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小説における一人称の深み。三人称は読者に隠し事をしてもよい?
今まで一人称と三人称の小説を大体同じぐらい書いてきた気がします。商業出版された小説でいうと「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」は三人称、「夏のピルグリム」は一人称を用いています。
三人称といっても、僕の場合、ほとんどの作品で三人称一元視点(三人称だけど、基本的にひとつの視点から語られる形式)なので、一人称で書こうと思えば書けてしまいます。
では、どうやって一人称か三人称か決めているかというと、主人公の心理にどこまで深く入り込むかで決めています。
一人称は、主人公のすべての心理を詳細に描写し、読者に伝えるようにしています。基本的に読者へは隠し事をしないようにします。そうすることで、読者は主人公に寄り添い、一緒に物語の世界へ入り込むことができます。
三人称一元視点は、一人称より主人公の心理に深く入り込まない印象です。だから、読者に対して秘密を持ってもよいと決めています。
「ふたりの余命」の主人公の椎也は、忘れたい過去を抱えていますが、物語の中盤までその過去は明かされません。椎也の視点で物語が展開するにも関わらず、秘密を持っているので(読者に隠し事がある)、椎也の心情にそこまで深く入ることができない三人称を用いています。
「夏のピルグリム」は、中学生である主人公の夏子に寄り添う物語なので一人称を選びました。夏子にも隠したい過去があるのですが、読者に開示できない事情を用意して、一人称なのに隠し事をしてもよいことにしています。
このように、一人称か三人称のどちらを用いるかは、どこまで深く主人公の心理に潜り込むかで僕は決めています。これは僕が決めている決まりですので、この選び方が絶対的に正しいわけではなく、人によって見解は異なると思います。
他の人はどうやって一人称か三人称か決めているんでしょうね。
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