「さよならのつづき」は純愛だという話がしたい。
なんだかんだ2回観たが、1回目は最終話を終えても「結局誰と誰が運命で、さえ子と成瀬は恋だったの?」という疑問が消えなかった。
というのも、移植手術以前にさえ子と成瀬が出会っていたと分かったあの雨の日のシーンで、私はすっかり「さえ子と成瀬が運命だ」というミスリードに乗せられていたからだ。
しかし2回目で、いや違ったなと考えを改めた。これはただただ純粋に「成瀬が雄介に憧れたシーン」である。雨の中小躍りする元気男とそれに楽しげに小言を言うしっかり者をみて、成瀬は真っ直ぐ自分とミキを重ねていた。だからミキに「ドナーを受けて元気になったら、ミキと喧嘩したい」と言ったのだ。他の誰でもない、ミキと。
成瀬はそのことをさえ子とセックス「しなかった」帰り道で思い出す。雄介を抜きにした本来の成瀬が愛しているのはやっぱり一貫してミキなのだ、と自覚したのだ。この作品で扱われる「運命」がさえ子の言う通り「選んだ先にあるもの」なのだとしたら、セックスしなかった、つまりお互いに選びきれなかったさえ子と成瀬は運命ではなかった。
では何を描きたい作品だったかと考えると、やはり雄介とさえ子、成瀬とミキの純愛だろう。後半はむしろ「選ばない」を強調することで逆説的に運命を浮き彫りにさせているようにも感じた。
雄介とさえ子の純愛は言わずもがな「記憶転移するほど」と「心臓に縋るほど」の強い気持ちのことだ。
では成瀬とミキはどうか。
成瀬は可哀想なことに雄介にハチャメチャ振り回されているので、その純真性は見えづらい。坂口健太郎のフルパワー幸薄誠実演技でねじ伏せられているもののあまり援護できるもんではない。
それでもやはり成瀬は「さえ子に惹かれた」のではなく「雄介になりたかった」のだと思う理由がある。ハワイで夕食を食べるシーンだ。以下は成瀬の台詞の文字起こしである。
「いつかお酒とかも飲めるようになるのかな」
「一番の憧れは、何考えてんだ〜みたいな……んー、バカやる人?面白い人!」
「常に人に迷惑かけないように大人しく生きてきたからかな、生きてるだけで心配かけてるし」
ここまで書いておいてなんだが、「雄介になりたい」というのには語弊がある。本当の願いは「バカをやっても面白いと受け取ってもらえる人になりたい」だ。雄介かどうかは関係ない。ただ、土砂降りの中で踊っても心配かけないくらい元気で心配いらない人に成瀬はなりたかった。そしてそれを叶えられるのは、もうすっかり元気だよと嘘をついたさえ子の前だけなのだ。さえ子の前だったら、「雄介の心臓とのお別れ」という盾を借りて元気で心配いらない人になれるのだ。そういう、振りができるのだ。それが成瀬の本当の願いだったはずだ。
ミキはそんな成瀬の願いを汲んで、雄介という盾すらも打ち砕いてあげた。雄介としてではなく、成瀬として接してくれと、病状を知りすぎている妻という関係じゃ叶えてあげられない成瀬の本当の願いを、さえ子に託したのだ。
だから夕食の席で「ごめん、雄介さんとしてくるとか言って、成瀬の……自分の話ばっかりしちゃって」と言われたさえ子は「何言ってるの?全然、楽しいですよ」と言う。
「ホント?俺の話」
「うん。楽しいし、知れて嬉しい」
「そうか」
「うん」
「よかった」
他の誰でもないさえ子に頼むというミキのそんじょそこらではない愛を受けて、さえ子も腹を括ったのだろう。雄介の心臓を持つ成瀬としてではなく、元気で心配のいらない成瀬として、あくまでただの成瀬として接した。もし成瀬が本当にさえ子と雄介のためにハワイに来ているなら「ホント?俺の話」なんて言わない。「いやいや来た意味ないし、もっと雄介さんの心臓に従うよ!」とか言うはずなのだ。
だからこの時成瀬の気持ちになって、2回目の視聴は涙が出た。今までずっと心配をかけてきて、妻にも家族にも迷惑をかけて、お酒飲んだら〜なんて話も気軽にできず、やっと元気になったと思ったら雄介に振り回されて。
でも漸く成瀬は、ずっと憧れていた元気な自分として、現実に存在できたのだ。
今回の本筋とはずれるが、私の考察にも満たない感想として、さえ子は成瀬を多少は好きだったんじゃないかと思っている。個人個人の定義によって変動するくらいの不確かな恋愛感情は、あったんじゃないかと思う。丘の上で心臓の音を聞いた時と、ハワイの夜に聞いた時で、表情があまりに違う……ように思った。雄介の心臓の音を聴きながら、心は成瀬との別れを思っているように見えた。まあでもやっぱり健吾に「今度は同じ人を好きにならないようにしようね」と言っているので、今現在は雄介が好きな人ということになるし、成瀬のことはノーカンなのだろう。たとえ成瀬に動いた感情があったとしても、今現在は雄介を好きとしたことは事実で、これは紛れもないさえ子の雄介への愛故である。まあだから結局分からない。一個人としては恋愛感情あったかもな、と思うけど、なくてもいいな、と思う。
兎にも角にも、見方を変えれば不倫どころか随分純愛なドラマだったということが言いたい。
さえ子は雄介の心臓が絶えるその間際まで傍にいられた。雄介も成瀬の死に引っ張られて心臓の記憶が絶えるわけではなく、ピアノのSMILEの意味を教えてからまるで成仏するようになくなった。
成瀬は死に際一途に好きだったミキをりんごと共に瞳に捉えて亡くなったし、ミキは雪の中自分の元へ走る成瀬をみてすべてを理解していた。
「さよならのつづき」を簡単にまとめれば、心臓移植のせいでみんな自分の気持ちがどこに向かってるのか混乱するけど、結局は元ある自分が愛した人をずっと愛していた、という話だと思う。素敵じゃん。やっぱり純愛じゃん!
見方を変えれば楽しめることっていっぱいある。1回目ウーン?と思った作品をこうやって素直にいいなぁと思い直せたことが嬉しい。世の中にいいなぁと思えるものはひとつでも多い方がいい。いい作品に出会えてよかった。
ただひとつ、未だ消化不良の下りがひとつある。
………………あの熊のシーンはなんだったんでしょうか。