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タワマン文学#7 有楽町

西片美佳はいつも予定を入れていたい。

スケジュールアプリには3週間先まで予定が入っている。会社後輩主催のお食事会、孝一さんとのイタリアンバル、陽くんとのカジュアルフレンチ、定期的なヨガ教室、有名映画の3作目、ゴルフレッスン、前職の女友達との代々木公園のピクニック。有楽町駅で降り、先週ローンチしたサービスの打ち上げ会向かいながら今週セットできた予定を眺め、満足していた。

 美佳は、やっと東京で暮らしていると思った。大学生時代、ディスニーランドの通過地点、スカイツリー、テレビでよく見る芸能人がいるらしい程度にしか考えていなかった東京は、大学3年生の秋に、ロマンス映画のような、キラキラした、眩しい街に変わった。地元大手の銀行やご当地CMを流している企業とは比べものにならない初任給、転職サイトで見た30代の想定年収、会社説明会でのキラキラした先輩。「仕事終わりは同期の女子と丸の内でお茶しますね」と緑の人魚ロゴのカフェチェーンではなく、エリアの響きでこんなに惹きつけられるものかと思った。流していたテレビから流れる単語が耳に入ってくるようになる。表参道、自由が丘、代官山、赤坂、麻布十番、恵比寿。今覚えば、遅れてきたお上りさんと美佳は思った。

 旧帝大だった美佳は高い倍率をスルーし、京橋に本社がある菓子メーカーに内定した。マーケティングや広報、人事をやりたいと面接時には熱く語っていたが春からの所属は北関東の工場の総務。3年はまず製品、現場を学んで欲しいという観点からすれば当たり前だったが仕事はつまらなかった。美佳は首都圏の支店に配属になった同期や大学時代の同級生と東京で飲んだ。インスタで流れてくる店には行けず、駅前の安くもないが高くもないチェーン居酒屋で飲んだ。声をかけられて奢られたこともあったし、ナンパされたこともあった。相席ラウンジもいった。財布を出さずに東京は酒が飲める。ただ、彼らの距離感は近い。ギブアンドテイク。私は終電まで帰る生活からタクシーで深夜帰り、朝帰りに変わっていった。
 
 2年目の冬に転職した。異動の打診はなく、このままつまらない仕事をしたくなかった。東京から終電で戻り、真っ暗で寂れた街を見ながら、私は東京に居たいと強く思った。学歴とファーストキャリアのネームバリューは高く、赤坂のPR会社に内定をもらった。

 美佳はそこで仕事の楽しさが分かった。ビジネスだからできる人間関係、商談次第で一喜一憂できる状況。案件が進捗するにつれて大きくなる顧客規模。肩書きも着くようになって、増える年収。麻生十番や広尾でのお食事会。私は今の暮らしが好きだった。ただ、周りから結婚や同棲の会話が増えるたびに居心地の悪さを感じ、それをかき消すように予定を入れるようになった。毎日のように予定が入った。

 ハウスワインがそんなに美味しくないイタリアンで打ち上げ後、日生劇場近くの地下1Fのバーに美佳はいた。会うのは2回目の先方のマネジャー。40代後半でバツイチだと聞いていたが、それも人生経験が豊富だと魅力に感じられるような、物腰の穏やかさと今まで連んできたような男にはない魅力があった。会計前に私の横に立ち、周りにバレないように声をかけられ、悩んだ「ふり」をしたあと、承諾をした。一足先に店の喧騒を離れた。

「お疲れ様でした。ありがとうございました」グラスのシャンパンを小さく掲げ合う。
 今回のプロジェクトの笑い話や、困難の話、いかに優れたサービスかを会話しながら、相手のペースに任せるのが心地よく、会話が進んだ。出身が同郷だったことも理由になったのかもしれない。
「美佳さんはいづれ地元に帰ったりするの?」「将来的のことはまだ。今の生活が楽しくて。今が東京きてよかった、って生活をしているんです」
「それって?」彼はステムからボウル、リムに優しく指を添わせた。
「仕事はやりがいがあります。仕事をバリバリする日は当然あって、でもお食事にお誘いされることもって、ヨガやゴルフもやって、毎日楽しいです。でも…今、話していたら胸張って楽しいって断言しちゃっていいのかな、とも思います」彼は無言で会話の続きを促す。「これから先ってどうなるんだろうって。今この瞬間は東京に出てきた暮らしをしています。でも死ぬまでこんな暮らしができるわけじゃない。歳を重ねていったら男性からのお誘いは減るし、でも結婚したいかと言われたら違うし。悩みはつきませんね」
「人は努力する限り、迷うものだって昔の偉人が言っていたね。頑張って、充実している証拠だよ」
「どうなんでしょう。今の生活、自分が楽しい東京で暮らしている、という自己満足をするために努力するってあんまり褒められたものじゃないような」
「努力することに理由なんていらないし、明確な、共感される理由がなくちゃ努力しないならほとんどの人は努力なんてしないさ」
 美佳は自分の揺らぎを認めていた。東京で楽しんでいる私を維持するために予定を入れ続ける。それは透明な花瓶にゴルフボール、石、砂、水を入れていくようなものがあれば石と砂を入れている気がした。
「難しいですよね。今が楽しいだけで生きれない、生きていくのって難しいな、と」
「人生は思いがけないところでスピードアップするからね。今の楽しさを維持するって難しいよ」
 まるで人生のスピードアップを経験されたようですね、と私は茶化した、彼はそうだねと自嘲的に笑ってグラスを傾けた。
「今日はなんでお誘いくださったんですか?」
「なんというか、昔の自分をみているようなだって思ってさ。雰囲気がね、仕事めっちゃ頑張る人に見えるけど、何か充実してないというか。失礼だよね」美佳は被りを振った。
「今の西方さんだったらもっと成功すると思うよ。でももし疑念があるなら、少しは休んだ方がいいかもしれないね。僕はその疑念を無視して進んでしまったから見捨てられてしまったんだけど」
美佳の経験では彼が恥ずかしそうな、懐かしいような表情になんと言えばいいかわからなかった。
そのあとは仕事や地元のトークでまた盛り上がり、終電30分前に解散した。タクシーに乗るかと聞かれたが、少し歩きたいと伝えると、気をつけてとタクシーに乗りこんだ。見えなくなるまで小さく手を振った。 

 もしかしたら、これくらいでちょうどいいのではないか、と美佳は思った。
終電逃がしてまで飲んで、男の性欲との駆け引きを楽しめるほど、私は大人じゃない。ヨガやゴルフだって、誰かと会話するためじゃなかったか。その誰かだってすぐに東京じゃあいなくなる。
こうやって、頑張っていきていれば観てくれる人がいる。それで十分じゃないのか。人は努力する限り、悩むものらしい。スマホを取り出す。口角が上がっていた。美佳は明日の孝一さんとのイタリアンバルをキャンセルさせてもらった。彼のことが嫌いになったわけじゃない。ただ、自分自身より大切な予定ではない、と思えたのだった。
 帰ったら漫画をたくさんダウンロードしよう。ネットフリックスをみよう。せっかくだから、コンビニで酒とお菓子とアイスをたくさん買おう。
これから起こせる、自分の幸せについて美佳は考えた。


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