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小説と映画は1対100の戦い

アニメーション制作会社の「ピクサー」は、一本の映画を12人の脚本家が担当するそうです。脚本家からあがってきた脚本をプロデューサーやアートディレクターなど100名近い人員ですべてのシーンについて何度も議論し数年をかけて脚本を完成させるそうです。

ピクサーでは全員が納得しないと脚本は完成しません。数年に及ぶ議論を経て、脚本は徐々に洗練されていきます。だから矛盾がない、多くの人が感動できる映画が作れるわけです。

小説家は編集者の方などの助言はありますが、基本的にはひとりで小説を制作します。
小説は脚本とは異なり、セリフとト書きだけではなく、心理描写や風景描写も綿密に書き込む必要があります。小説家は言葉を磨き、文章に成し、ストーリーを構築します。

小説家は他人ではなく自分の中で議論して、物語を完成させます。
ひとりで行うのは気楽ではありますが、どうしても抜け穴や矛盾が生じます。
その穴を埋めるために、原稿を校正の人に読んでもらいます。それでも、最終的な変更権限は小説家にありますので、小説家の立場は脚本家というより監督みたいな役割ですね。
小説家は基本的にひとり、ピクサーの例で言えば映画は100人。圧倒的に人数が違います。

ピクサーの映画手法で思い浮かぶのは、宮崎駿監督の映画手法です。ドキュメンタリーを観る限り、宮崎監督はかなりの独断専行で映画を制作しているように見えます。もちろん他人の意見も聞くのでしょうけど、多くの権限は宮崎監督にあるようです。
宮崎監督の映画はものすごい作品ばかりですが、洗練されているというよりは粗野で力強く、矛盾をも孕んでいます。
それでも宮崎作品は、物語全体の骨格はしっかりとしていて、それを美しいアニメーションで表現した素晴らしいものです。
大勢で議論しながら脚本を作るピクサーの洗練さとは対極にある制作方法です。

ピクサーの手法が優れていると言いたいわけではありません。
洗練されるからよいというわけでもありません。多くの人に同意を得ることで矛盾は減りますが、一方で表現はマイルドになり、あらゆる人を傷つけないために物語から棘がぬけ、勢いはなくなります。
洗練を突き詰める手法によって、最近のピクサー映画にヒット作が減った要因とも言われています。
現状に危機感を抱いたのか、最近は新たな手法も試みているそうです。
その効果が顕れたのか「インサイド・ヘッド2」は大ヒットしています。
大勢で議論して洗練された物語を作ることはもちろん大事ですが、芸術とはときに粗野で大胆な要素も必要なのかもしれません。

小説は基本ひとりで書くものです。100人が議論した洗練さは得られなくても、荒々しいけど心に残る物語は作れると思います。
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