映像的な小説
僕の小説を読んでくれた人に「高山さんの小説は風景の映像が頭に浮かびます」と言われることがよくあります。
そこまで風景描写を書き込む方ではないと思いますが、そう言われるのは、映画的な小説の書き方をしているからかもしれません。
長編小説を書くときに一本の映画になることを念頭に置いています。もちろん映画化される見込みなんてないのですが、一つの物語を消化するのに映画のボリュームがちょうど良いと思っているからです。
連続ドラマや3時間を超える映画もありますが、大体2時間ぐらいに収まる物語だと、飽きずに最後までスムーズに読んでもらえると思える気がします。
映画的なクライマックスや場面を想定しているから、文章も映像的なのかもしれません。
小説は省略と描写の繰り返しで構成されると昔何かの本で読んだことがあります。全部を描写すると小説全体が重たくなるので、地の文で説明して物語を進行する部分と、セリフと描写で物語を詳しく説明する部分の繰り返しで、小説は描くものだそうです。
映像的な小説と言われることが多いのは、描写が多すぎて省略が少ないのかもしれません。
確かに、説明の地の文が多いと文章が重たく見えるので、できるだけ減らすようにしています。
でも、人によっては省略するための説明文が小説の肝だという人もいます。読むのが面倒な印象がある地の文だからこそ、読ませる文が書けるかどうか筆力の違いが如実に出るのでしょうかね。
来年は、地の文を上達するように精進していきたいと思います。