
エッセイ~ニコニコする事について~
周りから「イジュっていつもニコニコしてるけど、怒る事とかないの?」みたいな事をたまに言われます。確かにニコニコしているかなぁ、もはや癖になって意識もしていない。しかしよくよく考えてみると、それには確かな理由がありました。今回はそれについて少し深堀してみようと思います。
①「楽しみたい」欲が強い
例えば仕事に関しては、好きな事を仕事にしたいタイプです。好きな事をしていれば自然とニコニコに繋がるのは想像しやすい。しかし好きな事を仕事にするというのは、時としてリスクを伴うこともあります。理由の一つとして雇われる方が「好きだから雇われたい」に対して雇用する側は足元を見ることができる点です。そして仕事に就いてもその延長線上に「好きな事なんだから」を盾に法外な時間、内容を要求されることもあります。私の場合、それはそれで若い時はよかったのですが、年を取り体力が落ちていくことを見越して、このまま「好きな仕事」に全振りから少しバランスを取ろうと決めました。
じゃあ今まで「好き」であったモチベーションをどこで補うのか。それは「好き以外でも楽しめる心」を持つことでした。それはゼロから発見していく主体性が必要でもあります。仕事のルール、構造、人的動線、様々な事に疑問を持ち、自分ならどうするかシミュレーションしていく。そして先々の予測は周りとのコミュニケーションにも役立ちます。
「考える」=「楽しい」を結びつけることによりモチベーションを保ち、結果ニコニコに繋げるという変化を少しずつ自分の中に取り入れていったのです。
②対人としての役割
次は対人としてニコニコをどう捉えているか、また扱っていくべきだと考えているのかについて話していきます。
まず簡単に言えば「類は友を呼ぶ」ということです。なぜなら自分もニコニコが好ましいから自分でやっているため、ニコニコな相手を好ましく思います。相手も同じ理屈ならお互いwin-winの関係になるのです。
逆に「不幸であることを共有点とする人」を避けるフィルター的効果もあります。私は自分や大切な関係者が幸せになることにしか興味がないため、そういったコミュニティー内では異物となります。ですので普段から自分がニコニコ族であることをしっかり表現して分からせるのです。
③補足:ニコニコの注意点
ニコニコ族は時として舐められる場合があります。誰にでも好意的、何をしても好意的だと勘違いする人がいるという事です。そこで注意点としては「誰にでも好かれるという目的でのニコニコではない」ということを肝に銘じておかなければならないということです。
今一度まとめると、
「主体的に楽しめる心を持つ」の副産物=自分のため。
ニコニコ族同士win-winの関係性を築く=相互のため。
「不幸を共有点とする人」へのフィルター=自分のため。
要はニコニコすることで自分にとってこれだけのプラスの効果があるという自覚のもと身につけていったんじゃないかと思います。
また「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ」という歌にあるように、幸せを感受する心を育てていく、自発的に生み出していくことが大事だと感じています。そのためには「楽しみを生み出す日々の修練」が必要で、最初は嘘っぽいかもしれないし、注意点のようなものに引っかかるかもしれない。けれど楽器だってスポーツだって最初はうまくプレイできないように、楽しく生きるという抽象的なものだって修練度によって見え方が違ってくるのではないかと思うのです。