【Face to Face】光を観る
観光とは、その土地の現在の良いところを観るだけではなく、未来に向けて良くなろうとしている姿を「光」としてとらえ観ることも大切である。
10月も後半になってくると寒く感じる日も多くなってきました。秋という季節を楽しむ前に、いきなり冬になってしまうのではないかと心配になってきました。先日などは、秋祭りなのにダウンジャケットを着て楽しむ人がいるという光景をみました。少し動くと汗ばむような気候が秋という季節なのに、動いても寒いと感じる気候は、もはや秋ではないように思います。秋は、夏の余韻を残しながら徐々に冬に近づいていくという季節感だと思います。このゆっくりとした秋の時間の流れが、私たちの気持ちを穏やかにしてくれるような気がします。最近では、このゆっくりとした時間の流れがなく、突然、冬に突入したと感じてしまいます。日本の丁度良い季節感の秋と春がなくなり、冬と夏だけの気候になってしまうと、日本の良さが失われていくように感じます。そのような状況であっても夏の暑さがなくなり活動するには最適な季節になってきたので、いろいろな場所へ出かけて短い秋を楽しみたいものです。
●町全体が帰還困難区域に
そのような短い秋を楽しむというわけでもないですが、先日、福島県浪江町へ行ってきました。あるイベントでいただいた日本の地方をフォーカスするという雑誌「旅色FOCAL」に、「記憶をたどる、そして『今』を旅する」というタイトルで、女優の羽田美智子さんが福島県浪江町を紹介する記事をみたのがきっかけです。
浪江町は皆さんもご存知だと思いますが、東日本大震災で被災し、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けた町です。町民全員が避難を余儀なくされ、浪江町21,000人の町民は全国に散り散りになったそうです。2017年3月31日に一部の全域避難指示は解除されたそうですが、2020年2月までは「帰還困難地域」が町内の大半を占める状態であったので、町内の居住人口は事故前より大幅に減少し、現時点で約2,250人とのことです。現在登録されている人口は、約15,000人だそうですが、実際には浪江町ではなく別の場所で暮らしているようです。このような状況になってしまったのは原発の事故ですが、そこに浪江町の立地もあったようです。浪江町の地図をみると、浪江町は蝶が羽を広げたような形をしていて、一部(蝶の右羽根の先の部分)が海に面しています。海岸に近い場所は請戸(うけど)漁港がある請戸地区です。この請戸地区は地震後の津波で大きな被害を受けました。この被害だけでは、全町民の避難はなかったと思います。この地域から福島第一原子力発電所までは約6Kmしか離れていません。その後の原子力発電所の事故による放射性物質の拡散が、ちょうど羽を広げた蝶の左羽根を中心とした海から離れた地域(原子力発電所から北西方向の地域)へ広がったことが原因です。海から離れたこの地域は、依然として「帰還困難区域」として避難指示が続いています。
●住みたい田舎ベストランキング1位
そのような状況の浪江町ですが、2024年版「住みたい田舎ベストランキング」の「人口1万人未満の町」では、総合部門1位を獲得しました。1位獲得の理由としては、「温暖な気候で暮らしやすいことや、移住者同士の交流が盛んなこと、飲食関連の起業や新規就農などスタートアップの環境も整っていること、水素の地産地消を実現する最先端のテクノロジー、福島国際研究教育機構(F-REI)の立地など、新しい技術に挑戦していること」などを挙げています。避難指示の解除はまだまだ進んではいませんが、町の復興計画が着実に進んでいることが大きいと思います。この復興計画も現在では第三次を推進しているところです。第一次の計画では、原発事故そのものの収束をはじめ、不透明な事項が多くあった状況だったと思います。そのような状態の中で粘り強く取り組まれた復興の状況は、毎月の復興レポートで紹介されています。復興の理念として、「夢と希望があふれ 住んでいたいまち 住んでみたいまち ~なかよく みんな えがおの 花咲くまち なみえ~」を掲げ、着実に推進されているようです。
そういった成果の現われが、「住みたい田舎ベストランキング」で総合部門1位になるまでになってきたのだと思います。
●「宇宙桜」は未来への遺産
このような復興が進んでいる浪江町を歩いてみました。JR浪江駅から海岸方面を中心に巡ってみました。
海岸方面には、津波の被害に遭った請戸地区があります。震災遺構として一般公開されている浪江町立請戸小学校を目ざして歩きました。途中、郵便局、浪江町役場や浪江町仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」を見ながら、高瀬川に沿って向かいました。
請戸小学校が遠くに小さく見えだした地点で、「大平山霊園」が右手に現れました。町の共同墓地ですが、東日本大震災で犠牲になった方々の慰霊碑を建立して、新たに整備されました。請戸地区が津波に襲われたときに、請戸小学校に通っていた児童や教職員が避難のために目ざした場所です。この大平山のふもとまで津波は押し寄せたそうです。
この場所には、「宇宙桜」という変わった名前の桜の木があります。「宇宙桜」とは、日本最古の樹齢を誇る山高神代桜(やまたかじんだいざくら)の種を国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」まで旅をさせ、若田光一さんと一緒に地球へ帰還したものを発芽させた桜の木のことです。その2世を東日本大震災の津波や原発事故で被害を受けた地域(各市町村)へ復興のシンボルとして植樹を行う「きぼうの桜事業」の一環として植樹されました。植樹された場所は、各地域の津波到達点以上の高さの場所とされ、長い樹齢を誇る桜が31世紀に向けた未来への遺産として受け継がれるようにとの願いが込められています。
●将来への「光」
ここから20分~30分歩くと、請戸小学校に到着します。請戸小学校は「奇跡の学校」と呼ばれています。
震災の時に大きな被害を受けながらも児童・教職員全員が避難して生き残ったというエピソードから、そのように呼ばれるようになりました。建物1階の様子から津波の凄さが一目で分かるようになっています。そして、学校の周りには昔のような住居はなく、工事関係車両が防災林の植栽のための工事を行っていました。この小学校を見学して、確かに津波の凄さや恐怖を知ることができましたが、それとは別に「光」というものを感じました。
それは、校舎の2階へ上がり6年生の教室に入った時に目に飛び込んできた黒板の文字たちです。現在の悲しみではなく、将来に向かって頑張っていこうという数々の言葉でした。発災後、行方不明者の捜索にあたった自衛隊や警察、消防、地元建設業者の方々からの激励の書き込みでした。形あるものではなく、この文字に込められた思いが、将来への「光」だと感じました。
形あるものはいつか無くなってしまうと思いますが、形では表せない思いはずっと生き続けるはずです。この場所には、その思いが沢山あると感じました。学校近くの海岸には、高さ7mの防潮堤が建設されていました。これも津波から町を守り明るい未来を目ざす光の一つだと思います。
また、復興の中心的な場所として造られた「道の駅なみえ」のフードテラスでは、「なみえ焼きそば」や「請戸産釜揚げシラス丼」などが元気を与えてくれました。「なみえ焼きそば」の皿に書かれた「何事も馬九行久(うまくいく)」という文字も印象的です。楽観視した言葉ではなく、何事もうまくいかせるのだという意思が現れた文字だと感じました。
●新たな街づくりが始まる
羽田美智子さんがインタビューで、「そのまちの『光』を見に行くことが大切で、今回、浪江町を巡らせていただくなかで『光』をたくさん感じました」と応えられています。一般的に観光というと、その土地の素晴らしい景色や歴史的なのものや場所を観ることを指すと思います。そもそも観光という言葉は、中国の「易経」に由来するそうで、「王様が国の光(良いところ)を観察する」という意味だそうです。私も、その土地の光(良いところ、良くなっているところ)を観るような行動を今後も続けていきたいと思いました。10月21日には、2027年3月の完成を目ざして新たな街づくりに向け、駅周辺を整備する工事が始まったという報道がありました。今後は、にぎわい創出につなげる交流施設や商業施設が建設されると思います。改めて、その「光」を観に訪問してみたいと思いました。
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