ランジエリイ 菫派 鬼りんご
ランジエリイ 菫派
或ひは小説に見る日常語の露頭例
さよなら かりん坂
さよなら 通学路の空に冷えてゆく桃の時
○
低気圧平原に日暮れが溜まりはじめ
生乾きの螺旋気流は欲情都市の裾をそはそは捲り上げる
それぞれの穴から思ひ思ひに這ひ出し 地下へと潜り
ひとり またひとり あるひは連れ立ち いでたち軽く
地上に 無彩色基調の街路に湧いて漂ふイヤホン族
聴き散らされた音曲はそこに渦巻きかしこに澱む
ここが竹之洲通り示念坂 さりげなく迷ひ込んだ容疑者へも
いち早くあをいまたたきの流し目「ランジエリイ 菫派」
あ いいの ぜんぶ撮つてみて さう 368枚ぜえんぶ
勝てるかな？ これイツキに上げたら
錠前屋荒物屋麹屋乾物屋魚屋八百屋豆腐屋炭屋下駄屋
古地図の町に人人は心意気ひとつで暮らしてゐたといふ
伝説を底に沈め 水面は灯りぎらつく浮世
撹拌される光とノイズは眩暈を煽り合ふか はた
きれいごと世紀の幻滅を暴き合ふか
去来する前照灯にかつ浮かびかつ沈むわたくしは
さしづめ一尾の窶れ雑魚か
心意気はをろか心そのものがすでに無い 況んや世界観なぞ
惰性と色情が濁りの波のまにまに浮き沈む
○
さよなら 黒物語風リボンのそよぐマロカヌ語の会話
さよなら波打つ髪飾り また耳たぶの 土耳古青の甘い一滴
○
ラン ジエ リ イ 菫 派 ことさらゆつくり紫の灯は囁く
局員署員もつひ耳をこちよこちよされる 通称紅ギャル通り
やはりあんたも思はず二三歩足取りが泳ぎますか
終はればさらに目くるめく終はりを追ひたくなる街角に
シルクらは今日も少し不機嫌です
自分たちの滑らかさに同化できない やや肌理粗い肌たちに
ねえ 気づかない振りして通り過ぎさうなおねえさぁん
おねえさんランジエリイ要らない派ですか？
寝るとき下着つけないんでせう？
それとも案外菫派 フラミンゴ派 いやボツテイチエリ派かな？
（「紅ギヤル通り名物だぼだぼズボンのオクトパス兄さん」たち）
刺青がはなやかだし 白い肌に映える下着がいいな
ねぢれて跳ねてもわからない 新素材鱗などきらめかせても
この流れを魚するとはどうなめらかして生きることか
膝や手首はどうくねり そのとき首はどう傾ぐべきか
そもそも尻鰭はどのタイミングでどう揺らすべきか
都会指向魚らのしんけんしようぶ競泳空間竹之洲通り
水を劈き水を展き水を順へ身をしならせ水を蹴り水になり
あんなにも水飛沫鮮やかに魚しながら今宵なぜ
かれらは自らを巧みに人と錯覚するのか いそいそと
ああもう人でゐる嬉しさが抑へられないは と言ひたげに
ためらひもどきどき押す扉「ランジエリイ 菫派」
全アングル368カツト即時撮影可 専属コンシエルジユ37名
試着ブウス55室！ 全室画像配信機能完備
試着一セツト（4分まで）￥5888〜￥1398800（２点）
店内販売only 魅惑の一点限定オリヂナル品続々入荷中！
現在の試着待ち時間見込み 約80分
ランジエリイを私たちは下着とは考へてゐません
それは世界に唯ひとりのあなたといふスピリツトの真の膚
あなたではないあなたの身体をあなたに変へる皮膚
日々新たなあなたといふ存在の 色・形・感触の具象
今日のランジエリイを着けて あなたは今日のあなたに成る
それは下着でもフアツシヨンでもありません
そして そのあなたを脱ぎ捨てるのは あなたの 愛のとき
この地黒の肌に穢く見えるTATTOOに合ふ下着あるかしら
水はぢく滑らか裸体のあなたがたにランジエリイですか
そのやうにあなたがたが人を装ふなら
わたくしは骨硬い魚のまま佇ち尽くしてれやいいんでせうか
わたくしの場合確かに尾鰭の可動域は極度に狭いですが
やつと今日でこんなくそゴミ通りおさらばだ
つひでにバイバイ不毛のキヤンパス さらばエロ教授ざまみろだ
ああ？何が「ランジエリイ 菫派」だ なめんな つたく
もうぢきあの瀟洒なオフイス街を靴音高く歩くからねママ
ママ と思ふだけで泣きさうになる どして どしてなのママ
これでもかと三次元凹凸の差異を競ふ建築群の灯り
中空に架かるハイゥヱイをざらついた風が斜めに削り上げる
雲の奥の雲の上の雲の 青ざめた切れ間はぼんやり泪を孕む
哭くべき何の現在がこの街にあるか
いくぶん汚れた花びらのふぜいでビルにへばりつくゥヰンドウ
一尾また一尾 ほつそりした魚たくましい魚が腰をそよがせて
つひうつかり扉に吸はれ
一尾また一尾 つい つつい と扉から吐かれる
あらわたし今どこかにゐましたかしら と
そらとぼけ顔で離れてゆく かれらの
瞼有たぬ眼はデヂタル処理後の波長のみを聴き分ける
かれらの側線に人語翻訳機能はございません 課長
コンシエルジユとの魚類語会話は試着ブウス内で交はされます
股間の盛り上がりがうんと強調される可愛いシヨオツある？
なるべく薄くて面積狭いの ぎりつぎり収まる感じで
もちろん淡い花柄よね 中身とのギヤツプが大事だもん
擦過傷だらけのきたない胸鰭は早晩もげ落ちるだらう
尾鰭が時折とつてつけた思ひ出し揺れなど見せたところで
錆びついた尾鰭ぢや紅ギヤルロツクのビイトは刻めねえぜ と
魚類失格者らを嗤ふいけてるいろくづらが騒いでゐる
女性下着も 男物パンツみたくいろんなのあればいいな
色づかひなんか思ひつきりダイタンだつたりさ 羨ましいよ
虎の絵とかサアフイン柄とか シブいのとかめちやセクシイなのとか ほんと楽しくなる あたしもああいふたのしいの穿きたい
菫派とかに置いてないかな ああいふ楽しいやつの 女の子用
○
さよなら 機械式腕時計が冷えてゐる窓辺
さよなら あのひとの水平線上の感情
○
垢抜けの極みのさりげない着こなしでお客様を怯ませること
お客様には目を逸らさず真摯に耳を傾けること
お客様の好みに具体的な言葉で共感を示すこと（後例参照）
お客樣の好みと全く異なる超高価格アイテムを見せること
試着の点数・撮影枚数送信件数を極限まで増やすこと
各お客様の売上目安は入店時御予算の三十倍程度が下限
*菫程な小さき人に生まれたし 漱石
ここはリアルの地上世界 と 目立たなさを誇示する扉
小さな扉が開いては閉じる
POLICEと書かれた白黒の車体が通り過ぎる
旧世紀は至る所で健在のやうですとアナウンサアがまとめ
行き交ふ端末群には新たなコンテンツが激爆増殖中といふ
色さまざまに行き交ふ魚らは 振り向くと瞼の無い人になる
体内の浮き袋が束の間細かく痙攣してゐるのには気づかない
泡沫はかつ消えかつ結ぶ
構造崩壊へ突つ走る街は微細局面をなほも営営と育ててゐて
烏らの姿は無くすでに街路樹はいたづらに黒い
○
さよなら 五月の自転車通学生たち
さよなら 昼下がりの童の見とれる野あざみ
*夏目漱石「子規へ送りたる句稿 二十三 四十句」（明治三十年）
（「こどもだま詩宣言」対応 原文縦書き 作中、2 及び80の数値は、四角枠内に手書き数字が本来の形）