育つ、育てるのこれから考
先日、とある左官屋さんの親方とお話しする機会があった。3年前に「左官業に憧れてこの世界に飛び込んだ」女性の職人希望者に対して、親方は「どのように育てるか?」を真剣に悩む。男ばかりの昔風情な職人の世界にそのまま飛び込ませて良いわけがない。東京の大手左官会社の「女性左官育成方法」を学び、自社に取り入れた。その方法とは、動画を活用して、しっかりと研修し仕事や用語、現場で求められるスキルを頭と身体で覚えてもらって、その上で現場にも立たせるという。その結果、今や、腕も、センスも、他の職人にも引けを取らないという。職人の世界だと、教育方針も目的目標も与えず、ただひたすらに下積み、単調な作業を強制するようなところも多いと聞く。「目で盗め」的な。そうではなく、基本の「キ」からしっかりと学んで「楽しんで吸収できる機会」を持ってもらうことで、モチベーションを保って仕事ができるのが一番なのではないか、と。なるほど。職人の世界も変わってきている。
今や当代イチの落語家とも評判の立川志の輔さんは、本来ならば前座修行する新人さんが落語界のイロハを学ぶ「寄席」※(よせ と読む。落語を主に開催している、専用の演芸会場)でのキャリアをほぼ経験していない。それは、師匠である談志さんが、志の輔さんが弟子入りした直後に、色々あって落語協会を脱会したため。
一般的な落語家さんは、寄席に出て、スキルを磨いて、二つ目→真打になるルートなのだが、志の輔さんは「寄席に出ない落語家」として、自ら落語会の会場を借りて、チケットも自分で売って、定期的に落語会を開催することでスキルを磨く。自分の興行をプロデュースするのだ。手打ち興行で、自分の落語と真剣に向き合う日々。また、会場のコンディションもその度に異なるので、客席に届くための音響への感覚も研ぎ澄まされる。
立川志の輔さん以降の「立川流」の落語家さんは、そういう理由もあって、寄席に頼らない落語家として、よりインディペンデントで、アグレッシブ。個々の個性や見せ方が上手い流派であると思う。立川流で最近話題の立川吉笑さんの落語などは、既存の落語よりも感覚が、センスが新しくて、鋭い。
今までこうだから、という慣習ではこの先に通用する人材ってのは生まれないのではないか。「次、きっとこうなる!」を大胆に仮説して、失敗を恐れず、その為に大きく変わる事。
義務教育も、ゆくゆくは登校までは普通に学校に行って、授業はもう、リモートになるんじゃなかろうか。先生に直接授業を受けるよりも、パソコンおよびタブレットを使った通信教育的な。「読み書きそろばん」のような基礎の教育(古っ!)カリキュラムもありつつ、より、個々の子どもの興味・関心に特化したことを自主的に勉強できる「遊び」や「余白」も環境が整備されてるといいよなあ。「そんなんじゃ、集団行動が出来ない子供になる!」とか?いやいや、そもそも「日本的イビツな集団行動」を教育の現場でここまで強いてきたからこそ、結果としてジャニーズ問題が表面化しなかっ…。まあ何にせよ、「国内でしか通用のしない人材」を大量に育てた結果が、ここのところの停滞した30年なのだろう。
うちの2歳児と0歳児にも、周りに流されずに、先を見て自分で判断して動ける人間に育っていただきたい。ってな意気込みで私も育てていこう。そして、そんな学校教育環境も、切に望む。わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい。(いつだかのソーセージのcm)
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