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小説におけるミクロの視点、マクロの視点
ネットで「飲酒運転が増えて危険だ」というコメントを読みました。本当にそうなのかと調べてみると、飲酒運転による死亡事故件数は、ここ20年で大きく減少していました。
もちろん、減っているといっても亡くなっている人はいるわけで、飲酒運転の死亡率は通常の9倍以上あり、絶対にしてはいけない行為です。
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海外の状況を調べると、韓国での飲酒運転の死亡事故件数は日本の約5倍、アメリカでは日本の約20倍とかなり高いです。アメリカは日本よりも飲酒運転の基準が厳しいのですが、西海岸や中央エリアでは飲酒運転の割合が高いそうです。
繰り返しになりますが、日本の飲酒運転の死亡者数が低いからといって飲酒運転が許されるわけではなく、根絶しないといけません。
なんでこの話をしたかというと、小説を書くにはミクロの視点とマクロの視点が必要だと思ったからです。
もし飲酒運転を小説の題材とするなら、飲酒運転により起こる悲劇を描くと思います。被害者に寄り添い、どんな理由があったにせよ加害者を非難する内容になると思います。
多くの小説と同様に、ミクロ(個人)の視点で小説を書くことになるでしょう。
その一方で、法律改定や啓蒙活動により飲酒運転が激減した現状があるわけです。その背景には多くの犠牲者と関係者の努力がありました。
それらを無視して、「無策だから飲酒運転はなくならないんだ」「飲酒運転を根絶するために酒・アルコールの販売を禁止しろ」「シラフの運転手がいたとしても車での来店者にはアルコールを提供するな」という言説は現実の状況と乖離していて、現状を知っている人からすると、ちょっと首を傾げてしまいます。
現実とのズレをなくすために小説を書く際はマクロの視点も大事になってきます。ミクロが人間するなら、マクロは社会ということになるでしょう。マクロの視点を得るためには、社会情勢についてチェックして政治や社会を勉強する必要があります。
もう一度強調しておきますが、飲酒運転は根絶すべきですし、そのために飲酒運転の悲劇を被害者の視点で描くことはとても大事です。
その悲劇に説得力をもたせるために、マクロの視点も常に持ち続ける必要があるように思います。
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