縄文旋風 第12話 コウヤマキ
本文
森の入口
飛び石を渡り、右手の小山をぐるっと迂回すると森の入口に出る。その先には広大な原生林が広がっているのだが、そこに一本のコウヤマキの大木がそびえていた。
「あれがそうだ。立派であろう?」
ササヒコが自信たっぷりにシロクンヌを見た。たしかに真っ直ぐな木筋の良木だ。
「見事な槙の木だ。それに場所もいい。これなら申しぶんない。 こっちに倒せば地に着きそうだし、 地に着けば、後はおれ一人でも作業はできる。前が広いから、そのまま作業場にしてもいいな。枝も多いし色んな物が出来そうだ。手火も山ほど取れるぞ。」
コウヤマキは燃やしても煙が少ないから、室内用の手火には最適であった。
「シロクンヌも気に入ってくれた。ではヌリホツマ、お願いする。」
「うむ。二人共、まずこの精麻をひたいに巻け。よろしいか。シロクンヌ、そこの縄を幹に回し結べ。それから縄と幹の間に、マサカキの枝を挿してゆけ。ササヒコはムシロをそこに広げよ。泉の水は根本に供えよ。栗実酒は槙に飲ませてやるがよい。」
ヌリホツマの指示のもと、伐木の儀式が始まった。親樹の命を頂く、その前に行われる儀式だ。
樹は伐ったからといって死ぬわけではない。根が生きていればひこばえが芽吹く。それが子樹となり育つのだ。
だが、樹に苦痛を与えるのは間違いない。獣を狩る時は、急所を狙いとどめを刺す。苦痛を長引かせたりはしない。しかし、大樹に対してはそれができない。長時間かけて伐り倒すしかないのだ。
実際のところ、刃がにぶいので石斧では木は切れない。石斧とは、実は木を削り取る道具なのである。打撃点を削って行く、そんな道具であった。石斧で樹を伐る風景というのは、見方によっては残酷なのだ。
石斧が樹を打つ音、それを縄文人は樹の声と聞いたに違いない。そして倒れる時には、ミシミシと断末魔の叫びを上げる。樹木は獣と違って、反撃はおろか逃げることさえできない。そんな樹木の命を頂き道具を作る。伐木の儀式は念入りに行われるのが常であった。
一旦、登場人物紹介
シロクンヌ(28)タビンド シロのイエのクンヌ ムマヂカリ(26)大男 タマ(35)料理長 ササヒコ(43)ウルシ村のリーダー コノカミとも呼ばれる ヤッホ(22)ササヒコの息子 お調子者 アコ(20)男勝り クマジイ(63)長老 ハニサ(17)土器作りの名人 シロクンヌの宿 ハギ(24)ハニサの兄 クズハ(39)ハギとハニサの母親 ヌリホツマ(55)巫女 ホムラ(犬)ムマヂカリの相棒
「ササヒコとシロクンヌはムシロの上に跪(ひざまず)け。そしてこうべを垂れよ。よろしいか。」
ヌリホツマが月透かしをコウヤマキの大樹にかざした。
「きーのーみーたーまーにーもーうーしーきーかーせーたーきー・・・」
一旦、用語説明
ウルシ村=5千年前の中部高地、物語りの舞台の村。人口50人。巨大な磐座(いわくら)の上に村の目印の旗塔が建っている。 ムロヤ=竪穴住居 大ムロヤ=大型竪穴建物。集会所。 神坐=男神と女神を模したオブジェ。大ムロヤの奥にある。子宝と安産祈願にお参りする。石製の男神は石棒と呼ばれる。
月透かし=シロクンヌがウルシ村にプレゼントした翡翠の大珠。 黒切り=黒曜石。 ネフ石=ネフライト。斧の石に最適。割れにくい。
グリッコ=どんぐりクッキー。 手火(たひ・てび)=小さなたいまつ。手で持つか、手火立てに挟んで固定する。
村のカミ=村のリーダー。 コノカミ=この村のリーダー。 ヨラヌ=村に所属せずに一人(一家族)で暮らす人。 ハグレ=村から追い出された者。
トコヨクニ=日本。 クニトコタチ=初代アマカミ。ムロヤや栗の栽培の考案者。 イエ=クニトコタチの血を引く集団。八つある。 クンヌ=イエの頭領。 ナカイマ=中今。一部の縄文人が備えていた不思議な力。
御山(おやま)=ウルシ村の広場から見える、神が住むと伝わる連山。 コタチ山=御山連峰の最高峰。
タビンド=特産品の運搬者。 塩渡り=海辺の村から山部の村まで、村々でつなぐ塩街道。
「まさか半日で伐り倒してしまうとはな。三日は掛かると思っておったが。さすがだ。」
「いや、コノカミが手伝ってくれたお陰だよ。」
二人共、汗びっしょりだ。辺りにはコウヤマキ特有の匂いがただよっている。
ヌリホツマは先に村に戻っていた。今頃は大ムロヤで神坐の準備をしているのだろう。
「さすがタビンドだけあって良い斧石を持っておる。飛び石の河原石とは違うな。それはどこの石なのだ?」
伐り倒すまでの間、ササヒコが持参した斧の石は三度割れたのだが、シロクンヌ愛用の斧の石は割れなかったのだ。
「これはおれのお気に入りでな。ヒスイの里の石だよ。翡翠海岸でおれが見つけた石を、カワセミ村の石工(いしく)に頼んで研いでもらったんだ。カワセミ村の衆はこれをネフ石と呼んでいる。斧にするには最適で、ヒスイより研ぎやすいんだが、割れにくさで言えばヒスイと変わらんほど頑丈な石だ。」
ネフ石とはネフライトのことだ。よく蛇紋岩が斧に使われたと言われるが、それは間違いである。蛇紋岩だと思われていた斧石が、実はネフライトであったことが近年になって判明した。つまり縄文人は、この見た目が似通った両者を明確に区別していたのだ。蛇紋岩は割れやすく、斧石には向かない。ネフライトの靭性(じんせい、割れにくさ)はダイヤモンドを上回り、翡翠に匹敵する。
「カワセミ村とは?」
「翡翠海岸を見下ろす丘にある村だ。月透かしもカワセミ村の石工の作だよ。ここから見れば北の方角だな。アヅミ野のずっと向こうだ。そこらはヒスイの里と呼ばれていて、村もいくつかある。とにかく良い石が採れるんだ。薬石ってのもあるんだぞ。実を言うと、薬石と研いだネフ石とをたくさん持っていたんだが、アケビ村への渡しにしてしまったんだ。少し、ここまで持ってくれば良かった。」
「薬石とは初めて聞くが、どんな物なのだ?」
「丸っこい石だよ。砂のような色でまだら模様がある。打ち身とかした時に患部に当てておくと治りが早い。ヌナ川という川があって、そこの河原には薬石の湯がある。」
「温泉か?」
「いや、川の水を焼き石で沸かしていた。温泉という所には、おれはまだ行ったことが無いんだ。そこでは湯が湧き出しているらしいな。薬石の湯と似たような効果があるのだろう。こっちには多いと聞いたが。」
「ああ、何ヶ所もある。だが残念なことに、我が村の近所では見つかっておらん。スワの湖の周りなら温泉が多い。一度、足を延ばしてみたらいい。」
「そうだな。せっかくだから、落ち着いたら行ってみるか。」
「スワもなかなか良い所だぞ。さて、今日はもう上がってはどうだ?」
「ふむ。目鼻も立ったし、ここなら作業がしやすい。あとは明日からにして、沐浴して村に戻るか。割れた石だが、木を割く時の楔(くさび)に使わせてくれ。」
二人が村の入口に差し掛かると、ハニサが駆け寄って来た。
「コノカミ、お帰りなさい。シロクンヌ、ムロヤの準備ができたよ。神坐にお参りして、ムロヤに行こう。」
第12話 了。