[短編]園世#2 転落
朝、街中で叫んだ。
朝、踊りながらも、走りながらも。
太陽を見ると思わず、コケコッコーと叫ぶ衝動に襲われる。
誰も笑ってくれない。
笑ったと思ったら、テレビで「月とすっぽんの漫談」を見て笑っている。
くそ!と思って3歩歩くと、もう忘れている。
そんな我らニワトリとは同種ではないと思うくらいの天才が、崖上に住んでいた。
そいつは庭野くんという名前だ。
彼は若い時、誤って崖から転落して、足を一本失くした。
我らニワトリは3歩歩くと負けだ。
全ての記憶を失くしてしまう。
しかし、そいつは歩けずに、車いすでの生活だ。
記憶なんて当然失くすはずがない。
彼の大学は鳥界の中の名門、アーバード大学だった。ここには、頭のいいワシ、とんび、それにカラスまで通うそうだ。彼らと話すと、「年功序列、付和雷同、虎の威を借る狐」などと意味の分からない言葉を使っては喜んでいる。
庭野はニワトリの中で初めてアーバード大学に入った。この時は、新聞一面に掲載されたほどだった。
車いすで入った彼はまじめだけが取り柄だった。庭野は陰口を言われるようになった。
「ははは、3歩歩くと忘れちゃうから敢えて車いすなのか」
「ここは、あいつみたいなのが来るところじゃねぇ。牛のお尻から出ていけ」
「ここでは鶏口にはなれまいな」
庭野は腹が立っていた。ニワトリは頭も小さい。おまけに足も失わないとここに入れないのかと。
英語教師の雄武さんにも、饒舌な口調で馬鹿にされた。授業も、難しすぎて庭野は深夜まで徹夜してようやく内容を理解するのがやっとだった。
最近は庭野に聞こえる声で悪口を言われるようになった。大体、頭が良ければ良いほど性格が悪い人が多いんじゃないかと僻んだ妄想までしていた。
その時声を上げた女性がいた。
「やめなさいよ。アーバード大学の学生のくせにみっともない」
その女性はシロクジャクの孔美さんといった。庭野より二つ学年が上だ。
孔美さんは大学の中でかなり知名度もあり、モテていた。そんな女性が庭野を気にかけてくれていた。庭野は涙がこぼれそうになった。
いじめていたカラスたちはすぐに謝罪した。
「ごめんなさい!孔美さん。もうやめます。だから、今度ゴミ箱あさりでも一緒に」
「それがだらしないと言っているわけ。もともと、ゴミ箱あさりなんて、グレーな遊びなのよ。来年から犯罪になる可能性もあるというのに、何言ってるわけ。どんなに、頭がいいからって罪を犯したら犯罪なのよ」
孔美さんは庭野に近づいた。庭野は翼を扇子のように広げている孔美さんにお礼を言った。
「ありがとう、、ございます。だけど、こんな僕のために」
「いいのよ。少しここへ来てから疲れたでしょ」
「いえ!疲れていません」
「疲れてるじゃない」
「まぁ本音を言うと」
それから、孔美さんと親しくなった。庭野は徐々に馬鹿にされることもすくなくなった。また、分からなかった勉強の内容も孔美さんに教えてもらい、理解することができた。
庭野は孔美さんの部屋に来ていた。
白いシンプルな部屋で、LEDが多く使われている。
どうやら孔美さんは最近、モデルのオーディションに受かったらしい。
たくさんの服がハンガーラックにかかっている。
「はいっ」
孔美さんは庭野に鉄製の棒のようなものを渡した。
「私、実はあなたに一回でもいいから歩いてほしくて。だから、あなたのために義足を開発したの。本当に色んな人に協力してもらったのよ」
庭野は、周りはそんなに悪い生き物ばかりがいるわけではないのだなと感じていた。
義足には「孔美より」と書いてあった。
義足は、庭野の足にピッタリだった。ただ、庭野には一つだけ懸念していることがあった。
それは、3歩歩いたら記憶が無くなってしまうことだった。
ただ、記憶がなくなるといっても日常的な会話の言葉は覚えているのだが、ここ数年間の記憶は失ってしまうらしい。
孔美さんにいうと、忘れてた!というように松葉杖を出してきた。
要するに、自分の足がある方を曲げることによって、義足に体重を掛け、松葉杖で歩くという話だった。
その開発は大成功だった。
見映えはそれほど悪くない。
その義足をはめて、孔美さんと遊園地に行くことになった。
観覧車、メリーゴーランド、ゴーカート、などを楽しんだ。
そして、最後にはジェットコースターに乗った。
庭野にとっては最高の思い出だった。
こんな時間が一生続けばいいのに・・・そんな風にも思った。
その途中、松葉杖を傘立てに入れていた。
庭野はジェットコースターが楽しくて、そのことは完全に忘れていた。
義足で3歩歩いたとき、妙な気持に襲われた。
ポワーン、と頭に重低音が響く。
孔美さんは、すぐに異変に気付いて傘立てにある松葉杖を取りに行った。
頭がくらくらし、その後ズキズキと痛みだす。
庭野の頭の中では半分以上の記憶が虫食い状態となっていた。
もう杖の存在すらも分からなくなっていた。
ただ、まだ孔美さんの記憶は残っていた。
「ごめん、どうやら駄目みたいだ」
庭野は自然と涙を流していた。記憶が消えることは涙が流れるものなのかと思っていた。
「そんなの嘘よ!私を覚えていないの?」
「孔美。覚えているさ。だけど、時期に忘れてしまう。君との思い出が多すぎてなかなか忘れることはできないだけさ」
「イヤよ。そんなの絶対にイヤ」
孔美さんは庭野の前に崩れ落ちていた。
「ごめんな・・・」
孔美は泣きながら叫んだ。
「あなたは私を忘れていても、私はずっと覚えているから」
見知らぬ白い鳥がこんなことを言ったので、庭野はそっと歩いた。
「孔美より」と書いてある義足とともに。