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【短歌エッセイ】優しさを超える優しさ
私の仕事の一つに、職場で廃棄する物品の書類作成がある。
書類には、廃棄する物品の現状の写真も添付することになっており、その写真を撮影するのも私だ。
「チーズとキムチとキウイの関係」という記事にも書いたように、「はい、チーズ」というのは、「はい、今から撮りますよ」という意味の、撮影者のかけ声として浸透してる実情がある。
対人においては、それは普通のことだろう。
しかし私は、対人でない場合でも同様なのだ。シャッターを切る直前に、「はい、チーズ」と言わないと落ち着かない。心の中で言うだけで、さすがに声には出さないけれど。
被写体が 人ならねども シャッターを
切る瞬間は つい「はい、チーズ」
この短歌は、投稿し、2018年9月29日の日経新聞に掲載されたものだ。
それをパートナーに見せながら私は、「これを選んでくれた選者は、きっとペットのことだと思っただろうね」と言って笑った。実際にそういう飼い主はいるという視点で、選者の共感を得たのだろう。
しかし、本当はペットではなく、古くなったオフィス家具や壊れた事務機器なのだ。
私はパートナーに、「捨てられる椅子や電話機の写真撮影で、心の中でとは言え、『はい、チーズ』って言う自分は変人なんだろうな」と言った。
パートナーは私の言葉に対して少し考え、「それは、捨てられる物に対しても、人に対するように誠意を持って送り出そうという、最後まで物を大事にしようする優しさなんじゃないかな」と言ってくれた。
そうかもしれない。ただ単に、習慣化したかけ声を使っているだけかもしれない。自分では……よくわからない。
それでも、何にせよ、私が仕事の一つ一つに対して真摯に取り組んでいることは確かで、パートナーがそれを感じ取ってくれたように感じて、ほっこりと嬉しい気持ちになった。
私の行為が優しさによるものだとしても、それを上回る優しさは、そんなふうに私が意識していないことまで思い量ってくれる、パートナーの心遣いだ。
私は、そう思っている。
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