[エッセイ]虚しさについて
久し振りのエッセイの更新になる
作品の投稿自体が久し振りかもしれない
ここで皆さんに質問がある
虚しい気持ちって感じることがないだろうか?
「何言ってんだ、暇かよ!」
と思われるかもしれないが
僕は今、その虚しさとやらに
頭を奪われている
その虚しさが、作品の投稿を滞らせてると言えよう
久し振りにEaglesの「Desperado」でも聞いて
何とか今の想いをそのままに書きたいと思う。
僕は理系の大学なので課題がそれなりに出る
賞味、課題は嫌いじゃない
意外と達成感がそこに含まれているからだ
でも、一番の問題は
そこに期限とかが設定されていることだ
もう、マイペースでやりたいのよ(笑)
あとは、休日の過ごし方とかは自分のなかで凄く不明瞭だ
「頑張ったな、俺氏」
って思う日もあれば時間を空費してしまうときもある。
でも、友達とかと会って話していたりすると
その休日が、意外に良い日になったなって気がするときもある
でも、悲しいことにその逆もある。
何が言いたいかと言うと、
何もかも無気力になって、投げ出したくなる時があるってことだ
これは、エナジードリンクがあっても
容易に解決することではない
普段、真面目に頑張りすぎてるんだと思う
虚しいって気持ちは
どこか燃え尽き症候群に似てて
何かの反動が必ず自分を気だるくさせてくる
今日もこの世界は回っていて
色んな人が色んな場所にいて
楽しい気持ちの人もいれば
寂しさに苦しんでいる人もいる
人、それぞれ一日の長さを設定できたら
どれだけいいことか
楽しいことがあって、上手くいく時期にある人も
きっと、楽しい時間はいつか終わる
それは本当にそれが終わるだけかもしれないし
それが、その人にとっての‘当たり前’になるのかもしれない
虚しさ、所謂燃え尽き症候群はまた顔を出す
でも、人は蜉蝣のように
役目だけで終わる生き物じゃなくて
型に囚われない自由な生き物だ
でも、決定的な違いは心を持っているということ
そこから全ての苦しみが決定されている
でも、同時に楽しい気持ちを産み出せる
あの時、高鳴った気持ち
今日まで生きてて良かったなって思えた
それが、虚しさに繋がるとはつゆ知らず
人は祭が終わっても生きなければならない
そのことに、何度も何度も気づいて歳を取る
その度に
自分のいるべき場所や環境が見えてくる
だから、たまに来る祭のような楽しい日のために
取り敢えず、生きてみることにしよう
不器用でも全然良いから
その虚しさからはじめの一歩を
踏み出してみることにする
2024/10/21 byたくあん