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【エッセイ】飛びこんでみたら最高だった。

プロローグ
 

 結婚の決め手って、何だろうーー

 好きな人と、ずっと一緒に居たいから。
 好きな人との子どもを望んでいるから。
 結婚適齢期だから。
 一生、独りは寂しいから。
 子どもを先に授かってしまったから。
 長く付き合っているから。
 只、何となく。

 この世の中に居る、既婚者達。

 一組、一組、それぞれの決め手が、無限にあるだろう。正しい決め方なんてものも無いのだろうし、あったとしても、きっとあやふやで、曖昧なものかもしれない。
 幸せの形も、人それぞれであるように。

 家族や友人、職場の人達の結婚式に出席する機会の多い年齢だった頃。
 心から嬉しかったし、見ていても幸せだった。喜びの余り、感極まって泣いた。
 何より、大切な人達だからこそ、いつまでも永遠に幸せが続くよう願った。
 今でも、願っている。
 
 結婚願望が無かった私は、もう、その時点で欠陥人間だったのかもしれない。
 だから、幸せなシーンを見届けた後は、結婚の「理由」を探す。
 身近に居る、あらゆる既婚者達に、
「◯◯さんが、結婚した理由って何ですか?」と、度々謎の情報収集をしていた時期もあった。
 只々、純粋に疑問だったし、知りたかったのだ。

 自分には見当たらない願望の、始まりが。


壱話 「ダメンズよ、さようなら」

 
 私の職業は、看護師です。
 良い人は沢山居ましたが、私が選ぶのは、世間では俗に言われる、大抵、ダメンズ。
 酒癖が悪い。
 酔うと(いや、酔わなくても、たまに)ちょっぴりDV気質。
 ギャンブラー。
 口先だけの男、など。
 最後にお付き合いしていた男性は、歳上の方でした。四年近くお付き合いしましたが、一緒に居る事に、どんどん辛くなっていきました。
 女性はこうあるべき、というモラハラ言動が多く、強めなナルシスト気質。
 その他にも、沢山の色々が積み重なった、或日あるひ、気持ちは限界を迎えました。
「もう、無理です。別れてください」
 連絡先は全て抹消。
 
 ダメンズよ、さようなら。
 ダメンズウォーカーだった私も、さようなら。
 私が、私で居る為に。


弐話 「婚活パーティーに、行ってみたい」

 
 或日、雑誌を読んでいると、「婚活パーティー」というワードを目にしました。
 何、その、未知のパーティー。
 一体、どんなものなの?
 結婚願望は、ありません。
 ですが、何故だか無償に気になったのです。
 行ってみたい、やってみたい。
 それからというもの、「婚活パーティー」、「婚活イベント」など、度々目にする事に。
 人は、気になる事があると、自然とその事に対して敏感になるというか、やたらと目に入るようになるのですね。
 後日、友人に「婚活パーティー」の話をしてみました。
 
 どんな場所で、どんな事が繰り広げられるのか、知りたくないか?と。
 
 友人は二つ返事で、快諾。
 取り敢えず詳しく調べてみると、ほぼ連日、タイムリーに繰り広げられているではありませんか。看護師・保育士限定、公務員限定やら、年齢で組まれていたり、多種多様なパーティープラン。
 しかも、女性は会費が安かったり無料だったり、公務員が相手だと、逆に男性が安いという、金額設定。それだけ人気があるのでしょう。
 こりゃ、思っていたより、凄いぞ。
 ですが、真剣な出会いを求めていた訳では無かったので、会費の安かった職業安定している人達が参加する「街コン」とやらに行ってみることにしました。

 そして、当日。
 ドキドキしながら受付けをし、プロフィールカードというものを記入し、中に入りました。
 席に着こうと見回すと…。
 人数、少なっっ!
 たまたま揃わなかったのかもしれませんが、男女共に、十名ずつも居なかったと思います。
 心の準備もそこそこに、早速、開始。
 女性が座っているテーブルに、五分毎に男性が順番に回ってくるスタイル。プロフィールカードを交換し、質問を含め会話をするのですが、それが又、かなり緊張しました。
 何を話したかなんて、数分後には記憶にございません。
 ですが、容赦なく男性は回ってくる。しまいには、お相手の番号も分からなくなる始末。
 カップル成立の為には、希望用紙に必ずお相手の番号を記入しなくてはならないのですが、番号を覚えていない私達は適当に記入し、終了。マッチングしなくても、あらかじめ準備されている小さなメモに連絡先を記載し、気に入った方に渡せる事も知りました。
 私も友人も、そのメモを何通か渡されましたが、空腹と疲労により、ランチをしながら反省会。
 次こそベテランになろうと、翌月には二度目のパーティーに参加しました。男女共に三十名近くずつおり、前回とは比べ物にならないほど賑わっていました。
 案の定、回転寿司の様に殿方が回ってくるスタイル。人数も多いので、意外にも話が盛り上がり、ええ?もう五分経ったの?と、思う方もいらっしゃいました。
 今回は忘れないよう、紙の隅に番号をメモしてみましたが、やはり何人かと話す頃には、顔も番号も一致しなくなり、途中からは、「ランチ、何食べよう?」と、脳が記憶する事を放棄しました。
 リベンジ終了のゴングは鳴り、番号を適当に記入して提出。何組か、カップル成立の光景を見ることができました。
 私達はマッチングはしませんでしたが、出口では、この後お茶でも、と、声を掛けて頂いたり、連絡先の書いたメモを渡されましたが、お茶は丁重にお断りし、ランチへ向かいました。
 
 学びました。
 私達に、「婚活パーティー」は、向いていない。知りたがりで行くものでは無いのです。
 だからこそ、お相手の顔も覚えていられない。

 何事も、本気度が重要。


参話 「井の中の蛙」

 
 ベテランにはなれなかった婚活パーティーの後は、フリーを謳歌しながら過ごしていました。 
 彼氏という存在も、欲しいような欲しくないような。
 興味も沸くような、沸かないような。 
 無理してどうこうする事でもない。 
 ですが、そんな或日。 
 登録していた婚活パーティー会社から、婚活案内のメールが届いていました。
 メールを見てみると、そこには、『自衛隊✕エクシオ 婚活パーティー』の文面が。
 確か、このようなタイトルでした。  
 
 ――自衛隊、ですと?
 
 自衛隊といえば、国防男子。 
 婚活パーティーに興味を持つ半年くらい前に、友人に誘われ、女三人、某自衛隊駐屯地のイベントに行った事があったのですが、初めて見るリアルな演習に、興奮を覚えた記憶が、鮮明に蘇りました。
(そりゃ、動画に撮っていましたのでね) 
 思えば私も、一時は看護師ではなく自衛隊に入りたいと思っていた時期もありました。
(腕立て伏せできないので諦めましたけどね)  
 そして、思い返すと二十代の頃、当時働いていた病院の日帰り旅行に、朝霞駐屯地の見学を組み込んだのも、私だったという事まで思い出しました。 

 突然の、「自衛隊熱」、再燃です。 

 メールの内容を読み進めてみると、何やら、女性の出席人数が不足しているとのこと。 
 安定の国家公務員。
「え〜、でも〜、お高いんでしょう?」 
 と、通販番組のような独り言を呟いていましたが、何と今なら割引価格。
 設定金額よりも、だいぶお安い。 
 ……行っちゃう? 
 勤務表を見てみると、ちょうどその日は、夜勤明けでした。 
 ……行ってみちゃう?
 三十分程悩んでから、出席ポチリ。 
 そして、友人に早速LINEで報告しました。

「私、アウトドア要員、捕獲してきます」と。 
 
 そう。趣味は、アウトドア。
 大勢だと楽しいですから。
 でも、一番の理由。

 それは、私は、医療者であること。 

 私のような看護師を含め、大体が病院やクリニックなどで働いて居ると思うのですが、会社勤めの方のように、様々な業種の方と関わる事って、殆どありません。 
 盆暮れ正月やGWなど、巷の当たり前の休みは、大抵当たり前に仕事をしています。
 そうなると、お付き合いする方も、大体が医療関係者になっていました。 
 時間も不規則。
 家族にでさえ、理解して貰えない時もあり、その点同業種だと、色々な意味で理解し合え、楽でした。
 ですが、逆を言えば、人間関係にかたよりがある事も感じていました。
 そんな日々の中、突然届いた異業種交流の案内メール。

 それは、「井の中のかわず」が、ほんの少しだけ大海を見れるかもしれないという、荘子そうしからのお導きに思えたのでした。 


肆話 「アイツ、いい奴だな」


 国防男子との婚活パーティー当日。
 夜勤明けの疲労と緊張により、おかしな精神状態で、たった独りで現地入り。
 場所は、地元では人気のある釜飯屋でした。
 会場に入ると、そこはまるで披露宴会場のように円卓が並べられており、指定されたテーブル席に着きました。
 国防男子と参加女性が交互に配置され、本日のスケジュール説明が始まりました。
 説明を聞きながら、不自然にならない程度に、国防男子と参加女性をチェック。
 うん、いいぞ。
 皆、熱意に溢れ、良い表情だ。
 是非ともカップル成立となって欲しい。
 まるで主催者側の目線。何しにきたんだ、私。
 ハッと我に返ると、説明は終盤。話、聞いてろよ。
 取り敢えず、周りに合わせていく事にしました。
 最初は、右隣りの国防男子との会話からスタート。
 私よりも二つ下の、眼鏡の国防男子さんでした。その方は当直明けで、出席は上司から強制参加を余儀なくされたようでした。独身、彼女無しだから、お前は出ろ、と。でも俺は早く帰って寝たいんだ、と。
 噴き出しました。そんな感じなのね。眼鏡男子さんには、気を遣わず、会話が弾みました。
 そして、いよいよあの回転寿司タイムがやってきましたが、今回は人数が凄い。
 すると、眼鏡男子さんは、「じゃ、行ってくる」と言い残し、次の席へ流れて行きました。
 様々な国防男子さんがいらっしゃいました。
 何者をも視界に入れない勢いで、只真っ直ぐを見つめ自己紹介される方、女性慣れしている方、落ち着いている方、普通の方、自己紹介だけで固まる方、緊張の為か挙動不審な方。
 あの、すみません。挙動不審は、伝染します。
 全員と対面を果たし、最初の面子が戻って参りました。
 眼鏡男子さんは、疲れ切ってボロボロでした。うん、早く帰って寝た方が良い。
 その後は一旦トイレ休憩を挟み、今度は、お気に入りの方へのアプローチタイム。
 御目当てへ向け、命を掛けた国防男子からの射撃開始です。
 私は席から離れず、座ったまま。眼鏡男子さんは、「あれ?行かないの?」と言ってきましたが、私も夜勤明けなのですよ。電池、切れかけなんですよ。
 その時。
 飲み物を口に運ぼうとすると、立て続けに何人か私の所へやって来て下さいました。ありがとうございます。
 挙動不審男子さんもやって来てくれました。 
 私も、挙動不審が伝染します。
 そして、何故か最初よりも、やや多弁です。
 何、これ、国家的な策略ですか?
 その中で、五歳歳下の、チョコレートプラネットの松尾似の国防男子さんとは会話が弾みました。
 私もチョコプラ男子さんも、異業種交流による友人探しが目的。そして彼はここで終わらせず、先輩にも繋げていくという使命もあった様で、お互いの利害は一致し、連絡先の書いたメモを交換しました。
 何より、礼儀正しさに好感を持てました。
 チョコプラ男子さんは、御目当ての方が居たようで、私は全力で応援。
 パーティーはいよいよ佳境に入り、何組かのカップルが成立。
 チョコプラ男子さんの射撃はうまくいった様で、無事にカップル成立し、安堵しました。
 最後は釜飯が運ばれ、食事が始まりました。
 眼鏡男子さんは、疲労によりおかしなハイテンションになっており、「釜飯、旨くね?」、「何やかんや言って、結構、モテてたじゃん」など、終始話し続けておりました。最後には「じゃ、帰って寝るわ〜、またね」と。
 またね、って、我々、連絡先、交換してませんよ、と心の中で突っ込みましたが、「お疲れ様!ゆっくり寝なさいよ!」と、母のような一言を告げ、別れました。
 
 翌日。
 早速チョコプラ男子さんよりLINEが来ました。パーティー会場で話た時と変わらず、礼儀正しい文面。
 流石、日々、厳しい訓練を耐え抜いている国防男子。恋愛感情では無く、人として仲良く出来そうだな、と、改めて思いました。
 私の目的は達成された。アウトドア要因捕獲。
 私は、LINEを読みながら、呟きました。

「アイツ、いい奴だな」


伍話 「コイツ、ないわ」

 チョコプラくんとのLINEのやり取りはその後も続き、十二月の或日。
 「営内を出てアパートを借りましたので、鍋パーティーやりませんか?」とのお誘いがありました。タイミング良く、チョコプラくんとの休みが合致し、チョコプラくんは先輩を誘うと言うので、私も友人を誘い、お邪魔する事になりました。
 当日、約束の時間に訪問。中へ入ると、国防男子達は、キムチ鍋やだし巻き卵など、色々な手料理を準備してくれていました。
 感動しながら、「初めまして鍋パーティー」がスタート。
 私も友人もお酒が飲めない体質なのですが、飲む人のテンションには余裕でついていけます。というか、超えます。
 話も盛り上がり、すぐに皆打ち解けました。
 チョコプラくんの先輩は私の一つ下で、布袋寅泰似の、ノリは良いけれど落ち着いており、自然に周りの空気を読める、とても良い方でした。
 
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰り支度へ。最後にLINEグループを作りました。
 国防男子達を、駐屯地に無事送り届け、それから数分車で走った後、すぐさまグループLINEにメッセージが入り始めました。
 私は運転中でしたので、助手席の友人がLINEを読み上げます。
 今日は楽しかった事、又、必ず遊ぼうといった内容。最後は、友人がいささか興奮気味に布袋先輩のLINEを読み上げます。
彩緒あおさんの事、好きになっちゃいそうです」と。
 その時、私は帰り際の出来事を思い出しました。
 布袋先輩と私は先に玄関を出て、友人とチョコプラくんが出てくるのを待っていました。
 すると布袋先輩は、話の最中で、私の頭をポンポンと撫でて来ました。
 嫌な気はしませんでした。
 ですが、私の人生の中で、出会ってすぐに頭をポンポンして来る男性は要注意人物。
 固定観念は、決して良くありません。
 でも、その時は、思ってしまったのです。

「コイツ、ないわ」と。


陸話 「再会と別れ」

 
 鍋パーティーから帰宅後。
 グループLINEの布袋先輩からのメッセージに対し、どう返事して良いのか分からず、その事には触れずに、無事に帰宅した事、又、遊びましょうなどの、当たらず障らずな返信をしました。
 その後も、グループLINEでの交流は度々続いていた或日。
 布袋先輩は、九州への転勤が決まりました。
 そうなんだ、転勤かあ。あちこち行かなくてはならず、大変な仕事だなあ、と思い、個別にLINEでエールを送りました。
 すぐに返信があり、他愛のないやり取りの最中、思い出作りに遊ぼう、と誘われ、ちょうど休みが合った日。
 二人だけで出掛ける事になりました。
 お互い住む場所から中間地点の場所で待ち合わせ、映画を観てランチをし、最後は、元気でね!と別れました。
 ですが後日、もう一度会う事になりました。
 お好み焼き食べ・飲み放題ランチに、カラオケなどの時間を過ごし、今度こそ、本当にさよならとなりました。
 
 そして、三月――
 布袋先輩は、南国へと旅立ったのでした。


漆話 「揺るぎないもの」


 布袋先輩が南国へ転勤してからは、もう会うことも無いだろうし、連絡もなくなるのだろうと思っていました。
 ――が。
 布袋先輩からは予想外の頻度でLINEがあり、その内、電話が来るようになりました。
 私は昔から、何故か電話で話す事に対し、苦手意識がありました。お付き合いしていた方とでも、です。度々、着信に気付かないふりをする程。
 なので、布袋先輩からの初めての電話は、出ようか出ないか、かなり迷いましたが、意を決して出てみました。
 
 ――あれ?
 何か、平気かもしれない。
 
 それ以来、事あるごとに、布袋先輩からの電話は続きました。
 どういう訳か、布袋先輩からの電話はどんなに長電話でも苦痛を感じる事が無く、自分でも不思議でした。
 長い時には、四時間を超える事も。
 なのに、あっという間に感じるという、謎の現象。
 電話の回数を重ねる度、各々の過ごしてきた過去の話や、お互いの人生観、恋愛観など、少し深い内容の話も増えていきました。
 そんな中、ああ、布袋先輩とは、価値観が似ているのかもしれない、と感じ始めました。
 
 私の考える価値観とは――
 例えばですが、人それぞれ、自分の中に、これだけは譲れない、という「揺るぎないもの」があると思います。
 私は若い頃、自分の中の「揺るぎないもの」の範囲が広く、付き合ってる人に対して苛々いらいらする事がありました。
 若さゆえに、一貫していなかったのでしょう。  
 ですが、年齢を重ねる毎に、不要な「揺るぎないもの」は削ぎ落とされ、本物の「揺るぎないもの」が残りました。これがおびやかされなければ良いのですが、そういう方に私は巡り合わなかった。
 何せ、「ダメンズウォーカー」でしたから。
 
 布袋先輩とは、そこが合うんだ。
 
 会話に度々挟んでくる、「やっぱり、彩緒あおさんの事、好きだなあ」という言葉も、冗談として受け流していましたが、私は気付いてしまった。
 
 私も、布袋先輩に惹かれている事に。


捌話 「プロポーズ?」

 布袋先輩に惹かれ始めていると気付いてから。
 布袋先輩からの連絡が二週間と少し、パタリと無くなりました。
 
 あれれ?
 
 気にしていない様で、気になり始めた或日の夜。
 久々に布袋先輩から着信があり、「もしもし」と出ると、「あ、もしもし、彩緒さんですか…?」いつに無い遠慮がちな反応。
 ふざけてるのかと思いましたが、長期の演習から帰って来て洗濯を始めた所、スマホも一緒に洗濯。焦って駆け込みで機種変更をし、データが全てない状態で電話をかけてきたとのことでした。
「良かった!又、連絡とれたー!」
 と、ややハイテンション気味。
 何故電話番号を覚えていたかと言うと、或日の電話で、子供の頃は友達の家の電話番号とか何件も覚えていたのに、今は自分の番号だけで限界という話から、「お互いの番号を覚える」という、アホみたいなミッションを遂行中だったのです。
 意外な所で、本当に役に立ちました。
 
 そして月日は流れ。
 いつもの様に電話で話している時に、布袋先輩は、又、私を好きだと言ってくれました。
 この時は素直に嬉しく、「じゃあ、付き合っちゃえば良いね」と、返事をしてみました。
 すると、「こんなに離れてるのに、付き合うとか無いでしょ!」と、明るく笑いながら、予想外の返答。
 え?今、私、振られたの?
 人生で初めて振られたんだけど…
 え?好きって言ってたけど、どういう事?
 と、軽く落ち込んだ数日後。
「遠距離で付き合うとかは、無いと思う」
 と、先輩は又その話をほじくり返してきました。
 いや、蒸し返して、何回も振らなくて良いから、と思った時――

「俺、挨拶に行くから、結婚したら良いと思う」
 
 ……え?今、何て言った?

 布袋先輩は突然、プロポーズ?砲撃を仕掛けて来たのです。


玖話 「家族、揉める」


 プロポーズ砲撃を受け、幾度も話合った末、私は、布袋先輩と結婚する事を決めました。
 
 後日――
 私は両親に切り出しました。
 付き合ってもいないなんて言えず、真実に、ほんの少しの嘘を混ぜながら、結婚したい相手がいる旨を説明しますが、両親は激昂。
 はい、当たり前の反応だと思います。
 ですが、付き合い始めてすぐに転勤してしまったので、など、少しずつ説得の日々。
 母に至っては、彩緒は結婚しないって言ってたのに…、ずっと一緒に居ると思ってたのに…と、泣く始末。
 はい、そうです、溺愛です。
 かと思えば明くる日には、「あなたが料理なんてできる訳が無いでしょう!」と、キレ始める始末。十年以上、地元を離れて独り暮らしをしていたのでできる筈ですが、実家に住んでから料理はせずに過ごして居たので、反論はしません。
 という訳で連日、両親、私も情緒不安定におちいりました。
 そんな中、布袋先輩は毎日私の話を聞き、励ましてくれました。
 
 でも、何故か、この人に任せれば、きっと大丈夫という安心感が、溢れ出て居たのです。


拾話 「ビールと、挨拶と、入籍と」


 重苦しい雰囲気の日々が一月ひとつき以上続き、いよいよ布袋先輩が挨拶に来る当日――
 空港へ迎えに行く為に出発する私に向け、父は、「絶対に、会わないからな!」と、玄関先で言い放ちました。
 胃の痛みをこらえながら、布袋先輩と合流。
 というか、本当に交際もせず結婚する為に、遠路遥々はるばる飛行機に乗って挨拶に来た、一歳年下の布袋先輩の漢気おとこぎに、改めて脱帽。
 感謝、尊敬、嬉しい、泣きたい、好き、と、あらゆる感情が溢れ出てきました。
 自宅に近付くにつれ、彼にも私の緊張が伝染し始めましたが、意を決して、家の中へ。
 流石さすがは国防男子。
 声の張った挨拶が始まりました。
 え、ここ、部隊ですか?
 すると…。
「いやあ〜、遠くからよく来たね〜、まあ、まず、飲みなさい!」
 お酒を飲む人の居ない我が家の冷蔵庫から、母はビールを出して、彼に渡しました。
 え…?激昂してなかった…?
 布袋先輩も、私も、きょとん。
 ですが、「はい!いただきます!」と、ロング缶のビールを、秒で飲んだ。
 すると、又、ビール出てくる。
 又、飲む。
 この状況、何なの?

 そこから一週間近く滞在し、彼は両親と交流を深めてくれ、無事に結婚を認めて貰い、笑顔で帰って行きました。

 その年の夏。
 彼は又、飛行機に乗って、私を迎えに来ました。
 
 そして――
 2019年7月1日、16ひとろく:30さんまる
 布袋先輩と私は、まさかの交際ゼロ日婚を果たしたのです。


エピローグ

 
 交際ゼロ日婚から、五年が経とうとしている――
 今では、「結婚した理由」を、聞かれる側になった。
 私が知りたがっていた頃のように、それらしい内容で返答をするが、結婚して改めて解った事。
 それは、「結婚は、理屈じゃなかった」のです。
 恋愛も、根本は「人間関係」の構築。
 私が今までダメンズばかり選んでしまっていた、いや、ダメンズウォーカーになっていた理由がそこでした。
 私の場合、「自分を持っていなかった」事に尽きるのです。
 相手はある意味、自分の鏡。
 そういう恋愛を引き寄せてしまっていたのは、自分だったのです。
 付き合うと長く続きましたが、始まりは相手から言われて、のパターンばかり。
 ちゃんと、相手を見ているつもりだった。
 ちゃんと、相手を好きだと思っていた。
 でも、違いました。
 流れにのっていただけ。
 そのほうが、楽だったから。
 自分にも、相手にも、無責任だったのです。
 
 恋愛のその先にある、結婚に対しての理由なんて、他所様よそさまに聴いた所で意味は無く、頭で考える事では無かった。
 だからこそ、理解なんてできる訳が無かった。婚活パーティーという未知の世界に飛び込んでいったのは、自分の駄目さを認めて、変わりたかったからこそ、動くきっかけになったのかもしれない。結果論かもしれませんが。
 今までの私を見抜いていた両親は、敢えて激昂し、私の決意が本物かを、確かめたのかもしれません。
 そして、「交際ゼロ日婚」でも、認めてくれた。布袋先輩の事も、「息子」と、大切に思ってくれています。

 ですが、結婚は只のスタート。
 結婚した後、お互いがお互いを想い、どう構築していくかが、大切。
 私は今も、絶賛、構築中。
 
 毎日、笑いの絶えない事。
 毎日、穏やかに居られる事。
 毎日、一緒に美味しいご飯を食べられる事。
 そして、怪我も無く、無事に帰って来てくれる事。
 幸せな毎日を、いつもありがとう。 
 
 私はね、変われたよ。
 一歳年下の、布袋寅泰似の、ケンシロウみたいな身体を、ちゃんと支えられるか心配だけど、老後は心を込めて介護するからさ。
 これから先も幸せにすると、心の中で毎日、誓ってるからさ。
 
 だからこれからも、末永く宜しくお願いしますね、布袋先輩。
 
 
 

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