2024年の読書など感想ーSHOGUNとか

2024年、Disney+を契約した。せっかく見たのでSHOGUNの感想に絡めて読んだ本の感想をまとめてみる。なお、SHOGUNのストーリー全体に対するネタバレが含まれます。

〇SHOGUN(2024版)
年の初めに予告編を見て「面白そうだな」と思っていたらあれよあれよとエミー賞を18冠してしまい、見るタイミングを逃していた。いまさら感想を書いても遅きに失した感もあるが、一応。
【Youtubeの予告編】

率直に言ってしまうと、予告編が一番面白かった、のである。衣装の繊細さとか所作の正確性、舞台装置の壮大さ、そして(現代から見れば日本人からしても奇異な)異文化との接触、という作品の魅力は上記の予告編で余すことなく表現されているし、何ならハイライト部分が予告編で取り上げられているところなので上がった期待を超えるのは非常に難しい作品だったように思う。物語全体にしても、日本人にとっては馴染みのある関ヶ原前夜の徳川家康 対 石田三成を下敷きにしているだけあって、真新しさはない。
一応、人物関係だけ整理しておく。1600年、吉井虎永(徳川家康)の領地に漂着したウィリアム・ブラックソーン(ウィリアム・アダムス)は虎永家臣の妻である戸田鞠子(細川ガラシャ)を通訳として、日本を二分する争いに巻き込まれていく、といったもの。史実から離れた人物も多く登場することから、実在の日本史ではなく、架空の日本史となっている。
個人的に一番好きなキャラクターはマルティン・アルヴィト司祭だったりする。粗野で行動派の按針に対して抑制的で思慮深く、異文化に対する敬意もある「いかにも日本人が好みそうなガイジン」。演じるトミー・バストウは来年のNHKドラマでは小泉八雲役をされるそうだが、適役であると思う。そして、鞠子(細川ガラシャ)をメインとしたラブロマンスにおいては、重要な役割を持っている。
本作へのステレオタイプな批判として、いかにもアジアンフェティッシュらしい展開というのが挙げられる。漂着者であるブラックソーンと鞠子が恋に落ちる理由が説得力に乏しい。「アジアの女子はすぐに白人を好きになる」を地で行く展開だと言えば、そうではある。(とはいえ、ボンドガールはどれもこれもそんな展開な気がしないでもないが)
想像力をたくましくしているかもしれないが、おそらくこれに対して作中で一定の回答は示されているように思う。鞠子が最初に恋をしたのはアルヴィト司祭だった。おそらくは転移性恋愛のように、カウンセラーに対しての好意として。だから意地悪な見方をすれば、按針への好意は司祭の代替品としての好意であり、ガイジンという記号を消費している。白人男性の記号的消費というのはアジアンフェティッシュの鏡像なのだ。
このように解釈することで、ブラックソーンというキャラクターの喜劇性が際立つのではないかと思う。ブラックソーンは当初、日本の野蛮な文化を拒否し、イギリス人として振る舞い続けようとするが、徐々に日本文化を受け入れていく。そして終盤、鞠子と枕を交わす。この時点で、ブラックソーンは主観的には日本文化を理解し、鞠子とも通じ合ったと考えていたが、その後に鞠子の真意も虎永の策謀も理解できていなかったことが明らかになる。少しばかり滞在したから異文化が理解できるであるとか、抱けば女を征服できるとかいう考えは、どこまで行っても浅薄なのである。
さて、ラブロマンスとして捉えたSHOGUNは童話的な構造を持っている。「死」に取りつかれたお姫様の心を現世に引き戻すために求婚する男たちという構造は竹取物語と同型である。鞠子の夫である広勝は恩義によって、アルヴィト司祭は信仰によって、ブラックソーンは愛によって鞠子を引き留めるが、最終的に彼女は死を選ぶ。『エリザベート』の「死」は詩人の姿をしていたが、日本の死は将軍の姿をしている。虎永は死のメタファーなのだ。そして最終幕、吉永とも鞠子とも分かり合えなかったブラックソーンは広勝やアルヴィトとは精神的な和解を遂げる。「死」に女を奪われた男たち、コキュの傷心は文化を越境し、男たちに奇妙な連帯を生み出すのである。

〇ルース・ベネディクト『菊と刀』
『SHOGUN』原作小説の著者ジェームス・クラヴェルは第二次世界大戦の従軍経験があり、日本軍の捕虜になったことがあるそうだ。『SHOGUN』冒頭の場面、漂着したブラックソーンが現地の武士に法に則った適切な取り扱いを懇願するが無視され、船員が釜茹でにされるショッキングなシーンにはほぼ間違いなく日本軍の捕虜への非人道的な取り扱いが反映されている。
ベネディクトの『菊と刀』は第二次世界大戦中のアメリカで行われた日本文化研究をまとめた、あまりに有名な古典である。多くの人は「罪の文化」と「恥の文化」に聞き覚えがある。一方で、交戦中の敵国に対する研究であることや不正確な情報が多く論拠となっていることから、ある種のプロパガンダとして整理され、現代にあらためて読み返すような本であるとは見なされないことが多く、私も読んでいなかった。最近に比較文化論の本を何冊か読んで、何となくこちらも手に取ってみたのだが、現代においても読むに値する本であると思う。
『菊と刀』にはいくつか美点がある。まず日本文化全体に対する包摂的な論となっていること。ベネディクトが戦時下でアクセスできた日本語の文献や古典、日系人へのインタビュー調査が縦横無尽に配されており、昨今の印象論的な日本文化論とは一線を画す厚みがある。そして戦時下であることを考慮すれば、日本に対する批判が慎重に抑制され、客観的な記載を行おうとしていること。これも近年の「外国人から見た日本」に関する情報が正負いずれかのナショナリズムに極端化しがちなのと比べて良い点である。最後はベネディクト自身も想定していなかっただろうが、日本文化とアメリカ文化を対置しながら日本文化の異質さを描き出していくスタイルが、日本人読者にとってはアメリカ文化の異質さを理解する入口となっていること。
ベネディクトが述べる「西洋文化と日本文化の違い」の力点は「罪と恥」というより、演繹的な論理を重視する西洋に対して文脈ごとに状況を判断する日本、という点にある。ベネディクトはキリスト教の黄金律やカントの定言命法を引き合いに出しつつ、西洋が他者への危害を排し個人を尊重する尊厳を重視する人権思想を絶対的な優越原則として有しているのに対し、日本の論理は常に相対的であり、関係性に依拠している。ベネディクトは日本文化を理解するキーワードとして、真珠湾攻撃時の声明にある「各々其ノ所ヲ得」に注目する。日本文化では国家、組織、集団、家族、個人が階層性の中に位置づけられるべきであるという秩序観があり、それぞれにふさわしい地位である「其ノ所」が与えられるべきだと日本人は考えている。「其ノ所」と言われてもピンとこないが、一般的な日本語で言えば「分」である。日本人は「分」をわきまえ、あるいは「分」相応に振る舞うことを重視する。富者は「分」限者、すなわち「分」の際まで富裕になっているのである。そしてそれぞれの分をわきまえている限り、地位にふさわしい義務を果たしている限りにおいて、一定の権利は保証されるし、それが侵害された時には権利の回復を目指して戦うことが正当化される。ただし、求められる分相応の「義務」や「権利」がどのようなものであるかは慣習的に決定され、さらに文脈や関係性によって変化する。そして、階層が下れば権利が縮小するのと同様に、階層が上がれば義務も拡大する。典型的な日本文化においては、上層階級は多くの特権と引き換えに上層階級らしく振る舞う義務が生じ、階級上昇に伴って自由は制限される。この点が自由を根源的な美徳と捉え、さらなる自由を目指して競争するアメリカ文化と大きく異なる。
日本文化が文脈依存的であることとアメリカ文化が一貫性を重視することを示す印象的な話が載っている。日本を訪れていた宣教師夫妻に日本人が渡米したい意志を伝えたところ、そんなことは無理だと冷笑されたことに対し、日本人は内心で「不誠実」だと激昂し、冷笑は許されないのだと憤慨したというエピソードである。ここでベネディクトは冷笑されることで傷つく日本人の繊細さに驚くとともに、"sincere"と「誠実」の意味内容が異なることを見出す。アメリカにおけるsincereとは「本心を偽らないこと」であって、「目の前にいる日本人がアメリカへ留学することは現実的に難しいだろう」と考えたのであれば、思った通りに伝えるのがsincereである。対して日本における誠実さとは、相手との関係性に応じ、言行を一致させることを指す。もしその場限りの関係性に留まるつもりなのであれば、相手が馬鹿げていることを言っていると内心で感じたとしても、それを表明せずに無難な態度を示しておくことが誠実であるし、逆に関係性を深めることを選択するのであれば、渡米に向けて支援をする、あるいは渡米せずとも日本国内で夢を追うための方法についてともに模索することが誠実な態度と見做される。SHOGUNが日本でも絶賛されたのは、プロデューサーに真田広之を迎え太秦映画村と協力し、所作の一つ一つにこだわったことに対する「誠実さ」、他者である日本文化との関係性に長い時間と費用をかけたという事実が何より重要だったのではないかと思う。
さて、クラヴェルが衝撃を受けたであろう日本人の捕虜に対する感覚の話に戻る。ベネディクトも「生きて虜囚の辱めを受けず」に衝撃を受ける。西洋においては投降は通常の選択肢であるにもかかわらず、日本軍は投降せずに玉砕する。そして裏返しとして、日本軍の捕虜に対する扱いは苛烈であった。BC級戦犯の多くが捕虜に対する虐待的な取り扱いによって有罪となっている。ベネディクトはこのことに対して、一応の説明をつけている。
西洋において、人権は絶対的なものである。捕虜にも人権は当然ある。他方、日本において人権は文脈依存的である。武士と農民では生命に軽重があるように、人権は「分」に応じて伸び縮みする。戦場という特殊な状況において、捕虜の人権は大きく縮小する。日本軍の捕虜収容所において問題になったのはアメリカ人捕虜の「口答え」、自身の正当な権利を確認し、適切な扱いを求める訴えであったとベネディクトは述べる。これが日本人には問題に映った。捕虜は捕虜らしく従順にすべきであって、正しい取り扱いを求めることは反抗的な態度であると見做された。SHOGUNの描写、「野蛮人」であるサムライたちに対して対等の存在として法の順守と人権の保障を求め、虐待的な取り扱いを受けるブラックソーンたち英国人には、クラヴェル自身が戦時中に受けた取り扱いが反映されているのではないかと思う。

『菊と刀』には不十分な面も多くある。新訳版のあとがきでも指摘されているが、事実誤認が多く含まれるのに加えて、戦時中の日本人の行動を分析するために昭和以前の日本文化を全てひとまとめにして材料にしている。これはベネディクトが本質主義的であることに由来するのではないかと思う。フランス文化にはフランス文化の本質が、アメリカ文化にはアメリカ文化の本質があり、それは通時代的に変わることがないのだという文化観が冒頭に示されている。また、日系人をインフォーマントとしたことの弊害もあるだろう。日本は明治以降に「単一民族国家」「共通の日本文化」「万世一系の天皇」「王政復古による歴史の一貫性」という物語を強化し続けてきたし、アジアの盟主としての正当性を強化するため、他のアジア諸国とは異なる特殊性が日本にはあるのだという考えを強めてきた。おそらく、ベネディクトが聞き取りを行った日系人もそのような日本観を強く内面化していただろう。そのため、ベネディクトは日本文化が特殊であることの説明に終始する。一方で、文化というのはヒューマンユニバーサルな特徴とより広範な文化圏からの影響、あるいは強力な領主権力がある社会の普遍的なパターンと地理や生業に基づく影響と偶発的な歴史性が折り重なって作られるものであり、概して孤立しているものではない。点としての文化を理解するためには、複合的な理解が必要になる。
ベネディクトは日本文化の特殊性として「恩」と「義理」を挙げる。モースやポランニー、あるいはバタイユに親しんだ読者からは、これは互酬性を基礎に置く普遍経済の特徴であると感じられるだろう。ニーチェも報恩が道徳の普遍的な基礎にあると論じている。ベネディクトは日本文化と中国文化は大きく異なるという。中国の儒教は個人的な関係性よりも仁や大義を重視するのに対し、日本は個別の義理と大きな権威に対する忠誠のジレンマが重要なテーマとなっており、忠臣蔵はその典型例だと指摘している。しかし東アジア圏にいれば誰でも知っている通り、赤壁の戦いの後、恩義ある曹操と主君である劉備との間で煩悶した関羽が曹操を見逃す場面は三国志演義のハイライトであり、個人的な義理を捨てきれない人間性がために義の人である関羽は関帝として中国で広く尊敬を得ている。日本文化の特徴である「分」にしても、秩序体系の祖型は儒教由来だ。そしてベネディクト自身、トクヴィルがアメリカのデモクラシーを称揚した返す刀で階級社会の美徳を説くことに戸惑いを覚えている。
もちろん、このあたりは時代的・地理的な限界だろう。人類の普遍性に関する研究はモースが先鞭をつけていたとはいえ、本格的にはレヴィ=ストロースの構造主義を俟たねばならない。アメリカ人であるベネディクトが日本のことを調べたとしても、アジアの中での日本、というのを理解するには時間が足りず、交戦中の国家をフィールドワークするわけにはいかなかった。そして本質主義は20世紀の時代精神のようなものだった。
そのあたりを割り引いた上で、大変面白い本であると思う。戦後日本はアメリカを手本に西洋化を進めたが、今に本書を読み返してもかなりの程度の戦前日本が残存しているのが見て取れる。入国管理局での難民の取扱いや犯罪容疑者の取扱いについて、欧米諸国からの非難が強く日本国内では大きく問題にならないのは、捕虜と同じく弾力的な人権意識が未だ根強く残っているのが一因だろう。個人的にも、文脈によって人権の軽重というのが変わるものだという感覚は根強く、ベネディクトが言うところの優越原則に基づいた演繹的な社会秩序というのが(論理的には理解できるにしても)しっくりこないところがあるのである。

〇F.B.アルバーティ『私たちはいつから「孤独」になったのか』
SHOGUNの登場人物は史実のとおりではなく、別の名前を与えられている。これによって、彼らの孤独は史実よりも深いものになる。虎永の横に本多忠勝はおらず、ブラックソーンはヤン・ヨーステンとの交流を奪われ、石田三成と大谷吉継の友誼は存在しない。
しかしながら、16世紀を生きる彼らは、現代の私たちと同じ孤独を感じていたのだろうか。あるいは観客の分身として、現代的な倫理観と感情を抱いているように見えるウィリアム・ブラックソーンは、16世紀のプロテスタントであるウィリアム・アダムスと同じ感覚を持っているのだろうか。
ブラックソーンはとても現代的なキャラクターである。日本人を野蛮人と呼ぶなど、表面的には16世紀の傲慢な植民地主義者として描かれているが、一方で彼はアメリカ独立宣言にある「生命、自由および幸福追求の尊重」を地で行く人物で、国教会の信徒ではあるものの、かなり世俗的である。ブラックソーンという「共感点」があることで、現代(欧米諸国)の視聴者はスムーズに日本という「異世界」に没入することができる。ここには暗黙のうちに、16世紀のイギリス人と21世紀のアメリカ人は連続したものとして想定されている。だが、行動規範としての感情体系は必ずしも同じ国なら通時代的に同じなわけでもなく、文化圏が近ければ同じわけでもない。
SHOGUNの著者、ジェームズ・クラヴェルは1924年の生まれだが、その少し下、1925年から1945年ごろに生まれた世代はイギリスでもアメリカでもsilent generationと呼ばれている。しかしそのニュアンスは異なる。イギリスでは沈黙を規範として身に着けた人々であるのに対し、アメリカではマッカーシズムの下で沈黙を強いられた人々である。沈黙に対して美徳を感じるか抑圧を感じるか。伝統的権威を尊重するイギリス人と自由を至上命題とするアメリカ人の差はこんなところにも表れる。16世紀のイギリス人であるウィリアム・アダムスはどうだろうか。
アダムスが乗ったリーフデ号は5隻の艦隊でオランダを出発している。途中2隻がスペインとポルトガルに拿捕され、1隻は航行が困難になり、日本に到着できたのはリーフデ号1隻のみで、弟のトマス・アダムスも南米の島嶼部に寄港した際、現地人に殺害されている。残った船員も多くが壊血病等で死亡しており、地獄のような航海であったようだ。
このような状況が普通だった時代に妻子を残して極東へと渡ったアダムスの感情は、果たして現代人と連続しているのだろうかというと疑問がある。アダムスの心象風景において神が占める位置は現代人よりもずっと大きかっただろうし、死生観も現代人よりむしろ戦国期の日本人と通じる部分も多いだろう。キリスト教的な色彩を濃くすることで、宿命論(SHOGUNの作中では日本人特有の諦観として提示される)もずっと容易に受け入れたのではないかと想像する。

私たちの感情を取り巻く規範や行為がどのように変わってきたのか、という疑問を解き明かそうとするのが感情史という比較的新しい分野であり、本書は「孤独」をテーマに感情がどのような変遷を辿ってきたのかを探っていく。
19世紀以前の西洋の人々にとって、「神」はリアルな存在だった。多くの人は実際に神を「感じる」ことができたし、たとえ一人の時であっても神が意識された。孤独の意味合いも「一人でいるとき」に実際にどう感じるかも、歴史的な文脈と当人の信念、社会的な状況によって大きく変容する。「孤独であることは良くない」という社会規範が孤独をより深いものにすることもある。イギリスでlonlinessが現代的な意味で使われるようになったのは19世紀以後のことであり、それまでは孤独という語は感情的な落ち込みのニュアンスがない、ただ一人でいることを指すonelinessが一般的な語だった。一人でいることはむしろ肯定的な状況であり、芸術的な霊感や神との対話を生むために必要な時間でもあった。ところが19世紀以降は孤独が喪失感と結びつけて考えられるようになり、強い関係性を持つ他者の不在が大きな空虚を生むようになった。
イギリスでは孤独対策大臣がいるようだが、歴史的経緯や社会的文脈に関する深い理解がなければ対応が難しいのが文化的側面の強い社会問題である。イギリスの社会規範と日本の社会規範は大きく異なる。日本では強い関係性の不在、「ぼっち」であることはそこまで問題と見做されない。イギリスでは外向的でない人間は精神的な問題を有していると捉えられるそうだが、日本においてはむしろ内向的であることがスタンダードである。イギリスの孤独と比べると、日本の孤独は韓国の孤独に近い。韓国社会においては「自分に十分な価値がない、もしくは目的を失っている」時に生じるという。

やはりここでも東アジア儒教文化圏における「分」がキーワードになるのだろう。東アジアの秩序において、社会的地位は社会の側から個人に割り当てられるものであり、適切な分が得られなければ強い疎外感を覚える。社会規範は感情を強めもすれば弱めもする。孤独は見れば分かる社会問題のように見えて、実際のところは社会や歴史の中に長い根を持っている。
19世紀までの社会科学は差異を強調していた。人種や異文化は本質的に異なるものであるとされ、それが植民地支配や差別を正当化していた。20世紀は差別、特にナチズムへの反省から人類の普遍性を探し出す方向へと社会全体が進んだ。そして21世紀になり、普遍性アプローチだけでは十分な理解を進めることが出来ないことが明らかになってきた。人間性は不変のものでも普遍のものでもなく、歴史や社会中で変化する。他方で人間には共通の生物的基盤がある。そして生物的基盤にも多型があり、文化から大きな影響を受ける。多様性の時代には差異と普遍の往還が求められている。

〇バチャ・メスキータ『文化はいかに情動をつくるのか』
武士は日本人にとっても遠い存在である。異質な倫理観と異常な精神性を持った人々であると思われている。名誉のためには死を選び、殺人を厭わず、その割に因習に固執する。では、武士は現代と異なる社会規範の下で、感情を表現する仕方が。それとも、実際に世界を異なるように感じていたのだろうか。本書によれば、答えはイエスである。異文化においては、実際に感じ方が異なってくる。

今時、フロイト理論を真面目に信奉している人は稀有である。無意識の発見という功績はともかく、理論の大半はフロイトの(かなりバイアスがかかった)観察結果から生じており、現代的なレベルの科学的検証によるものではなかった。フロイト理論がある種の霊感を与えることはあるし、実際にフロイト的なカウンセリングがうまくいくこともあるだろう。しかし、今風に言えばエビデンスに欠けるのである。
ケインズは「経済学者の考えは、それが正しくても間違いであっても、一般的に理解されるよりも強力だ。実際、それ以外に世界を支配するものはない。自分が知識の影響力を受けていないと考えている実務家も、大抵は破綻した経済学者の奴隷なのだ」と述べた。これは経済学者だけの話ではない。現代の世俗的な人間観は、かなりの程度フロイト的になっている。特に西洋社会においては、それが顕著である。
私たちには真の欲求(イド)があり、これが社会規範(スーパーエゴ)によって抑圧され、表面的な自我(エゴ)が表れている。このような人間モデルは広く流布している。本書の中でも印象的な話が載っている。ヨーロッパでは養子をとる際に親としての適性を審査されるが、その際に夫婦喧嘩の有無が問われる。模範解答は何だろうか。夫婦喧嘩が「ある」ことである。夫婦喧嘩がない状態は不自然で欲求を抑圧している状態であり、いつ抑え込まれた欲求が噴出して子供に危害を加えるか分からないため、適度に喧嘩をして欲求の圧力を下げる夫婦こそが適切な夫婦関係であると見做される。抑圧は現代の人間観を示すキーワードである。
そもそも、欧米では怒りは必ずしもネガティブな感情とは見做されない。怒りは自身の正当な権利を確認し、獲得する契機としての大切な情動であると考えられている。また、現代の世俗的フロイトモデルでは人間を欲求充足する個人と捉え、欲求を充足して主観厚生を最大化することは(欲求が他者を害さない限り)人生の大きな目標であると考えられている。ここで社会規範は個人の欲求を妨げる抑圧者である。しかしこれは普遍的なモデルではない。アジア、特に仏教圏においては貪瞋癡の三毒、怒りと貪欲と無知は悪いことであり、廃さなくてはならないものとされる。そういった社会では個人の権利を充足することよりも秩序の安定が志向される。怒りと欲望はどちらも社会全体の調和を害する毒である。
東アジアは同じような文化圏にある。本書ではそこそこに紙幅を割いて日本に関する研究が取り上げられているが、途中で取り上げられる台湾の研究に私たちは似通った文化を見い出せる。どれだけ脱亜入欧を志したとしても、我々はアジア文化圏で育っている。

怒りが「正しい」と見なされれば、日常生活において怒りが頻繁に発生し、「間違っている」と見なされれば稀にしか発生しない。(中略)
交通渋滞に巻き込まれる、勉学に追われる、家庭内でいさかいが起こるなどの事態に、アメリカ人は同様な状況下に置かれた日本人より怒りやすい。状況の悪化のせいで理想の追求が妨げられると、アメリカ人は責任の所在や不公正を見出そうとするのに対し、日本人は自らの欠点について反省し、困難を克服しようと努めることが多い。

『文化はいかに情動をつくるのか』P134

不正確なエセ神経学の話をすると、我々の「幸福」は3つの内分泌系に大別される。期待と興奮のドーパミン系、安心感のセロトニン系、愛情と帰属のオキシトシン系である。欧米文化圏ではドーパミン系が幸福の核を成している。アメリカ人は乳幼児の頃から子供を驚かせて興奮させて喜ばせる。台湾では子供に落ち着くように教える。じっとして迷惑をかけないように。結果は分かりやすく表れる。アメリカの子供たちはプールに飛び込みたがるが、台湾の子供たちは浮き輪でじっとしていることを好む。東アジア人はリラックスしているのが好きだし、それが幸福の要件であると考えている。東アジアの幸福はセロトニン系を核にしているのである。これは欧米では驚かれることのようだ。欧米の学生からすれば、リラックスは状態であって情動ではない。
フェイスブックの創業メンバーであるジョニー・パーカーが「(SNSは)ユーザーの脳に少量のドーパミンを分泌させることが必要だ」と言ったのは有名な話だ。それを後追いするように、SNS=ドーパミンという図式が定着しているが、日本のSNSを見る限り、ターゲットにしているのはセロトニン系に思う。投稿者は不安を共有したがるし、不安に駆られて人は情報を求める。他者を操作して興奮するのも他人に不安を伝染させようとするのもどちらもろくでもないが、文化圏によって軸足が異なるのは面白い。

情動が文化的に構築されるというのは直感的に納得できるし、そこそこに説得的な証拠も本書で示されている。これは議論の前提に組み込まれなくてはならないことだ。イドは個人に属し、スーパーエゴにより抑圧されるのではない。「どのような状況をどのように感じるのか」は「どのような状況についてどのように対応するべきか」という社会規範を反映して構築される。エゴだけでなく、イドもスーパーエゴによって形成されるのだ。社会的な抑圧を取り去っていけば「真の自己」が顔を表すわけではない。「本当の私」も社会関係から切り離されては存在しえない。フロイトモデルの何が問題かと言えば、文化の多様性を間主観的な集団に属するものではなく、文化を受容している個人に属するものだと単純化してしまっていることにある。

さて、SHOGUNがヒットしている裏で海外発の戦国期日本を扱った作品が炎上していた。アサシンクリードシャドウズである。アサクリはプレイしていないのでさほど関心はないし、弥助が活躍しても構わないし、そもそも炎上した理由も良く分かってないのだが、以下の文章が目に留まった。

アサシンクリードシャドウズ

"to free Japan from its oppressors"なのである。oppressionとrepressionの違いはさておく。抑圧からの解放、oppressionからfreeになること。UBIがフランスの会社だからと牽強付会かもしれないが、フランス革命は現代における解放の神話である。
アサシンクリードの本編は良く分かっていないのだが、邪悪な権力集団が世界を支配しようとするのに立ち向かう、ような話だとは理解している。ロケット団とか恐竜帝国とか、そういう話だ。とはいえ、戦国期日本において"to free Japan from its oppressors"というのは無理がある。
戦国大名たちは抑圧的な権力であったし、当時の日本人は自由とは程遠い生活をしていた。では東アジア的な秩序観において抑圧者を排して自由になることが良しとされたかと言えば、そうではない。東アジアの秩序観はホッブズ的である。権力の空白状態が生じれば自然状態のカオスが帰ってくる。抑圧的な秩序が失われれば、そこに生じるのは統制されない暴力と略奪であるという理解が社会的に共有されており、少なくとも近世以前は実際にそうであった。抑圧的であろうと、秩序は秩序として必要なのである。
「怒り」に対する認識からして、欧米と比べてアジア人は未だにいくらか抑圧されている。それは不幸なことなのだろうか。フロイトモデルからすると、私たちは真の欲求を実現できないでいる。しかしながら、多くのものにはトレードオフがある。日本の閉塞的な文化は全面的に悪いわけではない。アメリカからの日本への帰国子女のコメントが紹介されている。

日本では、周囲の人々に自分を合わせなければ受け入れられません。アメリカでは、(選択や行動において)たくさんの選択肢があります。自分が幸福に感じられれば、そこには何の問題もありません。(しばらく日本に帰国していたあとで)アメリカに戻ったときにはほっとしました。「周囲の人々に合わせなければ」などとくよくよ考えずに自己主張が出来るからです。でもその一方で、自己主張は簡単なことではありません。自分自身で決めて、つねに警戒して自己を擁護していなければ落ちこぼれてしまうのですから。日本の流儀で周囲の人々から見守ってもらえることは、かつて思っていたほど悪くは感じなくなりました。とにかく、安心感があります。

『文化はいかに情動をつくるのか』P265

SHOGUNのプロットで優れていたところは、当初「抑圧ー解放」モデルを有していたブラックソーンが抑圧的な日本文化にも幾分かの美徳があることを最終的には認めるところにある。異文化理解は単純なモデルを捨てるところから始まる。表面的には異質な文化であっても、同じ人間であるから同じように感じるはずだ、という出発点がそもそもエスノセントリスティックである。逆説的ではあるが、世界の見え方も感じ方も異なる、完全には分かり合えないという前提を受け入れることで、初めて異文化や他者の理解が可能になるのではないだろうかと思う。

〇ケン・リュウ『紙の動物園』『もののあはれ』(文庫版)
著者のケン・リュウは中国系アメリカ移民で、8歳の時に渡米している。その後にハーバード大学ロースクールを卒業して弁護士やプログラマーとして働いていたエリートである。2015年に邦訳が出版された短編集『紙の動物園』を又吉直樹氏が紹介して本屋に並んでいたのを薄っすらと覚えている。短編には当人のキャリアが反映されたテーマが多く選ばれている。移民、アルゴリズム、特許、シンギュラリティ。舞台はアメリカと東アジアが多く、時に宇宙に進出し、時代は清末から未来まで幅広い。
アジアで一定の教育を受けた、あるいは自らのルーツを探ってみたアジア人が欧米文化に触れるとき、東洋に対する無関心に驚く。そこにはどうしようもない非対称性がある。世界史はどこまで行っても「西洋とその他の歴史」である。中華文明やイスラム文明が過去にどれだけの栄華を誇ったとしても、現代史の観点からは西洋文明との関係性によって位置づけられる。欧米の文献で西洋思想は参照元となるルーツとして扱われる一方で、東洋思想はオリエンタルな神秘的興味によって援用されるか、植民地主義への贖罪意識から再評価されるかのいずれかである。特にアメリカは徹底的に未来志向の国であり、東洋的伝統が常に過去への洞察から始まるのとは対照的に、過去に対する興味が薄い。アメリカ人の本を読むとき、彼らが関心のある歴史はベトナム戦争以後の自国史とアメリカ独立宣言だけなのではないかと、感じることが時折ある。
アメリカで東アジア移民を巡る言説は混乱している。保守派からアメリカの伝統に従順な「模範的な移民」と称揚されたかと思えばリベラルから「差別に対して声をあげるべき」だと小突かれたりもする。ケン・リュウの短編では微妙なコンフリクトが描かれる。中国文化に属する移民一世とアメリカ文化に馴染もうとする移民二世『紙の動物園』、外側から押し付けられるルールに振り回される少数民族の『結縄』。著者はきっと包摂において他の追随を許さないと自負するアメリカのリベラルコミュニティに属しているのだろう。異文化を理解し他者を受け入れることができると自認する人々が歴史的経緯を見ずに目の前の個人にだけ向き合っていると感じるとき、アジアの集団主義者はどことなく居心地の悪さを感じる。中国人にとって、アイデンティティは個人の中だけにあるのではなく、民族と歴史の中にもあるのだろうと思うし、実のところ非西洋社会の大半にとってはそうである。
ケン・リュウの作品は現代や未来の中でいかに頑健に過去と歴史が抵抗するかがテーマになっている。宇宙で生き残る五行思想の話『心智五行』、過去を保存する宇宙人の話『選抜宇宙種族の本づくり習性』、シンギュラリティ後の中国神話の話『波』、スチームパンク化した近代を生き延びる妖狐の話『良い狩りを』。いかに合理主義で未来志向の個人主義者を自認したとしても、過去はすぐそこにある。

最後に一つSHOGUNの絵解きをしておく。物語は緊張と緩和だ。SHOGUNの視聴者は最終幕までずっと不安を抱き続ける。能面のように無表情な東洋人である虎永の策略の全貌が見えない、どころか虎永は表面的には勝つことを諦め、無気力になっているかのように見える。シーズンの終盤になっても、虎永は感情を表さない。史実の家康は勝利している。最後に虎永は勝つ、はずである。しかしどこまでいっても、虎永がどのように勝利するかは見えない。そして最後の最後、虎永は家臣の藪重に策略の全貌とともに最初から将軍になるための戦略であったという内心を明かす。藪重はブラックソーンと並ぶ視聴者のエージェントである。ほかの日本人キャラクターと比べて表情豊かで即物的であり、虎永に言わせれば「分かりやすく動かしやすい」。そして藪重は虎永が将軍になりたいという人並の野望を持っていたことに安堵する。こうして虎永はミステリアスで理解不能な日本人から、普遍的な感覚を持った戦略的なリーダーへと姿を変える。
藪重の安堵は視聴者の安堵である。理解不能な異文化であった日本が理解できたことへの安堵。どうしてこれが安堵になるのか。『もののあはれ』のあとがきにこんな話が載っている。

西欧的ストーリーテリングの「規則」(物語の主人公は問題解決のため積極的に行動しなければならない)に従わない語りに興味を抱いて、書いたと作者は語る。自分が読んだ中国や日本の物語の多くは、その「規則」に従っていない

『もののあはれ』P260

西欧のストーリーテリングにおける物語の主人公は目標を持ち、目標達成のために行動する。誰もが自己の本源的な欲求を実現するために生きているという普遍的な人間像。諦観に満ちて神秘的なように見えた虎永も将軍就任という野望を持った一人の人間だったことが明かされることで、虎永と藪重だけでなく、東洋と西洋が和解する。タイトルの"SHOGUN"は異文化を越えた普遍的な人間性を暗示している。
徳川家康はどうだろうか。「天下人という野望を胸に秘め、雌伏の時を過ごし続けた」という家康像はしっくりこない。今川家から独立し、清洲同盟を結び、三方ヶ原で敗れ、神君伊賀越えを果たし、小牧長久手で勝利し、秀吉に恭順して移封され、関ヶ原の後に天下人となる家康の生涯はどこか場当たり的である。将軍就任後の晩年、家康は将軍位を秀忠に譲り幼少期を人質として過ごした駿河で大御所として過ごしている。側近も三河以来の家臣団を重用し続けた。土地と家系と関係性を重視する前近代的な習俗の中で動く戦国人の機微に沿った結果として天下人となった徳川家康の印象は合理的な戦略家ではない。むしろ、合理的な戦略家であった石田三成が人情を汲みとった徳川家康に人心掌握で敗北したというストーリーが日本では好まれる。
異文化を描く作品はお約束として最後に異文化が和解しなくてはならない。だからこそ、16世紀の日本人である虎永も21世紀を生きるアメリカ人のように考えているのだ、という物語ができあがった。やはり"SHOGUN"は西洋による西洋のためのドラマなのである。

〇ダニエル・C・デネット『自由の余地』
「推し」という言葉が苦手である。苦手であるが、強いて推しがいるとすればデネットだろうか。あとはドーキンスとトリヴァース。そんなデネットも今や鬼籍の人である。
大学生だったころ、「サミュエルソンの経済学ではなく簿記会計を、憲法学ではなく宅建法を、シェークスピアよりも観光業で必要な英語を」とコンサルタントの冨山和彦氏が言っていた。それを受けて、哲学研究者が「哲学は役立たない」と言っていたのを思い出す。牧歌的な時代だった。だから同氏が「教養が大切だ」と言っているのを見ると隔世の感があるのだが、今や哲学は立派な実学だ。

インターネットによる双方向発信の強化は誰もを小さな哲学者にした。SNSで交わされる情報のすぐ後ろには「人間とはどうあるべきか」という問いが隠れている。企業はマーケティングを通じて人々が何をどのように演出すべきと考えているかを探り、理想的な人間像を広報する。政府発信は「正しい生き方」を示すことになる。哲学の領野である。
「科学者にとって科学哲学の無益さときたら、鳥たちにとっての鳥類学と大差ない」はファインマンの言で、好きな警句である。では科学にとって無益な哲学はどこに益があるのか。思うに科学と実践の間に哲学はある。ハーバー・ボッシュ法は科学の領域だが、合成窒素を肥料にするのが良いのか毒ガスにするのが良いのかを考えるのは哲学の領域である。だから哲学はよく言われるような「全ての基礎」ではない。日々の実践の基礎だという感覚がある。
デネットの哲学が好きなのは、その感覚によく合っているからだ。デネット哲学は人間を理性的というより動物的な存在として描き、人文的な存在論よりも科学的な存在論を企図しているように感じる。だからデネット哲学は学際的である。生物学や神経学、確率論から法学まで、軽やかに接続されていく伸びやかさはここに依拠している。そしてデネットのキャリアの中でも比較的古くに書かれた本書は、要点がコンパクトにまとまっている。

現在(というよりここ数百年)における最重要の哲学的なワードは「自由」である。車の広告では「大きな自由」が、脱毛の広告では「もっと自由」になれることが謳われている。私たちは「自由民主主義」の陣営として国を越えた連帯を結び、自由を守るために戦う必要があると考えている。しかしそこで語られている自由とは何なのか、と聞かれれば言葉に詰まるかもしれない。
デネットは「自由に関心があるのは哲学者だけかもしれない」と刺激的なことを言う。具に考えればそうかもしれない。日常的な用法として「自由」が言及されるとき、往々にしてポイントになるのは効率性と効用であり、自由という哲学的なサムシングが求められていることは滅多にない。もっと自由が欲しいというとき、私たちが求めているのは拘束されている不愉快さから逃れることや我慢せずにたくさんのものが買える豊かさであったりする。あるいは効率性、例えば仕事中に全てのことを逐一上司に報告する必要がない自由さというのは効率性の観点から正当化できるだろう。ハイエクが自由市場の社会主義に対する優位性を述べたとき、問題にされていたのは哲学的な問題というより効率性であった。
その上で、哲学的な「深遠な」問題としての自由についてデネットは考えていく。古典的な物理学に沿った世界、あるいは確率的な量子力学に沿った世界のどこに「自由の余地」があるのだろう。結論から言えば、微細な原子運動とラプラスの悪魔の中間様態にある生物には、生存のニーズと有限の計算資源、ゲーム理論的な競争関係の狭間に自由が生じる。寄生的な他者による支配的な操作に対する抗いが自由の祖型である。丁寧な、それでいて素描的な議論の上にそのことが示されていく。推しの言うことは絶対であるからかもしれないが、私はデネットの論に大きな瑕疵は見出せなかった。
デネットの議論の些末な部分、どちらかと言うと脱線したところに面白い話がいくつかある。デネットは哲学者になる以前に彫像を学んでいた。彫像では全体像を大まかに仕上げてから細部を作り込む。そのようにしてデネットは哲学する。このスタイルが私は好きだ。素人が哲学に求めるのはディティールよりも概形なのだから。もう一つの面白い話。ストア派は世界を決定論的に捉え、人生を馬に引かれる犬に喩えた。馬は犬よりも力強く、犬が抵抗しても行き先は変わらない。抵抗を続ける限り、犬は反抗することしか意識できない。しかし抵抗することを止めれば犬は道中の景色を楽しむ余地がある。これはSHOGUNで唱えられる日本的な宿命論に良く似ている。きっと鞠子に西洋哲学の素養があれば、ブラックソーンに対してストア派の話をしただろう。野蛮国の上流階級から西洋哲学の講義をされた文明国の中下流階級であるブラックソーンの反応を想像すると、少し楽しくなる。

○まとめ
西洋は世界を征服した。それが西洋社会にとって栄光なのか汚点なのかはともかく、西洋文明は圧倒的な優位にある。被植民地的な、あるいは周縁的な反発を受けたところで西洋思想の論理的強固さは他の追随を許さない。
西洋世界は非キリスト教世界を野蛮なものとして定義し、発見した。新興の西洋社会であるアメリカやオーストラリアにしても、先住民という野蛮人を自国の中に発見することで自らを野蛮人とは異なる文明人であると定義することができた。文明人とは野蛮性を克服した人々であり、歴史の中に野蛮さを捨て去ってきた人々である。SHOGUNでブラックソーンが日本人を野蛮人と断じる背景にはこの自己認識がある。
スペンサーの社会進化論やルイス・モーガンの「野蛮・未開・文明」説はこの感覚に一定の科学的根拠を与えようとするものだったし、進化という物質的過程の中で西洋社会は野蛮性を喪失したという感覚があったからこそ、ナチスの蛮行はまさに蛮行として衝撃を与えた。ナチスは優生学を信奉し、最もアーリア的な、西洋的な進化的形質を有していると自負していた。その集団が極めて野蛮な行為に至ったことの衝撃というのは、非西洋人からは想像するしかない。
今時、教育を受けた西洋社会の人々は「野蛮人」などと言ったりはしない。自らと異なるものとして野蛮人を定義したこと自体が、差別や植民地統治を正当化し、暴力を許容してきた。文明と野蛮の対置はそれ自体が暴力の温床である。にもかかわらず、西洋文明は野蛮さを克服しているという自己認識自体は未だに残存しているように見える。だからこそ「分断」に、自らと同じ文明社会のメンバーである白人たちが野蛮であることに文明人を自認する人々は衝撃を受けるのだろう。だからと言って他者を野蛮だと断じることもできない。野蛮さを排したブルジョア文化を文明人の祖型として抱きながら、ブルジョア文化の階級性や排斥性への反省から素直に称揚できない歯切れの悪さが昨今の言説に垣間見えるように思う。

日本に目を向ければ、大政奉還から150年以上が経つ。間に敗戦を挟んで、日本は常に西洋の影を追い続けてきた。今や制度面や企業体制はグローバルスタンダードと遜色ない位置にまで来ている。一方で、思考や文化の構造の中には古めかしい封建的秩序が残存している。『菊と刀』で指摘されるように日本社会は安定した階級秩序を好む傾向があり、長らくアジアの一等国という自負を維持してきた。ここに欧米への劣等感とアジアへの優越感が潜む。日本の秩序体系は安定を優先する。欧米より日本が劣っているということ自体は受け入れられない事実ではないが、アジア諸国の中では日本が頂点にあるのだという認識を変えることは難しい。欧米、日本、アジアという階層秩序は脱亜入欧を志した明治期に生まれた。あるいは「秀吉が存命であれば日本が明王朝を征服できたはずだ」という意識が江戸時代に生じていたかも。敗戦を経ても、日本は欧米に劣後しても他のアジア諸国より優れているという意識は消失しなかった。むしろ、占領期にアメリカから制度や人権思想を輸入することで、欧米諸国との距離を近づけたと考えてもおかしくはない。戦後に書かれた梅棹忠夫の『文明の生態史観』においても、日本と西欧を同等の先進地域と置き、他のアジア圏から隔絶された社会であると定義することにためらいは感じられないし、客観指標であるGDPも、日本は戦後50年間、アジアの最前線を独走し続け、この秩序の正しさを示し続けることができた。
この階層秩序は失われた30年の中で大きく揺らいでいる。平成生まれからすれば、日本をアジアの特異点だと考えるのは不可能だ。一方で、日本の停滞に対する処方箋として示されるのが欧米の先進的な制度の移入や国内の旧弊の一掃であるあたり、欧米文化を上位の階層に置く感覚は抜けきっていないようにも感じる。
日本は他のアジア諸国と違うという言説や、あるいは早くに近代化を果たした我が国は欧米と同じ意識を持っているという信念は覆されつつある。数世代に渡る近代化を進め、衣食住がこれほど洋風になったにもかかわらず、文化体系を調査してみれば日本はアジア圏、特に東アジア圏と多くが共通する思考様式を持っている。日本と韓国、台湾はよく似ているし、政治体制の大きな断絶にもかかわらず、日本と中国のストーリーテリングは非西欧的で似通っていたりする。だからといって西洋の影響から切り離されているわけでもない。今の日本人の大半は、戦国の武士より現代の欧米人にずっと近い。

SHOGUNのテーマは「翻訳」だったそうだ。異なる言語を話している人を前にすることで、私たちは当座、相手を理解不能な他者として見る。

言葉が結びついているのは話者の個人的な経験だけではなく、話者の社会的状況や歴史的経緯であったりする。全く理解できない言葉に対して人は慎重になり、ニュアンスを汲み取ろうと努力し、言葉を取り巻く状況に意識を巡らせる。逆説的だが、理解不能だということを受け入れることで相手を理解するための前提に立つことができる。同質だと思っている他者との違いを発見すること、異質な他者との間に共通項を見出すこと。異文化や他者の理解というのは差異と普遍を往還する必要がある。

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