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物語のコアとしての小説

多くの人は小説を読んでいません。残念ながら事実です。調査によると、小説を読む大人は全体の2割程度だそうです。周りを見ても、映画や動画を観ない人は皆無だけど、小説を読まない人は大勢います。
小説を書く側からすると寂しいことですが、客観的に見ると仕方がない面もあると思います。他のエンタメと比べて時間とお金がかかり、想像する手間が必要だからです(小説が好きな人にとっては、あれこれ想像できるから楽しいのですが)。
小説が好きな人にはそれらは障壁ではないですが、「スマホを使ってサブスクで気軽に映画や動画が観られるのに、どうして一冊ずつお金を払って本を買って自分でページを捲らないといけないの?」と思う方がいても当然だと思います。
もちろん多くの方に小説を読んでいただきたいし、読まれるような善い作品を作っていきたいですが、時代の潮流には抗えません。スマホもサブスクもこの世からなくすことはできません。

ここで言っている小説とは、エンタメ小説のことです。純文学は一定数の読者を抱えて生き残っていくと思います。
純文学に比べて、エンタメ小説はある程度のマーケットの規模があって成立しています。エンタメ小説が売れなくなれば、新人賞を受賞した人が毎年何人もデビューする状況は消滅し、新人が消えて硬直化した小説はさらに売れなくなるネガティブスパイラルに陥ってしまいます。
そして雑誌と紙のコミックが売れなくなった現在では稼ぎ頭である小説が売れなくなることで書店もなくなるでしょう。

ひとつの突破口として、小説には物語のコアとして生き残る道があるのではと思います。コアとは様々なメディアの原作となって発信していくということです。
前述のように、映画や動画、コミックの勢いには抗えません。そうであれば、その勢いの力を借りるのはどうでしょうか。
原作が存在する映画やドラマ、コミックは多いです。人気の原作を使用することで、リスクを回避する意味合いが強いと思います。オリジナル脚本だと誰も内容を知らないので、名が知れている脚本家以外の作品は売れるかどうか不透明です。
リスクを回避する必要があるのは、映画やドラマの製作には膨大な費用が必要だからです。製作費を安定して回収するために、すでに一定の評価がある原作を使って、大コケを防ぎたくなるわけです。
映画やドラマに比べて、小説の制作費は少ないです。主なコストは、小説家と編集者、校正さんなどの人件費です。製本するには装画やデザイナー、印刷費用や紙代がかかりますが、それでも映画やドラマの製作費に比べたら、わずかな費用です。
コストがかからないということは、ビジネスリスクが低いということです。

小説単体ではそれほど売り上げが見込めなくても映画やドラマの原作となり、物語のコアとなることで、大きな利益を出すことができます。
こうした生き残り方もあるのではないでしょうか。
もちろん、すべての小説が物語のコアに向いているわけではありません。心理描写が少なく、物語の展開が派手な小説がコアになりやすいでしょう。
内容によっては映像化できないミステリーもあります。
また、最近起こったような原作者とそれを活用する者との軋轢は解消していく仕組みは必要です。

小説が物語のコアになるからといって、それ以外の小説を否定しているわけではありません。物語のコアになる小説が人気になることで、業界全体が潤い、多くの人が原作である小説に目を向けるようになれば、それ以外の小説にも資金が流れていき、多くの人が本を読んでくれます。

比較的低いコストで創作できる小説の強みを活かすことで、小説を次世代に伝えることができるのではないでしょうか。

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