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発作性上室性頻拍①


これは私が体験した不整脈の一種で発作性上室性頻拍と言うすぐには死にやしないけど頻繁にドコドコドコドコと心臓が超絶早撃ちになり自分では制御不能な心臓がめちゃくちゃ気持ち悪い「なんだコレ」な病気の闘病の記録です。


自覚→勘違い→発作が止まらない→緊急搬送→入院→手術→退院までの記録を残そうと思います。

心臓の動きが時々不自然な動き方をすると気付いたのは11歳の時ですからざっと33年は放置されていました。

時々過呼吸出るな…とか若年性更年期かな…とか勘違いしているうちに44歳を迎え、会社でちょっとした動きをした途端、いつもは直ぐに止まるのに全く止まらない発作を起こし、会社の健康管理室にこわごわ駆け込み、2時間程横になり様子を見るも全く発作が止まらず、係長やら課長、警備室の皆さんを巻き込んで救急車での緊急搬送からのお薬で一旦心臓を止めて発作を止めると言う衝撃的な発作の止め方をされ、ニコニコと穏やかな循環器内科の先生から発作性上室性頻拍と言う聞き慣れない病名を告げられた私が大学病院の不整脈の病気に詳しい心臓カテーテルの名医と呼ばれる先生と巡り合い、びっくりドキドキな手術を受け今に至るまでの記録です。

忘れないうちに書いておこうと思います。

不整脈は実際の所、現在もちょくちょくあります。ストレスを感じたり疲れが溜まってきたりすると心臓がピョコピョコおかしな動きをしています。しかし長時間止まらなくなったり大きな発作には至っていません。

『少し危険な所に処置すべき神経が余計にあるんだけどここはちょっと危険だから処置はしません。ペースメーカーになる可能性も出て来てしまうのでね。嫌だよね?ペースメーカー。』

とは主治医の先生のお言葉で3本ある余計な神経のうち2本は処置出来たのですがちょっぴり危険なゾーンにあるはぐれ神経はそのまま残されたのでした。

お陰様で頻度はだいぶ下がりたまにしか出ないと言っても不整脈は出てます。こう言う心臓だと割り切って付き合って行くしか無いのです。


最初にも言った通り、会社で発作を起こした私は会社の健康管理室に飛び込み常駐する看護師さんから血圧や脈拍を取ってもらうもいずれも見た事がない数値を叩き出し、脈拍に至っては飛んで測れないと言う有り様で、私はそこで最初の『あれ?これ私死ぬんじゃね?』と言う出産以来3回目の死を覚悟しました。

2回は出産の時、陣痛のピークの時に考えました。


案の定『こりゃ駄目だ』との看護師さんの判断からから『救急車呼ぶね』の同意を求められ、確かにこりゃ駄目だと解っていた私は直ぐに承諾。

看護師さんから職場のリーダーへ連絡し、職場のリーダーは直ぐさま係長へ。

係長は血相を変えて健康管理室に飛び込んで来て看護師さんから説明を受けていました。なかなか休憩から戻らない私を不審に思っていた矢先だったとのことです。

係長はその場で課長に連絡し健康管理室から救急車を要請する事、警備室に連絡し門を開け誘導車を待機させる事などが指示され、カーテン1枚で仕切られた私のいるベッド周りで慌ただしくそれらが始まりました。

最後に課長からの連絡を受けた部長からの救急車要請の許可が降り、遠くから救急車のサイレンが聞こえだした時には少々申し訳ない気持ちになりました。


あっという間に救急車が到着し搬送される時、非常口からストレッチャーで運び出された私はその時みた青い空がとても綺麗で『これが生前最後に見る景色か…お父さんもこんな感じだったのかなぁ』とぼんやり思いながら救急車に詰め込まれたのでした。



救急車に詰め込まれた後も、私に装着された私の様々な体のデータを取る測定の機器が軒並み異常を知らせるアラームがピーピーピーピー鳴りまくり、堪らず『私はこのまま死ぬんですか?』と救急車に乗っていた医療スタッフの女性に聞いてしまい

『!!…大丈夫ですよ!死なないです!!』とちょっと焦った感じの「大丈夫」を頂きまして、まぁ死に行く人間に「ハイ間もなく死にます」とは言わないよなぁ~。

なんて思いながら、このまま眠るように死ぬなら有りだなぁなんて考える自分も居て、割と冷静に「死ぬかも知れない」を、受け入れておりました。何故ならちょうどその年の初夏に家族全員が見守る中、父が亡くなって死が身近なものになっていたからです。


そうこうしているうちに救急車は会社から国道へ出まして、救急車のスピードの遠心力に翻弄されながらちょっと車酔いしつつ、その地域の中核病院に到着したのでした。


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