この殺人的日差しの中で農作業する意味
このところの焼かれるような暑さの中、ここ数年毎年のことだが、体力がいつまで持つか不安になる。有機農業(便宜上そういう表現をしているが、自然農法、不耕起農業、無肥料農業、表現は何でもいいと思っている)という農法は、少なくとも私が実践しているものは夏場の草との闘いと言っていい。夏場は雑草(雑草はこの世に存在しないが、栽培作物以外の草たちのこと)は1日に20cm伸びると言われ、除草しても除草しても草は生えてくる。まあ要は実の部分が草に覆われなければ良いし、最近はむしろ多少の草があった方が日よけになって良い場合もある。
草取りをするということは、地べたに這いつくばるということなのだが、最近は日差しがあまりにも強すぎて、農作業自体が自殺行為なのではないかと思いながら作業をしている。時間を早朝や夕方にして工夫したりするが、いかんせん外での作業には変わらない。自分を含め百姓の皆さんは「ようやるな」と思っている。今はありがたいことにお客様がいて、その方々に届ける野菜を作らないといけないので、一生懸命だが、いつかは自分だけのため農業にして、面積も少なくして、なるべく体に負担をかけないようにやっていくつもりだ。
いつも思っているのだが、この猛暑がもし人為的な環境破壊によるものなら、私たちではなく、都会で生活している多くの人々はある種の決断をする必要があるだろう。それは都市型の一極集中型社会からの脱却だと思っているが、はたして今の社会がそのまま当たり前のものとして刷り込まれてしまった人々が決断し、行動できるかは疑問だ。
山の山麓に自ら家を建てて住んでいるが、夏も涼しかった山の中も非常に暑くて住みにくくなってきた。獣害が酷く、最近はイノシシの息吹を聞きながら寝ている状態だ。人を怖がらなくなってきた。とりとめのない話をだらだらと書いているが、あまりに暑くて不快なので、窓に着けるクーラーを買ってしまった。悪魔に魂を売ってしまった感じだ(笑)
それでも、今日も作業は続く…。秋冬作の農地の準備をしなければ。