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猫は毎日鳴く~18年めちゃくちゃ頑張って生きた家猫たちの話~

はじめに

このnote、実は猫の火葬をしている待機時間に書いています。
なんで書き始めたかというと、今日弔った猫「しまお」を最後に、一旦我が家の猫の家系が終わることになったので、自分でもまとめておきたかった。
我が家の猫自慢と言いたいところですが、
基本的に猫の死に触れる表現が多いので、心が不安定な方はお気をつけください。

今日は「しまお」とその家族、今まで一緒に暮らしてきた猫の話と、過ごしてきたことについて簡単に書いていこうと思います。
noteが初めてなので、見辛い点はご容赦ご指摘ください。

この記事を書いている人

普段はゲームをしながら仕事に追われる人間をしています。

猫はとてもかわいい

タイトルにするまでもありませんが猫は可愛い。動物全般が好きなので犬も可愛いしそこらへんで電線に留まっている鳥も私にとってはかわいいです。

そうして見るだけならタダと言いますが、自分の家族として迎えるのはまた別。今日はそんなお話です。

いつのまにか増えた大家族

我が家には長年猫がいました。詳細は省きますが、田舎に住んでいるせいか、住民性なのか、今でいう『地域猫』と呼ばれる、地域全体で庭でごはんを上げたりしている野良猫が近所にたくさんいました。
家に帰って車を降りると、庭先に知らない猫がいる。
ごみを捨てに行くとまた新しい猫と出会う。猫も、人間は『ご飯をくれる召使のようなもの』だと思っているのか、怖がらない子が多い地域でした。
大人も子供も、気づいた時には猫と触れ合う、そんな地域で生活をしていました。

地域猫とはいえ、毎日家に入れてぬくぬくと生活している訳ではありません。
基本は野良猫と同じスタンスなので、夏は熱いなかで涼しい場所を求めて歩くし、冬は寒さをしのいでご飯をもらえる家を探します。
そんな中、我が家の家の中に上がり込むことに成功した猫たちがいました。
冒頭の『しまお』のおばあちゃん猫です。

おばあちゃんは我が家で『ちびくろ』と呼ばれていました。
『ちびくろ』は女の子ながら、人間に例えるとプロレスラーのような体型をしたパワータイプ女子でした。
近所の野良オス猫は彼女に誘われては※ パンチを浴びて追い払われ、また繰り返し『ちびくろ』に挑んでいました。
自分の意思ではないけれど、誘われたら断れない。
猫って大変だなと感じたのを思い出します。

※猫は発情期になるとメスがオスを誘うフェロモンを出し、オスは基本的に一度フェロモンを受けると断れないと聞いています。
ここだけ聞くと、人間よりシビアだなと感じますね。

そんな野良の猫たちは、基本的に生まれて半年くらいで子作りを始めます。猫は人間の4倍で年を取ると言われていますが、それにしたって早い。
その生活の中で、当時家と外を行き来していたちびくろがお腹を大きくして帰ってきました。
その子供が、『しまお』のお母さんとその兄弟でした。

出産、プチ家出、病気。

しまおのお母さんは、しまおを含め五猫兄弟を生みました。
白い毛並みの『ふくお』白黒柄の『ごま』子猫当時左右の目が病気がちだった『左近』『右近』それから『しまお』です。

なんとほぼ全員黒猫。

五猫はみんな、家の中で生まれました。5月初旬のまだ少し涼しい日、当時私は専門学校生でした。

夕方からひとりずつ生まれ初め、母からは生まれる度にショートメールが送られてきました。
「1匹生まれました」「もう1匹」「まだいるみたいです」「終わったら改めて数を数えます」
電車でクスっとなった瞬間でした。

生まれると聞いた瞬間から、私はこの子たちを里親に出すか、自分で育てるか考えていました。
当時は専門学校生。バイトくらいしかできず、お金はありません。
親を完全に頼ることになります。

悩みはしましたが、両親に素直に『全員育てたい』と話し、いいよと言ってもらいました。
母は「全員可愛くて、人になんてあげられない」と笑っていました。

当時の食事風景。1猫サイズ感が違う。

猫は半年から1年で大人になり、我が家の子たちも例外なく立派になっていきました。

そんな年が明けた冬、我が家に事件が訪れます。
家の窓をあけて網戸状態にしていた場所から猫が誰かそこを手で開け、
それぞれ家出をしてしまいました。

結果、一番身体の大きな『ふくお』は戻って来ず、数日家を出た『右近』はお腹が減りすぎたことに耐えられずに帰宅しました。
左近は身体が大きいのに、屋根が凍っていて滑るため、こわくて途中で立ち止まっていたのを捕獲しました。
私が高所恐怖症のためこちらの心臓が止まりかけましたが、屋根を伝い、
落ち着いて捕まえて、家に戻すことに成功しました。

※ふくおは後日、近所の幼馴染の地域でボス猫になった、と写真とメールをもらいました。元から強そうな顔だったけど。

それから十二年、左近と右近が同じ年の冬に病気になり、それぞれ亡くなりました。
左近は糖尿病、右近は腎臓を傷めていました。
2匹ともぎりぎりまで食事をとったり、日に日に細くなることに不安になる私の横で鳴いて気を引こうとしていました。
とても優しい子たちでした。

このあたりから、身近な生き物の死は突然にやってくることを知り、私は近所の病院や、猫の病気、身体の作りの事を調べるようになりました。

家猫は安全な場所で生きているけど、それでも強い訳じゃない。

左近と右近のことがあってから、猫にあげる食事を変えてみたり、色々なチャレンジをしていた日のことです。
お母さんの『りゅう』が十五歳になった頃、ある夏、突然食事をとらなくなりました。
りゅうはそれまで、細身であるものの健康で、食事も取り、トイレや毎日の生活に何も手がかからない子でした。

子供たちもりゅうが大好きで、いつも一緒に寝ていました。

一番右がお母さんの『りゅう』。名前は劉備玄徳から。

りゅうの体調不良から、病院を家の近くに変えることにしました。
診断の結果は、腎臓機能の低下による体調不良。
かかりつけのお医者さんは何も言いませんでしたが、私はその夏、蜂が庭に大量発生した際、ベランダに近づけないようにと、網戸に当時流行っていたハッカ油を噴射していたことを思い出しました。

猫にとって、精油という猫の内臓が消化できない植物成分を凝縮した加工物は、少し吸うだけでも内臓に支障を与えます。
直接的な原因かは分かりませんでしたが、りゅうは腎臓を傷めたことから自分で歩いたり食事をとることができなくなり、私が手で毎日3食食事をさせ、トイレの世話をしました。

歩けなくなった二か月後、亡くなりました。
それでもすごく頑張ったと思っています。

お医者さんも家族も、友達も老衰に近い寿命だと言ってくれたけれど、人間の行動ひとつで猫の時間を縮めることもあると学びました。
人間にも自分の子供たちにも優しかったりゅうは、私が朝起きて、顔を見に行くまで待ってから息を引き取りました。

左近と右近の時から数年、何度経験しても別れが悲しい事に変わりはありません。
それでもまだ長生きしてくれている猫を、より大事にしようと思いました。

猫は頭がいいし、きっと言葉が分かっている。

それから数年がたち、ごまとしまおが十七歳を迎えました。

猫は二十年生きたら猫又になるなんて言うよね、と家族で話をしていた時。しまおがあくびをした時に、口の中に口内炎のようなものを見つけました。
猫は口内炎になりやすいので、そのうち病院に、と思っていましたが、
嫌な予感がして予定を前倒し、病院へ連れていきました。

しまおの身体には、悪性の腫瘍ができていました。
寿命は半年です。そう言われた日、帰りの車で泣いてしまいました。
私が泣いてもガンは治らないのに。
そこにいるのが当たり前だということはないのに、
半年でしまおと会えなくなる現実が迫ってくるのが耐えられなかったんだと思います。

幸いなのか、仕事で在宅の頻度が上がっていた頃だったので、
それから毎日、私はしまおとの時間を多く作ることにしました。
自分は遊びに行く時間を控えて、薬を飲ませる時間も多くとり、
美味しいちゅーるをあげて楽しい時間を増やすことを心がけるようになります。

彼女に「私はあなたとの時間が嬉しいよ」と伝えて行きたかった。
死ぬ間際が苦くて嫌な薬と、泣いているばかりの飼い主なのは、きっとよろしくないと思って。

今日気付きましたが、私の掛け布団は黒猫柄でした。

しまおにあげていたのは人間も飲むことのある『ステロイド』でした。
濃度としては人間なら苦くて飲めないくらいの薬を飲みつつ、しまおが毎日を頑張っていた頃。
今度は、ごまが日に日に食事をとらなくなりました。

いたずらっ子だったけど、自分がかわいいアピールは欠かさなかったごま

人の分まで食べる子だったごまを、すぐに病院へ連れていきました。
その時点でお医者さんからは薬を処方されて、一言。
『薬が無くなっても体調が戻らなければ、本人はもう連れてこないで薬だけ取りに来てください』
この時点で、ごまは長くないのかなと思いました。
そういわれるのが怖くて、私からお医者さんに尋ねることもできませんでした。

綺麗な毛並みだったごまは、首から下の毛がびっしょり濡れるような症状になった後、その二週間後に静かに息を引き取りました。
恐らく肝機能不全で、原因は不明。後日別のお医者さんからは、老衰に近いのではと言われることになりました。

余談ですが、近所にもっと近い病院があることを知り、少しでもごまのためにできることがあるならと行く決意をした日の朝、ごまは亡くなっていました。
「明日は病院へ行くからね、おやすみ」
そう彼に伝えた夜、小さい声で鳴いていました。

ごまは外が苦手だったので、病院嫌だったか~、と猫に掛ける言葉を考えるようになりました。

末っ子だからなのか、一番飼い主の近くを陣取りがちだったしまお

実はりゅうを含めた子供たちの中で、ごまだけは臨終に立ち会う事ができませんでした。

他の子たちは私がそばに寄るのを待っていたように、大きな声を上げて、そのままゆっくり息を引き取る事がほとんどで。
ごまは頭のいい子だったから、人間が泣くのを見たくなかったのかもしれませんね。

朝起きてみた時、そばにはしまおが静かに座っていて、せめて妹がそばにいてよかったなと思いました。

猫は毎日鳴く、十八年毎日鳴く。

しまおはよく鳴く猫でした。
私が仕事などで外出中、寝室が閉まっている時にドアの前でずっと私を呼んでいることもあり、
(※自宅にいる母によく報告されました)
また私が通話で誰かと楽しく喋っていると、やきもちを妬いてより大きな声を出しては友人に声が届いてしまうことも良くありました。

そんなしまおの声が、猫が好きな友人各位には楽しんでいただくことも多かったようで、
ゲーム配信中にも猫が鳴いてるよとコメントいただくこともありました。

そんなしまおは、ごまが亡くなった日から、ほとんど鳴かなくなりました。
代わりに私は、ガンを患うしまおの体重が増えず、
ごまが突然に近いかたちで亡くなった事を受け止め切れずに毎日泣いていました。

しまおは、昨年3月時点で、余命半年の予定でした。
いついなくなるかもしれなくて、考えても仕方がないのに、人間だけが泣いていたんです。

じっとこちらを見るしまお

しまおは亡くなる直前まで、本当によくご飯を食べる猫でした。

口の中全体が口内炎のようになる病気だったのに、自分が好きだからと美味しい(ちょっとだけ高いお値段の)カリカリを食べ、
良く水を飲み、足りなければちゅーるや、おにく生活というレトルトごはんを催促していました。
私も可能な限り食事をあげ、身体を撫でていました。

猫を寝室には入れないルールも解禁し、寒いからと布団にも入れて1月を過ごしました。
猫には人間の布団が重いので、しまおは水を飲みに出る度に私の顔を爪で引っかけ起こします。
人間の睡眠は短くなりましたが、しまおと交流できている事を私は楽しんでいました。

2月に入り、しまおがとうとう下半身に力が入らず、立てなくなってしまいました。
それでもできることをしようと、人生初の猫おむつにチャレンジ。
一年前はあまり猫用品の品ぞろえが豊富ではなかった、近所のドラッグストアに置いてあり購入してきました。

仕事をどうにか在宅で調整し、少しでもしまおの生活が良くなればと、
一緒に過ごしていたある昼のことでした。
寝たきりのしまおの体の向きを変えようと抱き上げた時、かくり、としまおの首が落ちていきました。

ゆっくり布団に下ろして、ありがとう。大好きだよ、と伝えると、しまおは静かに息を引き取りました。
彼女はもう、声を上げて鳴くことはありませんでした。

目が大きなしまお。この後飼い主にパンチを繰り出します。

死は慣れるものじゃない。生きている人間のつとめ。

ちょうど先程、自宅に来た火葬業者さんがしまおの葬儀を終えて帰られました。

猫が亡くなったあとどうしたらいいのかと、ただ悲しみの中でインターネットを調べていたあの頃から数年。
火葬業者には同じ担当さんがいらっしゃるため、受付から火葬、お骨拾いからお支払いまでの流れには慣れてきている自分がいました。
それでも、火葬前に「今まで一緒にいてくれてありがとう。いってらっしゃい」と口上がはじまると絶対に泣いてしまうし、
十数年一緒に生きてきた猫との別れには一生慣れないと感じます。

猫だけではなく、犬や鳥、ハムスターやモルモット、
様々な生き物と一緒に暮らす人はたくさんいらっしゃると思います。
人間が八十年ほど生きる世の中で、先に亡くなるのは彼や彼女、
ペットたちの方なのは当然で。
別れが悲しいなら一緒に過ごさなければいいじゃない?という声もあると思います。

それでも、私は猫たちと暮らしたからこそ、今の自分があるのではと思っています。
欲を言えば私が猫たちの身体のことをもっと早くたくさん詳しく知って、
もっと病院に詳しくなっておき、もっとたくさんの時間を過ごしたかった。
ペットたちと過ごす人間のつとめは、自分より寿命の短い彼ら彼女たちに、
どれだけ寄り添って過ごせるかという事だと思います。

もし、これから動物と一緒に生きていこうと思う方がいたら。
出来る限り、その子と一緒にいる時間を大切にしてあげてくださいと伝えたい。
後悔のない時間を過ごして欲しいなと思います。

これからのこと。


しまおとは仲の良かったチロル

我が家には、数年前水路に落ちそうなところを拾った猫チロルが、まだ1匹元気に過ごしています。
彼女としまおたちとは生活スペースが別だったのですが、
時折会いにいくと挨拶していたことから、何か猫なりに交流はあったように思います。

今日の葬儀の前、リビングから廊下に飛び出したチロルは、
しまおの収まった箱を覗いてじっと中を見つめていました。
猫に分かる何かがあったのかは不明ですが、
しまおはチロルにも優しかったので、しまおに心配をかけないように、
チロルの事をこれからももっと大事にしていこうと思っています。

猫がいなくなっても、私の寝る場所が広くなっても、
生きている人間には明日が変わらずやってきます。
もしかしたら寂しくて時々泣いてしまうかもしれませんが、
猫たちに心配をかけないように、
これからも毎日頑張っていこうという気持ちが、今の私の原動力です。

追々、今度は我が家にいた猫のかわいさについてお話しできたらと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
明日からもまた、がんばりましょう🐈

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