歓びの街 鬼りんご
歓びの街
或ひは物語斜面への不時着
まさに一瞬の六億年だつた 転職しようかいつそ何処か路傍に自分を遺棄してしまはうかと 氷雨吹き殴る笑はれ峠を俯きどほしでやつと越えたとふと気が緩んだはづみに ひた隠しにして来た海が胸の奥に湛へきれなくなり突然どどどどどおつと堰を切つて流れ出始めたらもう留めやうが無く よくもこの身にこんな大量の海水がと驚きも狼狽も通り越して背筋を貫く恐怖の勢ひそのままに滾り落ちて轟く瀑流となつた潮は見る見る地表を呑み覆ひ 地球温暖化によるをりからの海面上昇と相俟つてか サルビアからキヤビア、アンモニア、ニンフオマニア、アヴエマリアを経てヘルニアに至る所謂「黄金の裳」地帯全域が一朝にして渺茫たる青海原と化し 生活拠点を失つたヲオ族は着の身着のまま寒風膚を刺すヴイアンヴイアン山脈を越え北麓に微睡む通称千年集落へ雪崩れ込んだ時 預言者ニラニンニクが擦れ違ひざま紫眼族の水汲み少女の濃い瞳に身を投じたことがやがてマボロシア帝国の崩壊を招くが その頃夙うに自ら拓いた海の藻屑と消えてゐた私は 遊弋しまた嬉戯する鮫や鯨の何れがかつて我が胸中にのたうち咆えてゐた暴れ者の末裔なのかなど問ふべくもなかつたといふ
(「こどもだま詩宣言」対応 原文縦書き)