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第3回 迂回は二点を結ぶ最短コースである

「迂回人生」は楽しい。
いつもゆったりと「大きな夢」を追いかけられるからだ。
夢が大きすぎると、ときには軌道を踏み外し「大けが」をする。
それでもひるまず前に進む。
また、大けがをする。
心も身体もずたずたになる。
それでも、立ち上がって前に進む。
 
ぼくの人生は「迂回人生」そのものだった。
これからも続く。
いつ頃からか… 迂回は「二点を結ぶ最短コース」だと考えるようになった。
 
 
 
ぼくは社会人になってから数えきれないほどの本(専門書)を読んできた。
専門分野を究める。これは、若い頃からの目標だった。
知識(専門知識)を蓄え、独自の理論を構築し、みんながあっと驚く「独自性の高い仕事」を通して、自らの成長を図る。
そして、社会に貢献する。
これが一貫したぼくの流儀だった。
仕事に生きがいを感じる人生が、ベストな生き方だと信じて疑わなかった。
 
 
新しい知識を修得すれば、修得した喜びがある。
卓越した仕事をすれば、人に言えない充実感が残る。
ぼくは、仕事が楽しくて有頂天になっていた。
この喜びや充実感が、ぼくの「生きがい」だった。
仕事は順調だった。
思い描く人生をまっしぐらに歩んでいる。と思い込んでいた。
 
 
でも、違った。
10数年前のあるとき、
ぼくは、自分の生き方が間違っているのではないかと疑問を持った。
ぼくの身体の中を「隙間風」が吹き始めていた。
何かおかしい。
何かが狂い始めている。
不安が募った。
でも、不安の正体は解明できなかった。
目先の多忙と、今までの自信が、その不安をもみ消していたのだ。
 
気になった。
気になって仕事が手につかなかった。。
ぼくは、いったん歩みを止めた。
仕事をキャンセルし、1か月の「空白時間」を持ち、自分だけの時間をつくった。
 
 
仕事に落ち度はないはずだ。
セミナーなどで、ぼくの話を聞く受講生の反応は良かった。良い顔をして聴いていた。質問にも丁寧に応えた。
不安に駆られながらも、思い当たる節はなかった。
 
念のために「日記」の再読を始めた。1年前からゆっくり読み始めた。
そこには…
有頂天になり、慢心しているぼくの姿があった。
後悔が走った。
 
 
☆☆☆
 
われわれは毎日、同じような日々を過ごしている。でも、同じ日は1日足りともない。
  日常も
  仕事も
  学習も
  人との出会いも
  人間関係も
  家族との対話も
  遊びも
  自分の周りに起こるさまざまな出来事も
  天気も季節も
  そして
  体調も
  同じように思えてもすべて違う。
 
こんな時間の流れの中で、われわれはさまざまな「喜怒哀楽」を経験している。
平穏な日々を過ごしていると、日々の違いはある程度分かる。
でも、多忙を極めていると目先の出来事に一喜一憂し、日々の喜怒哀楽に対する関心が薄れていく。
それだけではない。
このような状態がしばらく続くと、喜怒哀楽に鈍感になり、挙句の果ては心の働きも鈍くなる。そして、やがて人間としての魅力をも失っていく。
 
 
ぼくは仕事に追われ、日々に追われ、この人間としての基本的な営みを蔑ろにしていたのだ。
 
 
 
学習は二種類ある。
1つは「知識」を修得する学習
もう1つは「感情」の学習、つまり、感情を豊かにし、心を大きくする学習だ。
 
人間は「感情の動物」であり、心も備えている。
 
だから、喜怒哀楽に敏感であればあるほど毎日が楽しくなる。
日々、些細な(喜怒哀楽との)出会いに気付く。
喜怒哀楽の核には「感動」が潜んでいる。
その感動に毎日触れ(感動と)仲良くなる。
ぼくは、大きな感動より「些細な感動」をより大切にしている。
大きな感動は誰でも感じる。
でも些細な感動は、ほとんどの人がそれに気付かずスルーしている。
 
今、大切なこと。
それは、みんなが無意識にスルーしているな些細な感動を感じ取る「感性」を蓄えること。
日々、些細な喜怒哀楽との出会いがあれば、日々感性が鍛えられる。
今まで気付かなかった(細部の)世界と接する機会が増え、新しい世界が広がっていく。
 
 
併せて、
日々のその感動を「記録」に残す。些細な感動を記録に残す。
ぼくは日記にその感動を記している。
記録に残せば良いことがいっぱいある。
 
夕方、日記帳を開く。
1日を振り返る。今日の出来事と喜怒哀楽を書く。
感動が蘇ってくる。
それを夢中に書く。
夢中に書いていると、些細な感動がいつの間にか大きな感動に変わっている。
急に成長したような気分になり、その良い気分に浸る。
さらに、
感動は新しい「発想」を呼ぶ。
また1つ賢くなった、と浮かれた気分で1日を終える。
 
 
失敗の回数が増えれば増えるほど「迂回人生」になる。
みんな失敗は避けたいと思う。
でも「失敗は成功の基」 失敗の後に予期しない展開がある。必ずある。
次のステージに向かう「架け橋」ができる。
その先には、新しいステージがある。初めて見る世界だ。
新世界は居心地が良いので暫くおとなしくしているが、すぐ悪い癖が出る。
新たなる挑戦が始まる。
そして、失敗する。
こうして迂回を重ね、歳を重ねていく。
 
もともと人生に「直線コース」など存在しない。
最短コースで野望を手に入れたとしても、それはあくまで「結果」である。
最期のときを迎えて億万長者になるか、
さまざまな困難にめげず挑戦を続け傷だらけになっても、自分が思い描く人生を頑なに目指すか。
 
人生は、結果などどうでも良い。
「プロセス」がすべてなのだ。
 

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