ドアがキーキーなるラーメン屋さん
先日行ったラーメン屋が、入り口のドアを開くたびにキーキーと音が鳴りました。なにかを爪で引っ掻くような、多くの人が不快に思える音です。
一緒に行った家人に「音がするね」と言うと、「全然気づかなかった」と言われました。ラーメン屋なので店内は騒がしいし、席によっては気づかないかもしれませんし、僕が神経質すぎるのかもしれません。
「ドアがキーキー鳴る」とお店に苦情を言いたいわけではありません。でも、なんというか、そういった音がするだけで、ラーメンの味がちょっと落ちる気がしました。
それは、うるさいからではなく、お店の人の心配りが足りていないと思ってしまうからです。
一日中働いていれば、店員さんはドアがキーキー鳴る音を一度は聞いているはずだし、その音は多くの人にとって不快に感じる音です。
お客を本気でもてなしたいなら、ドアを直すと思います。もちろん、直そうとしたが無理だったのかもしれないし、手配した工事を待っている状態なのかもしれませんが。
僕は自分のことを基本的に雑な人間だと思いますが、こういうところは無性に気になるんですよねえ。
うるさいのが嫌なんではなく、改善しないことが気になっちゃいます。「悪いところがあるのに、どうして放置できるのか?」と考えてしまいます。
この性分は実生活ではうざったいこともあるのですが、小説を書く上では役に立っている気がします。
小説を書いたことがある人ならわかると思いますが、小説執筆の作業は細かい修正の連続です。
初稿から完璧な小説を書けることなどなく、書いては消すの繰り返しです。鉛筆で書いていた昔は「消しゴムで書く」なんて言われたものです。
逆に、太宰治は口頭で喋った内容がそのまま完璧な小説になっていたといいますが、真の天才を持ち出しても参考になりませんね。
どの語句を使うべきなのか、物語に矛盾はないのか、文章の順序は適当なのか、何度も修正しては戻し、改稿を進めていきます。
これで完成だと思ってからも、一度の改稿で1000箇所以上修正します。それを何度か繰り返して、ようやく完成に至ります。
どこかおかしいのか疑念を抱いて、くまなくチェックする執念がないと優れた小説はできないと思います、真の天才でなければ。
別に僕だけじゃなく多くの作家さんがこれぐらいの修正をしていると思います。でも、ベテランさんの話を聞くと、初校の戻しを1日で完了させている作家さんが多くて、ちょっとビビります。
他人の時間を使って読んでいただくのですから、完璧なものを提供したいですよね。そのためならどんな苦労も厭いません。
小説家もラーメン屋と同じようにおもてなしの精神が大事なんだと思います。
初の商業出版です。よろしかったら。