小説の鮮度
刺身と同じで小説にも鮮度があると思います。
書いてから年月が経つと小説も古くなっていきます。古くなるのは思想や文体です。
ポリティカル・コレクトネスに代表されるように、多様性や人権に関する考えは毎年のように更新されています。ちょっと前は共感を呼んだ表現が、今だと偏見だと言われることもあります。古典であれば、現代の価値観とずれていても「ああ、昔の話ね」で流してもらえますが、最近の作品だと「何これ?」と一蹴される危険性もあります。
思想ほどではないですが、文体も少しずつ変化していっています。以前読んだ研究によると、明治、昭和、平成では、一文章あたりの文字数がどんどん減っているそうです。メールやスマホの影響と言われていますが、小説もその流れを受けているように思います。
ラノベをはじめとして小説内の文章も短くなっているように思え、意味が追いにくい長い文は敬遠される傾向にある気がします。
小説内に出てくる小道具や時代背景についても時代が経ると古くなっていきます。
時代小説であれば、ちょっと前に書かれた作品でも古いと感じることはありませんが、昔書かれた現代小説だと古臭く感じることがあります。
どの時代かきっちり定義されている小説なら、「ああ、2010年なら、こんな感じだよね」と思ってもらえますが、たいていの現代小説では物語中の西暦は言及されておらず、「現代」が舞台であることを前提にしています。
だから、ちょっと昔のものが「現代」として登場すると、作者の意図しない印象を読者に伝えてしまう場合があります。
例えばITデバイス。
15年前はガラケーを使っている人も多く、たとえ使っていても「古い」というイメージはありませんでした。
だけど、その小説を今読むと、ガラケーを使っている人は、ITに詳しくない人とかこだわりが強い人という印象を与えてしまいます。
ちょっと前に書かれた現代小説は、古さに目が入ってしまい、本来作者が言いたかったことが伝わらない可能性があります。
できれば、数年に一度、煤払いみたいに古い小説を綺麗に掃除して、アップデートできればと思いますが、紙の本だとそうはいかないですよね。
鮮度を保つために、僕は作中に固有名詞を含めないようにしています。スティーヴン・キングのように固有名詞を小説にガンガンぶち込んで時代性を出す作家もいますが、固有名詞(特に、日本のように商品サイクルが激しい地域では)が古さを醸し出してしまうことがあります。
だったら、ストーリー上、それほど意味がないなら固有名詞をできるだけ使わずに書くようにしています。
もうひとつ気にしているのは、一文あたりの文字数です。僕はもともと少ない方だと思いますが、長い文章を書く必要があるときは、かなり慎重に筆を進めます。できるなら、二つの文章に分けるなど工夫をして短い文章に仕立て直します。
短い文章の方が、時代を経ても色褪せない気がするからです。短いということは、余計な修飾語が入らないということなので、名詞と動詞が主な構成要素になります。名詞と動詞は時代が過ぎてもすぐには古くはなりません。「私」や「見る」が数年で陳腐化することはないでしょう。
長い文章の方が、比喩や言い回しなどから、時代が透けて見える気がします。
本当にすごい名作はどんなに時が過ぎても腐ることなく、むしろ磨かれた宝石のように輝くのでしょうけど。
初の商業出版です。よろしかったら。