”知らんけど”とか”わからんけど”は自分を抑えるためにも言ってる

発言につけくわえる”知らんけど”は我が身可愛さに保険としてだけ使うわけでもなく、自制のためにも使っている。

会話しているとそれだけで顔真っ赤になるぐらいエスカレートする。会話することがものすごく脳に負荷がかかるタイプなのかもしれない。特にしゃべってる最中は全然冷静でいられない。

それに加えて、自分がしゃべってる内容は自分自身で最後の最後まで完璧に引き取って弁護しなければならないような気分になる。そして実際そのようにふるまうのでものすごい感じになったりする(この世で一番意味のない質問は『その恰好寒ない?』じゃない派の代表になるタイプ)。言いきったり決めつけたりするような口調だとこの自己洗脳が加速してる、ような気がするのである。

なので”知らんけど”や”わからんけど”をつけ足したり、”である”じゃなくて”なのかも”にしたりしてる。これにより『自分の意見を自分自身で絶対に擁護するモード』に突入する率が下がり、意見を否定された場合も『そうかもな』と思う余裕が生まれるようになりやすくなるのである。知らんけど。

上記は会話の場合の話で、書き言葉のときは黒歴史力を軽減するという会話のときとは別のような別でもないような観点が生じる。でもなるべく言い切れるところは言い切った方がいいと思っている。だけど言い切れることなんて本当はあんまりないと思っている。

あと全然関係ないけど、相手のしゃべってるときは自分が話し出せるタイミングがいつかだけ考えていて相手の喋ってる内容があんまりはいってきていない。

いいなと思ったら応援しよう!