小説は不要不急なものなのか考える
コロナ禍で「感染拡大防止のために、不要不急のことは控えよう」と喧伝されていました。そのとき、劇場やライブハウスでの開演は中止になり、演劇や音楽は不要不急なものなのか議論になりました。
では、小説はどうなんでしょう。自宅から出なくても楽しめる小説は感染拡大には貢献できたと思いますが、小説が不要不急なのか考えることはあります。
食料や衛生と同じように、小説が生命活動に寄与しているかと言われれば、そうではないでしょう。
でも、小説というか物語がないと心を保てない人もいるかもしれません。温かい物語に触れることで、ままならない現実の暮らしを忘れて、癒されることもあります。
僕も、子供の頃からずっと小説を読み続けています。スマホが登場する前までは、本を持たずに外出すると落ち着かなかったし、今もスマホに読みかけの電子書籍を必ず準備しています。
とは言っても、多くの人にとっては、食べ物の方が重要でしょうし、「生物として生きる」ことを最優先に考えるなら、小説は不要不急なものではないと言えるかもしれません。
でも、小説は不要不急ではないから存在価値があるのではとも思います。人生にとって絶対に必要ではないものだからこそ、現実の世界から離れて楽しめるものだと思います。
不要不急のものというのは生きるために不可欠なもので、現実と密着したものです。どうしても現実を忘れることはできません。
映画でも演劇でも良いのですが、それらの芸術と比べても小説は接する時間が長く、長い間没入できるものです。
苛烈な現実を忘れて、ここにはない小説世界でいっとき過ごし、また戻ることで、大袈裟に言えば生まれ変わることができるように思えます。