見出し画像

毒親のせいで精神障がい者になった子どもは育ててくれた事に感謝すべきなのか?

10年くらい前に、私は警察に電話(通報)した事があります。

その時は心身ともに鬱(うつ)の状態になっているにも関わらず、毒親から家事の強要や怖いと言ってるのに宅配などの対応をさせられてプラス、心理的虐待をされていたので本当に精神が追い詰められて生命の危機を感じたので、
狂いかけている頭で警察に電話したのです。

しかし、結果から言うと、
電話相手の(声から察するに)初老の男性警察官の方からは怒られました。

私は大人の怒鳴り声が苦手なので、その時ちょっと受話器を耳元から離していました。なのでその警察官の方の発する言葉は部分的にしか聞こえなかったのですが、受話器からは
「親はどんな思いで育てたか」
「そういうあんた(私の事)はこんな日中からフラフラしてるくせに」
「親の気持ち考えてみろ!」
と聞こえてきました。

この人は虐待ってものの実態を知らない人だな、と思いました。
その時はすみませんでしたと言って電話を終わらせましたが、そのすぐ後、私は子ども(私)がどんなに毒親からひどい事をされても一般論は毒親の肩を持つんだな、と絶望して泣いたのを覚えています。


それを最近思い出してちょっと疑問に感じている事があります。それは
『どんなに精神を追い詰められるほど虐待をされて精神病になっても子どもは毒親に産んでくれた事・育ててくれた事に感謝すべきなのか?』という事です。
この記事では、それについて私が個人的に思ったことを書いていきたいと思います。




●親に感謝すべき?


「産んでくれたんだから」「育ててくれたんだから」
これらの言葉を虐待被害者に突きつけるのって、酷だと思います。
虐待家庭に生まれた子どもは毒親から追っかけまわされるほどの暴力を受けたり、言葉で子どもの存在を否定して心をえぐられたりされているのに、被害の状況をなんにも知らない大人からそれらの事実を全く無視して
「産んでくれたんだから」
なんて言われたら…。


私自身は、大人になってから(まだ子どもを産んだことはないけど、周りからの情報で)「産む」のがどんなに大変か知るようになったからこそ、産んでくれた事に関しては感謝するべきなのかな、と思ってはいます。

だけど、少なくとも私は生まれてきて良かった、お母さんに「産んでくれてありがとう」と思った事はありません。
虐待家庭に生まれて、ずっとその境遇に苦しんで、親元から離れた今も過去の虐待のトラウマや虐待の後遺症にさいなまれているからです。

物心つく前からずっと苦しい人生を歩んできたのに、なぜそういう苦しみの原因である毒親に「ありがとう」と思わなくちゃいけないのか。

「産んでくれてありがとう」は、
本当にまっすぐな愛情を持って子どもを育てた親御さんに対して言うものじゃないのかな、と私は思います。



●世間は「親は悪くない」愛情物語が大好き


ニュースや本を読んでいると、世間は本当に愛のある話が大好きなんだな、と思う時があります。

子どものつくった虐待をテーマにした作文のコンクールでは「なんだかんだいって親は悪くない」といった内容の作品が評価されるし、子ども向きの伝記の本で主人公の境遇が「これ虐待だろ」ってものでも「お母さんは彼女(伝記の主人公)につらくあたる事もありましたが、本当に彼女の事を愛していたんですよ」と毒親を擁護する解説があったり。

どんなに毒親がひどい虐待を子どもにしても、命を奪うまでいかなければ
「お母さんも大変だったんだよ」
「親御さんは本当にあなた(子ども)の事を大事に想ってるんだよ」
「なんだかんだいってあなたもお父さんお母さんが大好きなんでしょ?」

と、大人の世界では「親は悪くない」みたいな空気にしようとする風潮があるように感じてなりません。

だけど、虐待被害を受けてきた私としてはそんな世間にやりきれない気持ちになります。

そりゃあ、親子愛はステキです。
愛する子どもを危険から守る親。
いっぱい甘えて成長して親孝行する子ども。
そして、どちらも無償の愛を与え合う…。

実際そういう親子関係を築けたら本当に幸せですが、残念ながら世の中には無償の愛は子どもから親へしかあげられてない一方通行の関係もあります。(それが『虐待』です。)


私も心の中では親が大好きです。
親に認められたい。それが普段の言動に表れる時もあります。
だけど、毒親の肩を持てば傷ついた私の心は一生救われないですし、私の人生が親のものになってしまいます。


なぜなら、その毒親というのは子どもの為ではなく自分(毒親自身)の為に子どもを『成長させない』よう歪んだ教育をしてきた人達だからです。

どうして成長させないかというと、
毒親は自身を虐待してきた親に対する怒りを発散させる為に、子どもを怒りのはけ口の道具として一生自分のそばに置いておきたいと考えているからです。
成長したら巣立ってしまう。
だから、『成長させない』教育をするのです。


そんな育て方をする毒親に気を許せばどうなるか。
そんな事をしたら自立(&自律)した自分の人生を歩めなくなります。


昔お世話になったカウンセラーさんが言ってました。
毒親から離れる時に振り返ったらいけないって。
優しくしたら最後、その毒親の世界・ハラスメント界に引きずりこまれるからね、と…。

だから、毒親の肩を持ってはいけないのです。




『自分の怒りをぶつける道具にする為』に子どもを虐待しながら育てる。


子どもを人として見ない、
そんな毒親でも

『親は悪くない』


と言えるでしょうか?



●虐待された挙げ句の果てには『自己責任』


虐待は、本当に子どもにとってつらいものです。

生まれてから頼りにせざるを得ない毒親からずっと傷つけられ、
まともな愛情をもらえず、
時には理不尽な暴力を振るわれ、
子どもの存在をぞんざいに扱う毒親によって子どもの自尊心は傷つけられ、自己肯定感も低く育ち、
挙げ句の果てには精神障がいを患ったり、
『成長しないように』からの『人とつながらせない(人とつながると成長につながるから)』為に毒親の心理的攻撃によって人を信じる気持ちを奪われるので、結果世間一般で言う「コミュ障」になる…


それでいて私の毒親の場合なんかは、子どもがなんとか自力で立ち上がって自立しようとすると
「ポイッ」。

私の毒親はさんざん子どもを傷つけておいて、子どもが自分の思い通りに育たないとなると、まるで使い古したぞうきんかサンドバッグを
「もう使えねーや」
と言って
ポイッと捨てるかのように見捨てます。


毒親にとってはそこで子どもとの関わりは終わりますが、子どもの人生は続きます。


私の場合は、精神障がいを抱えながら社会生活をしていかなくてはなりませんでした。


世間は今「多様性を受け入れよう」と言って、障がい者雇用を積極的に取り入れようと動いてくれていますが、

それでも障がい者に世間の風は冷たいです。

私は過去2回障がい者雇用で働いた事がありますが、2回目の職場で上司から、「本当に君は普通の人っぽくて助かるわ」とよく言われました。
(私が普通の人っぽくいられるのは精神薬のおかげです…(^_^;))
その時の上司の言い方やイントネーションからして察するに、障がい者雇用といってもこの会社としては限りなく健常者に近い人を雇いたいんだな、と感じました。


また、障がいを患っているある知人は、障がい者雇用の求人でも、障がいがある事をカミングアウトした状態で面接を受けていたら落ち続けて、最終的に障がい者である事を言わないで一般求人の面接を受けたら受かったそうです。


自分や知人の事を思い返すと、
制度としては障がい者を受け入れてるけど、人自体は受け入れ態勢になってないな…
とつくづく感じました。
(これは私の周りだけの話かもしれませんが…)

それと、これは私の体験ですが、親元を離れて賃貸物件を借りる際に「精神障がいを患っている」という理由で民間の賃貸物件を借りられないという事がありました。
これは私に限った話ではない(前例がある)と不動産屋さんから教えてもらいました。


虐待されて
さんざん傷つけられたあげく
精神障がいになって
頑張って立ち上がろうとする中で
世間からは
障がい者差別を受けて


そうした先々で言われるのは、
『自己責任』。



障がいを患って生きにくくなった原因は明確なのに、それを言えば「親のせいにするな」と言われ、なぜか虐待の責任は被害者が背負う事になる。





それでも子どもは毒親に
「ありがとう」
と感謝するべきなんでしょうか?


●まとめ


「毒親のせいで精神障がい者になった子どもは産んでくれた・育ててくれた毒親に感謝するべきなのか?」というテーマでしたが、いかがでしたでしょうか。

私としては、この記事を書くにあたって考えた末に、「毒親のした事は許せないし、(毒親のした事は)悪いものは悪いと思うけど、産むの大変だっただろうなーと考えるとそこは感謝しよう」という結論にいたりました。

世の中色んな方がいます。
私の意見に賛同してくださる方もいれば、やっぱり「親は悪くない」という考えに揺るぎはないという方もいると思います。


どう捉え、どう考えるかは人それぞれ。


だけど、目の前で虐待に傷ついて心が壊れかけている人がいたら、親を大切にしろと言う前に、どうかその人の気持ちを大切にしてあげてください。

虐待に関しては、つらい思いをするのはいつだって子ども側なんです。

いくら大人達が自分達の状況が悪くならないようにご都合主義の風潮をつくって親の肩を持っても、「子どもが傷ついた」という事実は変わらないんです。




たとえば、先ほど述べた目の前にいる相手が、びくびくオドオドして泣いていたり動けず固まっていたら、あなたはどう対応をとりますか?



私の毒母親だったらこう対応をとります。






「なんで皿洗ってねぇんだ!!!(激怒)」






これが虐待です。
あなたはどんな気持ちになりましたか?




長文・乱文にも関わらず、最後までお読みくださいましてありがとうございました。



いいなと思ったら応援しよう!