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東を目指したホモサピエンス

現生人類は、ホモサピエンスです。
ホモサピエンスの誕生地はアフリカだと言う事は確定的ですが、それがいつかという事になると諸説あって、30万年前~10万年前と幅があります。そのホモサピエンスがアフリカを出て、全世界に移動する事になります。

ここでは私達日本人の祖先、すなわちこの日本の地に降り立ったホモサピエンスについて見てみたいと思います。
なおこの文章は、海部陽介著 『サピエンス 日本上陸』を基底に私の考えを述べたものです。


ヨーロッパ南部に移動したホモサピエンスはクロマニヨン人と呼ばれ、ラスコーやアルタミラで洞窟壁画を残しました。それとは別のグループが東に向かうのですが、彼らがいつ日本に到達したかと言えば、およそ3万8千年前だとされています。そう考えられる理由は、それ以前の遺跡は極めて少なく、それ以降に遺跡数が激増するからです。

3万8千年前、それは氷期ですから、北アメリカ北部、ヨーロッパ北部、グリーンランドは分厚い氷床におおわれていました。結果、海面は現在よりも80mも低かったようです。

『サピエンス 日本上陸』より
4万~3万年前頃の東アジア。薄い緑色部分が当時の陸地。

その頃の日本はと言えば、北海道はサハリンを介して大陸と地続きでした。古北海道半島と呼ばれます。
そして瀬戸内海は浅いので、完全に陸化していました。本州、四国、九州が地続きで、古本州島と呼ばれます。
つまり古本州島は、周りを海に囲まれた、完全なる島でした。

YOU-TUBEを観ていると、当時は本州と北海道が地続きであったと言う人が何人もいて驚くのですが、彼らはブラキストン線の存在をどう説明するのでしょうか?
青森にエゾモモンガ、エゾリス、エゾシマリス、クロテン、ナキウサギがいないのはなぜですか? 函館にはいます。
函館にニホンザル、ムササビ、ニホンカモシカ、ニホンリス、ニホンモモンガがいないのはなぜですか? 青森にはいます。

このように津軽海峡を挟んで、動物相に明確な違いがあるのです。数万年前というレベルで地続きであったのなら、こんな現象は起きないでしょう?  最寒期の2万年前はもっと海面が低く、種子島と屋久島は古本州島と陸続きでした。ですから現在、琉球列島の他の島々が固有種の宝庫であるのに対し、種子島と屋久島の動物相は九州本土と一致しているのです。
他にも、北海道で出土するマンモスの化石が、本州では一体も見つかっていないという事実もあります。

つまりサピエンス到達以降の古本州島は、大陸と地続きになってはいません。対馬海峡と津軽海峡は、常に存在していました。
そして驚くべき事に、3万8千年前の遺跡から、いきなり刃部磨製石斧神津島産黒曜石が出ているのです。

神津島は伊豆七島の一つで、当時でも古本州島との間には40kmの海が存在していました。しかもその海には、黒潮の分流が流れていた可能性すらあるのです。彼らは太平洋の荒波を越え、神津島(当時は恩馳島おんばせじまと陸続き)に上陸し、また戻って来ているのです。

流れの速い外洋を横断し、目的の小島に到達するには高度な操船技術が必要です。経験を積んだ者にしか成し得ない業でしょう。これをもってしても、最初に古本州島の地に立ったホモサピエンスは、渡航者だったのは間違いないはずです。

そしてこの黒曜石ですが、これが人類最古の往復渡航の証拠だと言われています。島間で物の移動があった証拠は、他地域では2万年前までしかさかのぼれないそうです。古本州島に到達したホモサピエンスは、それだけでは飽き足らず、さらに東を目指して海を渡ったのでしょう。

さて、そこで問題にしたいのが、刃部磨製石斧(じんぶませいせきふ)の存在です。刃部磨製石斧というのは、要するに刃の部分だけを砥石で研いだ石斧ですね。
用途としては、斧(おの)、鑿(のみ)、楔(くさび)、手斧(ちょうな)などとして使われます。あるいは、穴掘り器として使われた可能性もありますね。磨製石器として、分類される物です。

打製石器は猿でも作りますが、磨製石器はホモサピエンスが初めて作った物です。打製石器しかない時代を旧石器時代、磨製石器のある時代を新石器時代と呼ぶのですが、日本では、3万8千年前の遺跡から、磨製石器が出土しています。

それも一個や二個ではありません。3万8千年前~3万5千年前の遺跡から、900個ほども出ているようです。
これは、もの凄い事なのです。世界的に見ると、新石器時代への移行は約1万年前なのですから。

中国最古の磨製石器は、約1万5千年前の物。
韓国最古の磨製石器は、約7千年前の物。
日本の古さが分かりますよね。

これの意味するところは、当時の古本州島と大陸とでは、木材加工技術に大きな開きがあったという事です。遺物として出土してはいませんが、当時の古本州島は、人類最先端の木工製品であふれていたはずです。それは木製の道具だったかも知れないし、木を使った快適な居住設備だったかも知れない。

ちなみに、日本と並んで古い物が出ているのがオーストラリアです。どちらも渡航地ですね。これはもしかすると、刃部磨製石斧を持った者が渡航出来た、のかも知れませんよね。

本来、石斧は道具であって目的物ではありません。刃部磨製石斧を発明した人は、それを作りたかったと言うよりも、何かを作りたいがためにそれを作ったのです。その目的物とは何かと言えば、私は舟ではないかと推測しています。丸木舟ですね。

つまり・・・
海のかなたに漕ぎ出したいと思う者がいた。
筏(いかだ)でやってみたが、無理だった。
葦舟(あしぶね)でも無理だった。
荒波に打ち勝つ、別の舟が必要だ。

大木を伐り倒し、その木をくりぬいたら舟になりそうだが、打製石器ではうまく行かない。そこで考え出されたのが、刃部磨製石斧だったのではないかと思うのです。
現在は黄海の底に沈んでいる当時の陸地。ひょっとすると、そこには日本よりも古い刃部磨製石斧が眠っているかも知れません。

このように見て来た時に、アフリカを出てアジア大陸の東に到達したホモサピエンスの中で、極めて優秀な一団だけが、古本州島に渡れたのではないかと私は思うのです。論理的に物事を考え、ひらめきを持ち、勇敢に行動を起こす。そんな男女が、最初の日本人でした。

事実、それに続く日本列島人は非常に優秀です。世界最古の石鏃(せきぞく 石の矢じり)は日本で出土しています。木質だけの矢と石鏃付きの矢とを比べると、突刺力に大きな開きがあります。たとえばイノシシは皮が硬く、木質だけの矢など跳ね返してしまうようです。
その他にも、日本には世界最古がいろいろとあります。
世界最古の落とし穴(狩猟用)、釣針、漆など、日本列島人の発明品はたくさんあります。土器発明の地も、日本なのかもしれません。
縄文人はヒスイに孔をあけ、海水から塩を取り、回転式離頭銛(りとうもり)を発明しました。
ヒスイの穿孔には、なんと管錐(くだぎり)を使っています。ストロー状の物(篠竹など)の断面に砂をまぶして錐もみしたのです。先の尖った錐だけでなく、管錐まで考案していました。非常に論理的思考にすぐれた人達です。
弥生時代に大勢の大陸人が渡って来ましたが、彼らは伝達者に過ぎません。コメ作や金属器は、彼らの祖先が発明した訳ではないでしょう?

ではなぜ、大陸にいた優秀なホモサピエンスの一団は、海に漕ぎたしたのか?
争いに負けたからだと言う人がいますが、争いがあったとして、はたして彼らが負けたでしょうか。
私は、彼らが海を渡った理由、それは東を目指したのだと思っています。太陽が産まれる所を知りたかったのだと思っています。太陽の誕生地を目指して突き進んだホモサピエンスが最後に到達した地、それが日本です。
そう考えると、『日本』という国号は、この時から決まっていたようなものですよね。
この時から連綿と、日本での人類のあゆみは続きます。火山の破局噴火に見舞われたりもしますが、大陸とは異なった、独自の文化を育み続けるのです。

以上。縄文の夜明け前のお話でした。


2023、8、19  追記

ここで『縄文旋風』の物語り背景の設定をお話し致します。

「古本州島において、ホモサピエンスは、一風変わった進化を遂げた。」
「その結果、縄文人の中には、不思議な能力を備えた者も存在した。」
「その能力は、弥生以降、大陸人と交わる内に薄れて行った。」
「その能力を、シロクンヌは『ナカイマ (中今)』と呼んでいる。」
・・・となります。

約3万年前、鹿児島湾に位置する姶良カルデラで超巨大な噴火が起きました。これはホモサピエンスが直接被災した火山噴火の中で、最大級のものです。
結果、古本州島全土に火山灰が降り積もりました。青森でもこの噴火による火山灰が降り積もったと見られています。

そして、北海道で現在見つかっている最古の遺跡は、約3万年前のものだとされているようです。
もしかすると、姶良カルデラの破局噴火と関係あるのかもしれませんね。

一時、古本州島は、大陸から見放された死の島となった・・・
しかし被災したホモサピエンスの一部は、北海道で生き延びた・・・
抜群のサバイバルスキルを身に付けた一団です。
その者達の子孫が、不思議な進化を遂げた・・・
『縄文旋風』は、そんな設定のお話です。

3万8千年前から現在に至るまで、民族(民俗)的な絶滅は一度も無く、大陸文化の影響を受けながらも、連綿と文化の継承が行われて来た地球上でも極稀な地域、それが日本だと私は思うのです。

 


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