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小説における「第四の壁」

「第四の壁」という用語をご存知でしょうか。舞台の客席側にも4番目の壁があるかのように観客を気にせず俳優たちが演技することを指す演技用語です。
一般的な演劇では、観客はいないもののように扱います。俳優が客いじりする劇は少ないですよね。
一般的な映画とドラマも観客というより観客の目の代わりとなるカメラを意識しません(例外はあります)。カメラと第四の壁の違いは、視点が固定されていないということです。舞台における観客の目は、基本的に前方にありますが、カメラはさまざまなアングルから撮影します。

小説における「第四の壁」とは、映画とドラマと同じカメラだと思います。ただ、小説におけるカメラが映画と異なるのは、風景だけではなく、人物の内面も映すことができる点です(映画でも撮影の仕方によっては間接的に人の考えを表現しますが)。小説のカメラは語る人の心情や過去までも描写します。

演劇に合わせて小説の「第四の壁」という表現するなら、その壁は演劇より薄いように思います。
演劇にもナレーションは入りますが、小説の場合は、会話以外の地の文は全てナレーションと言っても良い気がします。小説では、語り手が聞き手に向かって、現在の風景や人物の動き、そして心情までも説明します。語り手の先には聞き手である読者がいますので、語り手が認識しているかどうかは別にして聞き手がいることを前提にしています。語り手が全て独白という小説もありますが、その場合でも、作者は誰かが読むことがいるのを前提にして小説を書いています。
最近はあまり見ませんが、歴史小説などでは、作者が読者に直接語りかけたり、質問したりします。「古畑任三郎」のようなミステリー小説では、登場人物が読者に直接語りかけることもあります。

この小説における第四の壁が薄いことを利用して、今までにない形式の小説が書けるような気がしています。
第四の壁を利用した新しいアイディアがひとつあるのですが、こういう奇抜の小説を書くには力量と手間が必要なんですよね。
いつか書けるといいな。

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