(爪を綺麗にすると運気があがるって何かできいたから)
とりあえず、鏡と水まわり、床をいつもより意識して清潔に保った。(運気を上げる掃除場所の上位だったはず)
オロオロしたあげく、運気を異様に気にしていた私なのだった。誰も壺とか売りに来なくて本当によかったと本気で思う。
気分転換にと、気になったカフェのモーニングに一人で行った。緊張で汗びっしょりになったけど、コーヒーが美味しかった。
精神が不安定になればなるほど夜更かしして寝不足になり、さらに精神が不安定になるという悪循環に陥りやすい事を自覚している私は、恐ろしく早寝になった。なんたって、身近にメンヘラ・サイコパス男が控えている。いつ攻撃されるかわかったもんじゃないのである。
野菜も積極的に食べ、適度に自分を甘やかす。
気がつけば、いつもより丁寧な生活を送っていたのだった。
数日後、滞っていた物事の1つが動き出してご機嫌になった夫。まだ完全ではないけれど、9割回復したのだとか。
そのテンションのうざいこと、うざいこと。まるで1人テーマパークのようなテンションの乱高下。振り回されるこっちはたまったもんじゃない。
巻き込むんじゃないよ、こちとら豆腐メンタルなんだよ、このやろう。心配していたはずの夫の久しぶりの笑顔を見て、ホッとするどころか憎たらしくなった。
もしかしたら夫のこれは、俗に言う「めんどくさい女」と言われる女性が用いるテクニックなのではないだろうか。自分を傷つける相手と、相手に傷つけられて可哀想な自分という構図を作り出し、相手の罪悪感を突いて気を引こうとするあれだ。つまり夫は、メンヘラでもサイコパスでもなく、ただの「めんどくさい男」だった。
なぜ“そういうことをすると男性は逃げてしまう”と言われているのかを、身をもって実感した気がした。私も気をつけよう…。
さて、テンションの上がった夫は何故か花火を買ってきていて、今からやろうとうるさい。
時刻、朝の8時半。場所、リビング。
ふざけんじゃねえ。